◎       映画脚本『ケネディ大統領暗殺ーファイナルアンサー』        ◎

全人類のトップシークレット 小説『J・F・K ダブルスティツ』
全人類のトップシークレット 小説『J・F・K ダブルスティツ』

この脚本は原作:小説『J・F・Kダブルスティツ』を三浦二三男プロデュースでハリウッドの脚本家コミュニティ【THE BLACK LEST】に掲載する物である。

 

【SYNOPSIS】あらすじ/CoverStore

映画は20世紀アメリカで偉大なる二大ファミリーの、ケネディ一家とラッキー・ルチアーノ一家の確執を画く遠大なるファミリーヒストリーであり、かつ大統領暗殺に至るファミリーミステリーだ。

 

米国第35代大統領 ジョン・F・ケネディ

1917年マサチューセッツ州ボストン市生

1963年テキサス州ダラス市で暗殺される。

父はジョゼフ・ケネディ

母はローズ・ケネディ

 

1906年11月生:通称「ラッキー・ルチアーノ」本名「サルヴァトーレ・ルカーニァ」は9歳の時、イタリアのシシリー島レルカラ フレッディという村の硫黄鉱山で働いていた父と母、それに5人の兄弟と共にアメリカに移民としてやって来た。

 

慣れないニューヨークの生活では、ほとんど英語が出来ず小学校では教室の一番後ろで目立ない時間を過ごした。

 

 

そんな中勉強が出来て才気燗発なマイヤー・ランスキーバグジー・シーゲル※、フランク・コステロと、後のシンジケート・マフィアの幹部になる少年達と出会った。これが後の「ラッキー・ルチアーノ一家」の連携者と中核部隊になり暗殺事件とへ関わって行く。

 

※ マイヤー・ランスキーはハリウッドの「MGM」グループを、バグジー・シーゲルは後にカジノビジネスで「フラミンゴホテル」とラスベガスの街を創設した者として有名になった。

 

そしてルチアーノ少年は青年期にニューヨークで、ナンバーズ賭博を発明して大儲けした。コーザ・ノストラ(マフィア)のドンになり「チャリー・ルチアーノ」とアメリカ人風に改名した。米国中に展開したナンバーズ賭博やフランク・コステロのスロットマシンの権益は組織のメンバー達に多大な恩恵をもたらした。

 

他にもキューバの観光賭博場やフロリダの別荘カジノ、ラスベガスの街を作り多くのホテルのオーナーだった。

その稼ぎは当時のUSスチィールを越えた。このとき組織は賭博や「禁酒法」と共に成長して、全米の非合法組織を統括するシンジケートになって行った。

 

ラッキー・ルチアーノの一代前、同じ移民としてケネディ大統領の祖父パトリック・ケネディは、英国アイルランドからウィスキーの樽職人としてボストンに上陸した。ちなみにジョン・Fの母ローズの祖父も遭難した「タイタニック号」の乗船客の一人だったが、生存者としてアメリカにたどり着いた。

 

樽職人だった祖父パトリック・ケネディは後に居酒屋を経営し英国からの輸入酒類、スコッチの販売で財をなした。更にそれを元手にやがてボストン市長になり、ジョン・Fの父、ジョゼフ・ケネディが生まれる。そして、ジョゼフはルーズベルト大統領を抱き込み駐英大使に抜擢される。

 

かたやニューヨーク マフィアのドンから、全米のシンジケート・マフィアの代表になり、大金持ちになった

ラッキー・ルチアーノと、ハーバード大学を出て、ボストンで信託銀行の頭取をしていたジョン・Fの父、ジョゼフ・ケネディが「禁酒法時代」に密造酒ビジネスや違法カジノビジネスで出会う事になる。

 

時代はめぐり1960年のジョン・F・ケネディ大統領の選挙で「シンジケート・マフィア」の多大なる力と、投票数の操作でからくもジョン・Fは大統領に当選することが出来た。しかし弟のロバート・ケネディ司法長官は劇烈なマフィア狩りを実行する※ これはケネディ一家とシンジケート・マフィアとの協定違反だった。

