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2016年                     ゴッドファーザー逍遥記

2016年12月24日☆メリークリスマス

メリークリスマスということで「仙台光のページェント」も華やかに始まりました。今年は31回めだそうです。

 

初回から数年間は青葉通も飾りましたので、それはそれは豪華なものでした。そのころ職場に青森からの新人が入り、観るように勧めたりしました。

 

南町通から一番町を抜けると直ぐ青葉通なので、観てもらえたのでしょうか。あれから彼女もあらかた五十代ですね。どんな人生を送ったのでしょうか。

 

そんなこんなで自分の年末を振り返ると、11月に目を少し悪くして眼科にかかったですが、さらに12月には二日町時代から抱えていた背中のニキビを切除してもらいました。

 

青葉通クリニックの桜井先生に曰く「いまごろオデキなんて若い証拠だよ」とか言われましたが、長年の「宿痾」だったのでヤレヤレでした。

 

ここ数年は身も心も運勢もメンテナンスの時期ととらえていたので、自分では「こんなもんか」と思ってましたが、周りの人を驚かせてしまいました。来年でメンテの時期も過ぎます。またボチボチ動き出します。もう少しお待ち下さい。それでは、良い御年をお迎えください。

2016年12月1日☆カストロ議長のこと

 

わたしが書いた小説『 J・F・K ダブル スティツ』の中でキューバでの対決者として登場する、カストロ前議長が亡くなりました。11月26日のことです。

 

ちょうど今、イタリー系で次期大統領として準備中のドナルド・トランプ氏が、口を極めて亡きカストロ前議長のことを罵っています。

 

その大きな理由には約50年ほど前に、彼らイタリー系組織人達がキューバで行った投資や事業で被った、大トラブルと大損失の怨念があるからです。

 

当時、組織はキューバでのビジネス、カジノや観光産業の利権を保持するために、バチスタ政権に年間300万ドル(当時の円換算)で約10億円以上のワイロを贈って政権維持に協力していました。

 

そのことは映画「ザ・ゴッドファーザー パートⅡ」でマイケル・コルレオーネが、キューバ革命に遭遇して命かながら脱出する場面として、コッポラ監督が描いてます。◎モー・グリーン=バグジー・シーゲル

 

このキューバ関連の場面を拙書では「ケネディ大統領暗殺事件の真迫の部分」として、第六章「キューバの乱」から始まり第九章の「キューバでの失敗」まで、四部の章に渡り、克明に詳述して、核心に迫っています。ここの部分が解ると大統領暗殺事件の真意が理解出来ます。

 

ぜひ、一度お読み頂くと光栄に存じます。

 

最後に来年2017年10月26日にはケネディ暗殺関連文書をプレ開示する予定です。本来は2039年まで封印する予定でしたが、多くの大統領暗殺に関心を持っている米国民の声に応える形です。

 

ただ、大統領がイタリー系共和党のトランプ氏では、どんなもんでしょう。そう言えば大統領選の最終盤、民主党のヒラリー候補に、FBIが当選妨害か?とも思われるような動きもありました。暗殺事件では共和党もCIAもさらにはFBIも共にスネに傷を持ってます。

 

公表される公文書の多くは黒く墨塗りされた物になると思われますが、民主主義国らしく公正な文書開示を望むところです。そして、天の許しを得て関係者の和解が進むことをお祈りします。

 

◎このキューバ事件での確執がやがてロッキード事件ウォターゲート事件につながる事になります。追々ドラマ化・映画化に向けてレポートして行きましょう。乞うご期待です。    参考『田中角栄・野武士時代

 

 

f2016年11月11日☆TSUTAYA・TCPのこと

昨日、この春に応募したツタヤ・TCPの最終選考会に呼ばれ参加してみました。

 

会場は恵比寿ガーデンプレイスでした。

 

結果は渡部亮平さんの「哀愁しんでれら」に決まりました。

 

仙台出身の鈴木京香さんが審査員で出演していました。

 

 

 

