ここのところ寒さも若干和らぎ、「春」遠からじと思っているやさき、隣の大船渡市の火災で心を痛めています。
震災からようやく立ち上がったな、と祈るような思いでしたが、無情の野火にみまわれているようです。昨年の能登の例もあり、やるせない思いです。お見舞い申し上げます。
こんな時直ちに仙台からボランティアが駆けつけられたらなぁと思いましたが仙台からの直通の気仙沼線は志津川の町長が、嫌がらせをして通してくれません。
一体どうすれば良いのやら、だったら「車で、来いってか〜」その三陸自動車道だって、おれが通したんだぞう、と力説したくなります(笑)さらに列車が通ればどれだけ便利か・・・
自分が遭難しかかった時「あぁ〜〜〜んなに」ボランティアの方々にお世話になったのに・・・です。 その話は黒歴史なので無しですか、自分だけ都合良く解釈して身勝手なものですね。
そうではなく「悔い改めて」今後の「三陸の創造的復興策」の推進を見守って下さい。後の歴史に恥じぬよう願います。
そして春三月、いろんな意味で移動の季節で、例年のことながら春めく季節とともに、こころ浮き立思いです。道長みたいに「わが代の春」を謳歌した時節もありましたが、焦りまくりの春もそれなりにありました。
今、思えばあせったのは多分に力不足と自分ながら認識していたからでした。そんな思いで二月二十八日からのウクライナのゼレンスキー大統領と、トランプ大統領の会談の行方を思い昨夜は眠りました。
すると一夜明け今朝のニュースです。元々そうすんなりと妥結は無いだろうと踏んではいましたが、あそこまで全人類の想像を遥かに越える茶番劇にするとは・・・しかし、不謹慎ながら笑いが止まりませんでした。まさに歴史に刻まれる会談でした。
そしてトランプ大統領とその側近の大人げの無さです。彼らはゼレンスキー大統領の焦りに対して考慮が欠けていました。戦争はやがて終結します。プーチンもそれを望んでいて、北朝鮮と中国以外は全世界もそれを望んでいます。トランプ氏が言う第三次大戦の危惧も有りました。ならば後の歴史に恥じぬよう振る舞うべきでした※
※ここは後に判明しますが例えて言うと、グレて家を出てヤクザ稼業に明け暮れ、世界に迷惑かけている長男のプーチンを、そのため世間的に被害を被る末っ子のゼレンスキーが、長男に甘い親父のトランプと、マフィアのコンセリエーリのヴァンス副大統領に「パパたちが甘いから兄はあのようになった」と非難をする場面でした。
その事はワシだって後悔している。だが、長男は過酷な環境でグレしまい、家にも寄り着かんし、嘘ばかりついて約束も守らん。「しかし長男を一度友人の家に呼んで説得せねばならん、それが今度の停戦交渉だ」という事でした。するとゼレンスキーは「兄はそんな約束の場所になんて、ドタキャンして出て来ませんよ」と言った。
するとトランプは「そうだその通りだ。だからここでお前に悪者になって貰う」ワシがプーチンに理解があると装わねばならぬ。まずはおびき出すのが先決だ。そこで一芝居打ってもらう、とのシナリオだっのですが・・・
「それでも約束を反故にされ恥を掻くのは父だ」※とゼレンスキーはトランプとヴァンスに抗議して終わった。
どだい、パパは不動産事業ではほぼ失敗して、最初の大統領選挙に出るずっと以前に、兄のプーチンを通じて、ロシアのオリガルヒから多大な資金援助を受けている。その父が兄プーチンに足元を見られて、まともな停戦交渉など無理なのだ。ウクライナが米国に求めているのは戦後の安全保障だ。父のビジネスや保身とは違うのだ。
出来るとするならばプーチンと二人で停戦工作をして、ロシアとウクライナのレアメタルで、一儲けしょうとして世界中から「弩、顰蹙」(ド、ヒンシュク)を買うくらいだ。父がロシアから受けた資金をチャラにするには、そんな芸頭くらいしかないのだ。そんなトランプ氏に歴史的振る舞いを求めても出来ない相談に近かった。