 

※ロバート・ケネディが司法長官のとき、CIAがサム・ジァンカーナに「15万ドルでキューバのカストロ議長を殺せるガンマンが居ないか?」と打診していた事を既に知っていた。彼はCIAが事前にカストロ議長の暗殺計画を行っている事を知って猛烈に怒った。(1975年のマニュエル・ロペス・カーデフの作成文書)

 

◎信義にもとるケネディ一家に1963年11月22日テキサス州ダラス市で、マフィアの「死の掟」の裁定がくだされる事になった。結果としてマフィアの強大な力と水をも漏らさぬ隠蔽工作で、壮大なファミリーヒストリーと巧妙なファミリーミステリーが完成し、真実は2039年まで米国のトップシークレットに指定された。

 

◎米国内にJ・F・K一家が率いる正規な政府とシンジケート・マフィアの一家が財力で仕切るダブルスティツ二つの国家権力)があったと言うことです。「財力の陰にあるもの、それは犯罪である」【バルザック】

両ファミリーとも移民として生きとし生けるには仕方がなかった。

 

しかし、それは主の教えに反するものだ。格言「悪事を重ねればやがて自ら身を滅ぼす」とある。そして今その全トップシークレットが、前ドナルド・トランプ大統領の肝いりで2039年の期限を前に明かされつつある。

 

◎故人に「神のご加護がありますよう」祈ります「ケネディ大統領の魂に平穏あれ」God bless you America.

 

以下脚本は【THE BLACK LIST】に掲載

「ジョン・F・ケネディ」

1917年 アメリカマサチューセッツ州ボストン市生れ

米国第35代大統領

1963年11月22日テキサス州ダラス市で狙撃により死亡

 

父ジョゼフ・ケネディは表向きはボストンの信託銀行のオーナーで駐英大使だが「禁酒法時代」にマフィアにスコッチウィスキーなどを提供し、更にカジノビジネスや、映画興行にたずさわり莫大な資産を作った。

1960年の大統領選挙は実は苦戦で、シンジケート・マフィアの力を借りるしかなった。フランク・コステロから命を受けたサム・ジァンカーナが陰で選挙運動を仕切り、投票数の誤魔化しでかろうじて当選した。

当選したらマフィアを庇護する事、選挙直前に革命で失われたキューバを奪還する事が条件に入っていた。しかし,ジョン・Fはマフィアに操られのが嫌だった。

 

「チャーリー・ルチアーノ」
「チャーリー・ルチアーノ」

「ラッキー・

ルチアーノ」

シシリー人連盟

マフィアのドン

ニューヨーク郊外の競馬場で自分が仕組んだ八百長で負けるはずのない馬券を持ちニンマリしているところ。

この手法で毎週1万ドルほどを掛けさせ連邦捜査局FBIのエドガー・フーバー長官に闇の賄賂を贈って囲った。従ってケネディ暗殺後にFBIは合法的に捜査をサボタージュした。(オズワルド単独犯だとダラス市警の管轄となる)

幼名:サルヴァトーレ・ルカーニァ

1897年11月24日 イタリア・シシリー島生れ

1906年11月 米国ニューヨーク市へ移住する

チャリー・ルチアーノと改名して

シンジケート・マフィアの代表になる

通称「ラッキー・ルチアーノ」と呼ばれた。

アメリカのナンバーズ賭博の創始者だった

 


父 ジョゼフ・ケネディ
父 ジョゼフ・ケネディ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

博打好きの父ジョゼフ・ケネディは1928年ころニューヨークの高級ホテル・ルドルフ オーストリアの闇賭博場でスッてしまい、サミュエル・ブルームを通じてラッキー・ルチアーノから資金を都合してもらった。みかえりに禁酒法時代なのでスコッチウィスキーを英国からフランク・コステロに調達して、マフィアと昵懇になり財をなした。