                   提供  郵映テレビ/映画&ニュース

2016年10月13日☆ボブ・デュラン・ノーベル賞に輝く

ノーベル文学賞・吟遊詩人 ボブ・デュラン
ノーベル文学賞・吟遊詩人 ボブ・デュラン

二年前の今頃ボブ・デュランがノーベル賞を貰えそうだと書きましたが、ついに今年「風に吹かれて」他にて実現しました。嬉しいです。次はトンペイの西澤先生の番ですね。また期待しましょう。

 

ボブ・デュラン曰く「やるべき事をやれば上手く行く」だそうです。

 

 

 

 

 

提供  郵映テレビ/映画&ニュース

2016年9月11日☆恒例の阿部勉映画監督の集いから

阿部監督
阿部監督

本日は恒例の阿部勉映画監督の集いの日でした。街では仙台ジャズフェスの二日目と、宮城野原の楽天の試合も重なり、大変なにぎわいでした。

 

そんな中、今回の集まりには三つもハイライトが有り、大いに盛り上がりました。そのひとつが阿部監督の(株)松竹映像センター・代表取締役副社長に就任したことです。

 

ほんとうは今春の異動で決まってたそうですが、私は六月にTSUTAYAに企画書を提出にあたり、団長のツダヤさんに事務連絡するまで知りませんでした。

 

そんなこんなですが、監督からはご自信が手がけた松竹・十年毎史『映像のこの十年』をプリントアウトしてもらい、松竹のこれまでの十年と、これから歩むであろう、社の道筋などを聞かせて頂きました。

 

すると一高同級で司会のセニョリータ先生から「みんなが聞きたいであろう事を代表して聞きます、会社的に偉くなっても皆が期待している制作の方はどうなるのでしょうか?」と愛情あふれる質問をしてくれました。

 

このクエスチョンに監督は控えめながらも「地位にかかわらず、今後も創作を続けて行きたい」と応答しました。するとたちまち大歓声と拍手で「監督、副社長就任おめでとう、乾杯!!」の声が一斉に上がり、スタンディング オーベーションとなりました。

 

chiharuさん
chiharuさん

次のサプライズは2015年2月18日の会で「お子様が三人で五十ン才でCDデビューを果たした」とご紹介した、アーティストの「chiharu」さんがドキメント映画『ぼくは写真で世界とつながる』の映画音楽を担当して「あのとき聞かせてもらった曲も挿入歌に採用されました」との報告をセニョリータ先生から頂きました。

 

やり続けることが成果につながるようですね。おめでとうございます。

 

それで上映会が11月5日に、仙台メディァテークで有り、chiharuさんのミニライブも行われるそうです。今回は仙台フィルハーモニー管弦楽団のチェリスト、山本純さんを特別ゲストにお迎えするそうです。

 

多くの方のご来場をお待ちしております。

 

サプライズその三として、これまで一緒に監督を応援してくれた団員の一人で、トンペイの法学部出身で有力会員の方(経済・経営コンサルタント)が、映画界振興とクールジャパンの一環で「仙台の映画祭を企画したい」と、私の所に話を持ち込んで来ました。そこでわたしは本人の意向も汲んで、次のようなネーミングをして、今回、発表しました。

 

「仙台定禅寺通映画祭」です。まっ、始めは「おや おや」でもやってみないと、何が起きるか分からないのが、生命科学とエンターテインメンツの世界「学藝」です。「瓢箪から駒」と言うことも有りますので「温かく見守りたい」と思います。ちなみに経理は津田会計事務所と言うことで、こちらの方もすこぶるお後はよろしいようです。

 

                                提供 郵映テレビ/映画&ニュース

 

 

 

2016年8月18日☆映画「ある愛の詩」から悲しい報らせです

1972年の春に日本で封切られ公開された映画「ある愛の詩」の監督、アーサー・ヒラー氏が亡くなったそうです。92歳だそうです。残念です。ご冥福をお祈り致します。

 

「愛とは決して後悔しないこと」心に残るフレーズでした。

 