※そして戦争と和平に「ディール」を持ちこんだら「パパの欲しいノーベル平和賞も覚束ないな」とも思った。
ノーベル賞委員会はきっと別の人物の候補も考えていることだろうとも思った。それは歴史が証明するはずだ。今は何も語らずにおこうと腹違いの弟は沈黙した。更に「ヴァンスはbadコンセリエーリだな」とも思った。
あの場面は過酷な戦場にいるウクライナの人々の事を、ドンのトランプとコンセリエーリのヴァンスに訴えたかったのに、ヴァンスがドンの肩を持ち擁護する「感謝がない」との発言がまずかった。あれでは焦っている末っ子のゼレンスキーも、ついむきになるもの無理はなかった。あの指摘で芝居は一挙にご破算になってしまった。
おかげで、私の小説「ヨハネの黙示録ー蒼き馬を見よー」では、格好の紆余曲折が起きて、最高のエンディングの変数になりました。Part.1〜7まで約2100枚の大長編ですが、トランプ氏の歴史に残る振る舞いで、この小説も成功しました。私も焦らずとも良く作家として「神に感謝致します」これは理屈を越えた神の啓示でした。
☆続々日本映画の未来を語る☆
ショーは続いています。写真は二日にあった恒例の阿部監督の「続々日本映画の未来を語る」のワンシーンです。前回お知らせした津田団長のネーミングはどう変化するか、と多くの方が関心を持って下さいました。するとご覧の通り「続続」ときました。私は「ふむ ふむ」となり、成る程「そうきたか」(笑い)となりました。
今回は仙台出身でジャズフィルムと言う映画会社を経営している、川村徹彦さんと言う方もゲストで参加され、その活発な活動に称賛の声が多く上がっておりました。わたしも今後のコラボなどをお願いしてきました。
さらに監督がコロナ以前にシネマ東北の鳥居さんと企画していた『アニ―・ブセル』を前に進めようと、NTT関連の元議員さんもゲスト出演頂き、今後の製作展開のご理解をお願いしました。
追伸:18日にはトランプ大統領がついにケネディ関連文書を公開しました。19日は母の97歳の誕生日でした。これまでの母の半生に感謝致します。そして19日のロイター通信によると―ケネディがキュ―バのカストロ政権を打倒するために承認した「CIAの秘密工作の詳細」※が公開の文書の中に記されていた事が新たに分かった―
※ここの部分では『2039年の真実』の落合信彦先生でも一切触れられていないので特筆しておきます。
そして、私が書いた『J・F・K ダブルスティツ』の内容を敷衍する初めての公文書が公開されました。大快挙です。小学五年生から追跡していた物語がようやく日の目を見ました。これで更にさらに映画化に邁進できます。
おかげ様でチャーチルやボブ・デュランと同じように私のノーベル文学賞決定も間違いないようです(笑)
これでも「オズワルド単独犯行」だと言い張るならば、あとは「公開文書とは何か」と言う創作ではなく、大学や研究機関での公文書作成と承認の経過と意図、さらに目的の再検討が研究テ―マの領域になります(笑)
◎いまこの作品JFK自体その物を論文形式にして、どこかの文学部に博士論文として提出する考えもあります。
これで私も「ケネディ大統領暗殺」の真相を究明した作家兼研究者として、さらに「歌津魚竜発見研究者」の名と共に永遠に歴史に名前が残ることに決定致しました。最後までの読了に゙お付き合い頂き有難う御座いました。ここまでお付き合い頂いた貴方も、歴史の証言者になりました。お目でとうございます。
さらに当時、原稿のワ―ド人力のアシスタントで、ご協力を頂いた東芝のTさんには重ねて御礼申し上げます。
「有難う御座いました」