サミュエル・ブルームはシカゴのアル・カポネに紹介状を書いてもらいニューヨークのアーノルド・ロスタインに会いに来て、さらにラッキー・ルチアーノに会った。ただサミュエル・ブルームとフランク・コステロは以前からの知り合いでもあった。

更にブルームも後に博打に負けて、それを取り戻そうと、闇酒の搬送ルートを襲い強奪して組織に100万ドルほどの損害を与え始末された。この時その首謀者が、父ジョゼフ・ケネディと疑われ、その後フランク・コステロと不仲になった。組織は彼の事はまだ利用価値があると消さなかった。だが三男のロバート・ケネディ司法長官のマフィア狩は許されなかった。

ラッキー・ルチアーノとマイヤー・ランスキー
ラッキー・ルチアーノとマイヤー・ランスキー

 右:マイヤー・ランスキー

 

左:ラッキー・ルチアーノ

 

動く計算機と言われたポーランド系ユダヤ人・アッシケナージ

マイヤー・ランスキー

 

組織の中の財務長官とよばれた。後にラスベガス及びハリウッドのMGMのオーナーになり1983年没した。

とにかく計算に明るく、ラッキー・ルチアーノと二人で全米のナンバーズ賭博のシステムを編みだし莫大な利益を得て大金持ちになった。

 

映画『The God father・PartⅡ』でフロリダからキューバに渡った老マフィアの幹部で俳優リー・ストラスバーグが演じたハイマン・ロスと言うユダヤ人役のモデルの人。あの場面はシンジケートが、革命に成功したカストロによりキューバを追われる有名なシーン。

 

この後組織はキューバ奪還のため「ピッグス湾事件」を巻き起こし、ジョン・F・ケネディ大統領は失敗して暗殺される事になる。同じく失敗したCIAとキューバ反革命軍は、操られるのが嫌で本気で取戻そうとしないケネディを憎んでいた(二度目の作戦を約束したが、実行せず逆にCIAを千裂に解体すると宣言した)この事が結果的に組織から怒りを買うことになった。

 


弟・三男 ロバート・ケネディ司法長官
弟・三男 ロバート・ケネディ司法長官

弟のロバート・ケネディ司法長官は兄の大統領選挙の時マフィアからも献金があり父に「どう言う事か?」と迫ったが「選挙の時は色んな方面から資金を集めるんだよ」と言われたが納得せず大喧嘩になった。そして自分も大統領になる為の手柄が必要で、父の仲間であるマフィア狩を強行したために兄ジョン・Fが見せしめに暗殺された。

兄の暗殺から五年後1968年6月にカリフォルニア州で同じく口封じのために暗殺された。やはり計画実行者はサム・ジァンカーナだった。現在2024年の大統領選挙にロバート・ケネディの長男ロバートJr.が、民主党から立候補を表明している。

フランク・コステロ
フランク・コステロ

フランク・コステロ

シンジケートマフィアの首相と言われた男。

歌手のフランク・シナトラ(映画ゴッドファザーでの歌手ジョニー・フォンテーンのモデルの人)のゴッドファザーだった。

ケネディ大統領の父ジョゼフ・ケネディとは 禁酒法時代からの知り合いだった。

 

その後、ラッキー・ルチアーノの後を受け全米のコミッションの議長になり多くのトラブルを解決した。

早くから合法的なカジノビジネスに目を向け禁酒法以後のビジネスとしてキューバのホテルやラスベガスのホテルで公のカジノを開いた。しかし、ケネディが大統領になる前後から国税局対策に追われた。

大統領の父ジョゼフにも揉消し工作を持ち込むが効果はなく、逆にメンバーへの締め付けが厳しくなり、コミッションに苦情が寄せられ苦境に立たされた。禁酒法時代にジョゼフを消さなかったことを悔やんだ。

 