舞台はボストン・ハーバード大学とニューヨークです。何気ない二人の学生が大学の図書館で知り合いそして交際を深めていく、そんな在り来たりでどこにでもある物語ですが、当時の若者には絶大な支持を得たラヴストリーです。

 

甘美なサウンド・トラックはフランシス・レイが担当しました。競作でアンディ・ウィルアムズが歌いどちらも大ヒットしました。当時は映画音楽も充実していて「ザ ゴッドファーザー」でのニノ・ロータなどの最高の音楽家がいました。

 

これからの映像でもこの辺の再構築を目指したいものです。特に音大出の若手の幾人かに注目しています。ぜひ、才能を開花させたいものです。

 

【ストリー】

普通に出会った二人ですが、交際が深まると自然に結婚へとテーマが移ります。そして、ここから自由で奔放に見えるアメリカの青春像にも、結構、ままならない現実と制約があって、物語を甘く切ないものに変えて行きます。

 

ライアン・オニールが演ずる主人公「オリバー」は典型的なアングロ・サクソンの大金持ちでハーバード大学に多額の寄付をするWASPの家柄です。一方、アリー・マッグローのヒロイン「ジェニファー」はニューヨーク出身のイタリー系カソリックです。父はブライアント公園で屋台のホッドドッグを売って生活をしています。

 

◎ミッドタウンのここで屋台を引いて商売が出来るのはイタリー系(組織の許可が必要)とほぼ決まっています。

 

結婚もカソリックとプロテスタントでは難しいです。父にも反対されたジェニファーは、そこで無宗教として式を挙げます。しかし、こうして困難をクリアして幸せになった二人にも、ラヴストリーでは定番の悲報が待っています。

 

◎創作的には恋愛物語の必須要素がすべて盛り込まれています。これから学ぶクリエイターには私が勧める悲恋物語「愛と死をみつめて」「愛染かつら」「ロミオとジュリエット」の三話と共にお薦めです。

 

そして、のちに「ゲッターウェイ」での共演者、スティーブ・マックインと結婚したアリー・マッグローは、1994年ころに若くして亡くなっています。残念です。ちなみに二人がセントラル パークで楽しむ「雪のたわむれ」のシーンは、韓国の「冬のソナタは誰じゃ」(笑)に写されています。

 

わたし的には後にロックフェラーセンター前のスケート場を見てそのあまりにも小さいのに驚いたことです。了

 

 

2016年7月7日☆聖書から友との出会いと別れのこと

気仙沼第一聖書パプテスト教会
気仙沼第一聖書パプテスト教会

本日は新暦の七夕様で、この日に生まれたお二人には、毎年多くのひとから祝って貰えるので、ラッキーだなと思っています。

 

つい、お二人の嬉しい時の笑顔が思い浮かび、私自身もニンマリしてしまいます(笑)。これだけでも良い出会いでした。

 

特に今年は男性のTさんの父上が春先に大往生を遂げ、その葬儀に参列出来たことは、T氏に対する歌中以来の友情と恩義に報いられた思いで、自分でも最高に大満足しています。父同士も青年学校で1年違いの知りあいだそうで、津波のあと川平の自宅でお目にかかり、昔の父との交流等も聞きましたので余計親しみがわきました。

 

「私の父より15年以上長生きしたねぇ、良かったねぇ」と彼に告げました。Tさん葬儀等ご苦労様でした。

 

さらにこの話しには伏線があって昨年秋に小野寺清君が亡くなった時、地元の会から仙台方面に知らせてくれと要請があったので、伊藤さんはイタリア・海外なのでTさんと元己君だけでもと思い、彼に電話をすると偶然にうまく伝える事が出来ました。この時も不思議な縁を感じました。

 

元己君には旧姓小野寺久美子さんから次男君経由で伝えてもらいました。

 

すると同じ清君つながりで同名の友人が気仙沼市にも居て、彼にも会いたいと以前から伝えていたのですが、なかなか連絡が付かず、五月の連休に会いに行こうとして彼の友人に再確認すると、なんと、昨年の秋に他界とのこと、偶然、二人の清君を同時に亡くして、まさに「オーマイガー」でした。 

 

気仙沼の菊地清君というのは中々の豪の物で授業中に先生から「清、なんでノートを取らないんだ」と注意されると「聞いてれば解る」(笑う)と答えて大絶賛と大爆笑をとった人でした。そういう歌中的というか旧制高校流の雰囲気が私に親しみを持たせ、20歳代に彼が羽田空港に居るとき、会いに行ったりしました。

 

それ以来、会ってないので、なんとしても会いたかったのです。

 

人の生き死にというのは親族はもとより友人知人でも共に辛いものですが、私はこんな時、聖書の「天に召される」という表現に一番救われます。普通どんな人でも自分の子供の事でさえ、その生涯を保障し見届ける事は不可能で、逆に先立つ子供の生涯を見てしまうというのは親にとってはある意味不幸でもあります。

 

(たとえ、親であっても自分が作った子供の全生涯をホロー出来ず、その子の幸を願うなら後は神に託すだけ)

 

そして、そのやるせなさは同じでも「天に召された」と思うとほんの少し救われるのです。それは生まれてきた者には、本来、個々の人生と使命や生き方が有り、その事には親でも誰れでも生涯に渡って手助けする事も、関わり続けることも出来ないと言う思いがあるからです。

 

むしろ個々の試練も信じれば救ってくれのは神でキリスト教ではこの事を「神を信じ身をゆだねる」と言います

 

聖書的な考えでは、この世に生まれて来てからの個々人の生き方は神との「契約」によって決まるとの考えです。私もこの考え方に同意しています。そしてこのような亡き人のことを思う時は「讃美歌320番」を聞き、故人を偲んでいます。

 

すると気仙沼の清君のときは一番の「有り友など悲しむべき」と二番の「さすらう間に日は暮れ」というところで、彼の生涯が思い浮かびます。若かりし頃は破天荒な時期もあったとかで、会ったらそのへんも取材したいなあと思ってました。残念です。

 

また、生前に聖書の話しなどを多少伝えて置けば、悲しみも半減していたかも知れない、と思うとそれも残念です。やはり、友人知人に「伝えなきゃ」と思ったことは、早めに伝えるべきだと最近思い直しました。思いを共有して「天に召されたのだ」と思うと随分と気持ちが楽になる事を知りました。

 

ということで、少し懐かしい話しに戻せば、かつて私も七夕生まれの人と恋に落ちたことがありますが、星のロマンス同様難儀な恋でした。お互い望んでもいないあらぬ方向に恋が彷徨(ホウコウ)し恋の方向音痴状態でした。七夕は中国伝来のお祭りですが、仲が良すぎて会えなくなるとは、誰の差し金か?物語か少し切ない話しですね(笑)。

 

さらに、日本書紀や古事記の「国産み神話」にも左回り・右回りとかの伝承があり、なにかしら当てはまる事象があるので、いつか実証考古学で試してみたいと思います(笑)

 

そんな訳でトモヤス君のある友人には「フミはあと80年生きるが、あなたはいつどうなるかわからないので、このへんでお互いに心残りがないように、お茶飲み話でもしょう」と伝言を依頼しました。以上、ノアの方舟は用意してあります。後はどうなるかは「神のみぞ知る」(笑)「God bless you」です。

2016年6月21日☆プロデューサーとしてのお知らせ

小説「田中角榮・野武士の時代」
小説「田中角榮・野武士の時代」

いよいよクールジャパンの映画・ドラマ製作という事で、TSUTAYA・TCPに「田中角榮・野武士の時代」を申し込んでみました。これからはこちらの方面に力を入れる事になります。よろしくお願いします。

小説「J・F・Kダブルスティツ」
小説「J・F・Kダブルスティツ」

さらに「J・F・Kダブルスティツ」の米国での製作資金を募る「キックスターター」に、日本の代理店から申し込んでみました。

 

次はニクソン大統領が辞任追い込まれた「ウォーターゲート事件」のドラマ製作にも着手します。日本国内でのスポンサーも大歓迎です。ぜひ、クールジャパンの一環ですので、応援のほどをお願いします。