こうしてケネディ一家の排除へと組織のコンセンサスが傾き、自らの死活問題もあり回復させることが出来なくなって行った。それでも1963年のケネディ大統領の死から10年後の1973年まで生きた。日頃から「父親ジョゼフ・ケネディの資産は自分が築いてやった」と公言し憚らなかった。映画『The God father』のフランシス・フォード・コッポラ監督の姻戚にあたる


マリリン・モンロー
マリリン・モンロー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その魅力でケネディ兄弟と付き合ったマリリン・モンロー。兄ジョンの誕生日パーティーに半分酔っぱらっい壇上で「ハッピバースデー」と歌いスキャンダルになった。この時ジョンの子供を宿したと告げたが、ジョンが逃げ腰になり彼女はマスコミに明すと迫った。

 

説得に弟のロバート・ケネディが相手をしたが深い仲になってしまった。精神を病みロバートを呼び出し結婚を迫る。手を焼いたロバートが精神安定剤を与えて立ち去ると、そこにジァンカーナの手の者が入りこみ殺害し、ケネディ兄弟をユスルためのネタにして、FBIのエドガー・フーバー長官に兄弟を脅迫させた。

結果、ケネディ一家と「FBI」は敵対関係となった。

 

映画『マリリン・モンロー ノーリターン』予定

 

ケネディとマフィアを繋いだ女優

女優 ジュディス・エクスエナー・キャンベル
女優 ジュディス・エクスエナー・キャンベル

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ジョン.Fとサム・ジィンカーナの二人の共通の愛人だった女優・ジュディス・キャンベル。ケネディにはマリリン・モンローに次ぐもう1人の愛人女優が居た。

 

ホワイトハウスの寝室にも出入が可能でサム・ジァンカーナからの親書や小切手、伝言を託されケネディに伝達した。その中にはキューバ関連の手紙もあった。

 

そして都合十回以上のケネディとサム・ジァンカーナの密談の仲介をしたと自ら告白している。

 

ジァンカーナはジュディス・キャンベルを自分とケネディとの共有の愛人だと公言して憚からなかった。その事をジャクリーン・ケネディ婦人も知っていた。

サム・ジァンカーナ
サム・ジァンカーナ

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シカゴマフィアのムーニーことサム・ジァンカーナ。あとでユスルために、身内の歌手フランク・シナトラを通じてマリリン・モンローをケネディ兄弟に紹介した。フランク・コステロの命令でケネディ大統領候補の選挙資金の調達や投票数を水増した。

  

ダラスでのケネディ暗殺の計画者。オズワルドを殺したジャック・ルビーの上司。ルビーはジァンカーナにシカゴからテキサスに派遣されたダラス駐在員。ナイトクラブを経営していたが、組織に借金があり、返済出来ず、その代償にオズワルドを射殺した。シンジケートからサム・ジァンカーナへの指令で実行させた。

そしてジァンカーナその者が「CIA」の要員だった。

 

映画『ゴッド・ファザー パート・Ⅳ(四)』予定

 

なぜ、FBIは捜査をサボタージュしたのか

FBI  ジョン・エドガー・フーバー長官
FBI ジョン・エドガー・フーバー長官

その鍵はFBIの長官にあった。エドガー・フーバーは創立時は副長官だったが、やがて終世の長官になった。

 

歴代の大統領や上下議員のスキャンダルを握りユスリ続けた。

 

しかしギャンブル狂や女装癖、宗教的にもタブーで妙な性癖の秘密をマフィアに握られ、終生フランク・コステロに操られ続けた。生涯「マフィアなんて存在しない」と公言してくれた。そのためケネディ大統領の暗殺時にもFBIは合法的に捜査をしなかった。

 

つまり、オズワルドの単独犯行で共謀性が無ければ、ただ州を跨ぐだけでは犯罪にはならず、FBIが捜査する必然性がない。更に被疑者死亡ではダラス市警察の主管となり、FBIは動く必要がなくなった。それゆえに「オズワルドの単独犯行説」を長年に渡り頑なに守ろうとした理由はここに有った。こうして事件の完全犯罪は成立した。そして巨大ミステリーも完成した。

 

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