2016年5月26日☆司馬さんとZARDのこと

今年は司馬さんがなく亡くなって20年だそうです。ZARDの坂井泉水さんが亡くなったのが2007年の今日です。わたしの誕生日になんて事だろうと思いました。

 

お二人に思い入れが深かった分、淡く書きたいと思います。

 

学生の頃「面白いよ」と先輩に勧められて以来、司馬さんの作品は全て読みました。一番最初は「坂の上の雲」全六巻を立ち読みだけで30日で、引き続き「竜馬がゆく」全五巻を同じく立ち読み、20日間で読み切りました。頭休めと娯楽には最適でした。

 

ちなみに立ち読みして一番快適なのは高山書店でした。わたしの知識の八割はこの高山書店・丸善・金港堂から立ち読みで得られたものでした。その高山書店も今はなく時代の変遷を強く感じます。しかし後にEさんに立ち読みのコツを伝授するため、この話(秘伝門外不出三浦流)をしたらウケてくれたので余計に嬉しくなりました。

 

結局、試験も参考書や教科書も買わず丸善の立ち読みで済ませてしまいした。(一番町時代の丸善なので、片平や米ケ袋にも近く、ときどき西澤先生もお見かけしました) そして私は「西澤先生にノーベル賞を取らせる会」の自称会長です。

 

当時、司馬さんと松清さんは年間の印税収入が、二人とも三億円を超えて、毎年長者番付に載ってました。私の作家人生のモデルでした。よもや、出版界がこんなにショボイ事になるなんて信じられない思いです。そして松清さんの作品は全部読み切らずに、半分ほど残し今後の楽しみにとって置いてます(笑う)

 

そんな司馬さんを一層リスペクトするようになったのは、ベトナム戦争の終結に対する「予言」からでした。当時、米国はベトナムの泥沼に腰まで浸かりながらも、その膨大な軍事費で連日、猛攻擊を繰り返していました。そしてジャーナリズムも懸命に戦争の行方を報じていました。

 

この頃の若者には悩みの種で、ビルは徴兵逃れでイギリスに逃げ、ジョージは州空軍にいれば大丈夫と思ってましたが、危うく州兵も動員されそうになり大いにあわてました。さらに後にこの兵役忌避問題が大統領戦のアキレス腱になりました。再び悩されながら二人とも大統領になりましたが、当時はそれほど深刻で大問題でした。

 

そんな中司馬さんにもレポの依頼がきて、ベトナム観戦記『人間の集団について』を出すことになりました。そのあと書きに「やがて北が南下して来て終わりになるだろう」と予言していました。ただ、当時アメリカが手を引くことは誰も想像だに出来ず、わたしも「エエッ」と思いながらも、等閑に付していました。

 

ところがパリ協定を結び米軍も撤兵し、一応安定したかと思った1975年に突如、北が南下してサイゴンが陥落し、北のボー・グェン・ザップ将軍、ホー・チ・ミン首相の勝利となりました。多くの人が寝耳に水となった訳です。その時わたしは司馬さんの慧眼に、ジャーナリストとインテリゲンチャの在るべき姿を重ねました。

 

「作家とはこう在らねばならぬ」です。

 

その司馬さんも「韃靼疾風録」を出した後ペンを置き創作を止めました。理由は当時の狂乱のバブルに失望したようでした。自分の書籍より「金儲けの神様」「邱永漢」が売れることが納得がいかなかったようです。特に仙台での売上を気にしたようで「あのインテリの塊の仙台が、自分より邱永漢を読むか」と思ったようです。

 

21世紀を目前にした1996年に亡くなるのですが、その前に「二十一世紀に生きる君たちへ」いう文章を残し、内心は困難な時代になるだろうと思いながらも「決して挫けないように」と、まだ見ぬ明るい未来を高らかに謳い、格調高い名文を残し逝きました。

 

その後「みどり婦人」が東大阪の自宅敷地に司馬遼太郎記念館を作るのにあたり、寄付を募ったので些ですが応募しました。数年後、訪ねてみると記念館の庭に銘板が有り、そこに自分の名前も刻まれており、少なからず誇らしく思いました。永遠に残ってくれるものと思っています。

 

ZARDの坂井泉水さんとの思い出は、彼女の名曲「サヨナラは今もこの胸に居ます」の曲想が素晴らしいので、その事を賞賛して伝えると、シングルカットするさいに再録音しました。するとかえって曲調が弾んで明るくなり、自分の感性を理解されたことが「嬉しかったのかなぁ」とか思ったことです。

 

会ったら訊きたいなと思ってました。今となっては確かめようもない事ですが心に残る思い出です。合掌

2016年4月29日☆五月の連休とルーツの事などあれこれ

3月28日の朝  京都・東本願寺
3月28日の朝 京都・東本願寺

今日は昭和天皇の誕生日という事で、いろいろな事が思い浮かび上がります。約二十年前のこの日トンペイの片平キャンパスの桜が満開で観に行きました。その 帰りの道すがら、今日から本格的に小説を書こうと思い定めました。そして次の日、及賢の事故の連絡が入り、連休のさなか弔いに行った訳です。

 

賢ちゃんという人は不思議な人で、あの真面目くさった顔で、とんでもない歌中ばりのジョークを言って、私を笑わしてくれるのです。そして、時々、信じられ ないような事件に加わってたりします。私と一緒の時はそんな事はないのですが、あとで「いゃー、実はあの時は賢ちゃんも居て」となるのです。

 

修学旅行で3月26日、京都日程1泊目の夜でした。私はそんな真面目な賢ちゃんを巻き込みたくないので、彼に告げずに一人で外出しました。目的の場所はG・S「ザ タイガース」の沢田研二さんが京都時代に出演していたゴーゴー喫茶の取材のためです。

 

当時、ゴーゴー喫茶に出入りすると停学とかの時代です。そのため賢ちゃんに声をかけずに一人で出かけたのです。ところが旅館に帰り経緯を話すと「なぜ声をかけてくれないんだ」と彼はご立腹で随分なじれました。

 

それで二日後の大阪の阪急ホテルでの外出には、先生方から禁じられていたにも拘らず「松田組」の事務所を見に一緒に出かけたのでした。

 

その帰り道、天神橋の途中から下の中之島公園に降りて、カップルを冷やかしたりしてライオン橋(難波橋)の途中に上ると、そこには運命的な偶然が待っていました。それで彼には一足先に帰ってもらい、私達はまた下の中之島公園に降りました。

 

で、ホテルに帰ると賢ちゃんがいつになく真剣な顔しているので「大丈夫だろう、誰にもバレてないだろう」と確認したのです。と言う訳で、皆に頼りにされる 賢ちゃんは、いつも自由に行動する私をカバーしてくれて、そして、どんな難し事を訊いても常にユーモア混じりの即答をしてくれて、楽しくかつ有り難かった です。合掌

 

そして五月というと「田束山のツツジ祭り」 です。標高512mの山頂付近のツツジが満開になって、下の国道45号線あたりから眺めると、まるで赤く燃えてるように見えるのでお祭りになりました。ただ最近、気仙沼市の徳仙丈山のツツジも売り出し中で、一層有名になりました。しかし観光としてのオリジナルはこちらです。

 

まっ、文化的地域ナショナリズムを持ち出しても始まらいのですが、この歌津の「田束山」は日本書記にも「道嶋気仙麻神社」と登場する高名な山です。元来は 平泉の藤原氏が開祖の神社と言われ、最盛期には山嶺に四七の僧坊があったと伝えられています。それ以前は山岳信仰で修験道の中心地だったようです。(高野 山のような)

 

そして、小説「風に吹かれて」 にも登場しますが、山頂には十二基の塚があり、ずっと謎のままでした。しかし1971年に発掘調査があり、その発掘に私も立ち会っていました。ちなみに 「歌津」と言う地名はこの山頂から見て東南の方向で、十二支の「卯」と「辰」の方角に広がった土地という意味だそうです。(もう一説も有り)

 

そして、注目すべき発掘品は平安時代後期に埋蔵された仏教の教典でした。それは高さ30cm・直径10cmほどの青銅製の円筒に入れられた法華経のお経で した。その教典はこの時期に仏教界に一大影響をあたえた「末法思想」によるもので、大事な仏教の教科書を十二の経塚に埋設したものでした。

 

※「末法思想」とは仏教の「世の終わり」の事で、大事な教典を埋蔵し十万年後まで保存する事。

 

当時、仏教界では釈迦入滅後、正法時代・像法時代・末法時代へと変遷するとの教えがあり、ちょうど平安末期がその「末法」の時期にあたり、日本全国の寺院 で教科書を埋設する行事が行われました。それを田束山上に有った寺院でも、教えに従い実行したようです。ちょうど仏教界が「鎌倉仏教」に代わる時期にあた ります。

 

もともと、この田束山は平泉の「藤原氏」が厚く信仰した山岳でしたが、その地方名にも藤原氏の名残りがあり、「本吉」という郡名も藤原の元良から来ていま す。「藤原元良」というのは、かの「陸奥の歌枕」岩沼の「武隈の松」の和歌を残し、さらに艷福家(モテ男)で第四の光源氏にあたる超有名人です。

 

歌枕・武隈の松』(岩沼市)

「植えし時 契やしけむ 武隈の 松を再び 合い見つるかな」・三品 兵部卿 陸奥守 藤原元良(歌人)

 

藤原の元良は陽成天皇の第二皇子でしたが、藤原氏に臣籍降下して、陸奥守で二度みちのくに赴任したようです・その縁で平泉や本吉郡が藤原氏の荘園になった ようです。ただ、のちに平泉の藤原氏が都中央から独立した形の時期があり、年貢の徴収と送達の事で、京の藤原氏と長い間もめていた時期もあったようです (前九年ノ役の遠因か?)

 

和歌といえば鎌倉から歌津の領地に移住して、三浦家の本所(仲向)を置いた「名足」にも、平泉に都落した「源の義経」が潮干狩りに訪れたさいに残したと言う句もあります。

 

九郎判官の句

「樽甁子 ならべていわい 濱の名を」従五位下 検非違使 伊予守 源九郎義経(武将)

 

という句です。しかし、これが、和歌の上の句なのかどうか、この原典の『安永風土記』が編纂された頃は、すでに下の句が残ってなかったようで、以下のように記述されています。

 

右読人源義経公奥州御下向之砌当村ノ内名足濱而潮干御遊覧御酒宴之節御詠歌被遊候由往昔ハ上ノ句下ノ句共ニ覚居候者茂有之を以御書上仕候右御酒宴被遊候場 祝ノ濱申右次は樽ノ濱上ハ甁子ケ峰と申所ニ御座候右御歌之句意ニ倚リ名付候共又ハ右濱之名ニ寄セ御読被遊共申伝候事。(安永風土記)

 

で、私が下の句を作るとこうなります。

「名樽濱とは 祝う瓶子」(ナタリハマトハ イワウチョウシ)三浦二三男 歌人

 

ついでに征夷大将軍 源の頼朝の愛馬「池鵜」の塚(馬骨壇)も有ったそうです。

 

以上、『宮城縣史』(安永風土記)や三浦家の伝承から、連休とルーツの話でした。

 

さらに 御製  

津波来し時の岸辺は如何なりしと見下ろす海は青く静まる    平成24年正月歌会始の儀 題詠「岸」 今上陛下

 

という訳で歌津には美味しい山海の幸があり、太古の「歌津魚竜」そして、ナウマンが発見した「皿貝貝塚」さらに「平安時代」の遺跡や現代の「華の歌中伝説」(笑)まで、豊富な伝説や話題がゴロゴロで、さらに私の企画・発案で作った「歌津・民俗資料館」と「平成の森公園」までも有ります。ぜひ、一度訪ねて みて下さい。

 

更にちなみにで「満海上人の墓」や、かつて武蔵坊弁慶の佩刀(七つ道具の一つ)で、月山丸と言われた大刀も魚竜館にエキストラで展示して有りました。さらに安倍首相のルーツである安倍の貞任の「貞任山」までもが有ります。

 

貞任は武将で岩手・厨川の柵主の安倍ノ頼時の次男ですが、多賀城に勤務時代「思わくの橋」というロマンチックな「「歌枕」を残し、恋と和歌にも生きたモテ男だったようです。そんな伝説もあり歌津はこれまで数々の「歴史的栄光の人々」にゆかりがあったり、世界的な発見や研究にも貢献をして来た場所でもあります。

 

いちど訪ねてみてそんな「栄光の歴史」にあやかるも良し証言者になるも良しです。「聖地巡礼に確定」!

 

                                    ナョナルジオグラフィック

2016年3月16日☆小説・「風に吹かれて」のこと

      amazon キンドル
      amazon キンドル

昨日の河北新報の春秋欄に「源氏物語」の主人公「源融が塩釜に住んで居たかも知れない」とありました。

 

ご存知、紫式部が書き残した源氏物語には古来より三人のモデルがいると言われています。

 

「藤原の道長」「源の融」「藤原の実方」です。そして「源の融」は私が書いた小説「風に吹かれて」にも京都の「枳穀亭」を作った「河原の大臣」として登場します。

 

小説を書くとき作家は、主人公のキャラを際立たせるため、このような手法を用いる事があります。マリオ・プーゾーが描いた「ザ ゴッドファーザー」にも、ニューヨークの五大組織のドンの、事績とキャラクターが盛り込まれています。

 

それを映画にする時、コッポラ監督はマーロン・ブランドーに見事に演じさせています。まず、容姿・スタイルは五大ファミリーのひとつ、プロファッチ ファミリーのドン「ジョセフ・プロファッチ」です。

 

そしてあのドン・ヴィトー・コルレオーネが話すときの「ゼェゼェ声」はフランク・コステロそのものです。

登場人物の名称にも、プーゾーに近かったゴッドファーザーの「ヴィトー・ジェノバーゼ」の名前を盛り込み、ニューヨークの大物のドンに万遍なく気を配ったようです。(あとが怖いので)(笑)

 

このような伝記的な映画を観るときは、史実や人物を監督がどのように描くかを見るのも楽しみのひとつです。

(創作の秘密や諸般の事情で必ずしもストレートに描けないシーンも有ります)

 

さらに主人公では有りませんが、パートⅡに登場するハイマン・ロスのモデルがマイヤー・ランスキーです。そして、モー・グリーンがバグジー・シーゲルです。また同じくパートⅡで若きドン・ヴィトー・コルレオーネや、幹部のクレメンツァとテッシオが拳銃の修理所に行くと、少年がフルートを吹いて、古いシシリー民謡を聴かせる場面があります。

 

あの人物のモデルがのちに音楽家になり、パートⅠ~Ⅲなどの映像音楽を手がけた、カーマイン・コッポラで、コッポラ監督の父親です。映像の中で父親が「カーマインあの曲を聞かせておくれ、古いシシリーの歌だ」というシーンです。

 

関心のある方はぜひ、アマゾン・ビデオネットフリックス、でご確認ください。

2016年2月14日☆阿部監督応援団の集まり

3月12日 ロードショー
3月12日 ロードショー

今年のクールジャパンの「事始め」イベントのひとつが先日14日にありました。恒例の阿部監督の応援団の遅めの新年会です。

 

今回のハイライトは監督の仙台一高同級生からの応援でした。まず、出だしは司会のセニョリータ(瀬成田)先生の美声と甘い歌声の「広瀬川恋歌」から始まり ました。先生は「NHKのど自慢大会」で二度の入賞経験者で玄人裸足、きっと、今の堅い仕事に就かなければ、音楽関係でも名を成したでしょう。また同じく 一高同級で独奏のチェロを担当して下さった方も、プロのミュージシャンでかつて山田監督の作品に音楽で出演していたそうです。 

 

さらには駄洒落の名手も登場で団長の津田さんといい勝負でした。仕上げに一高六人で校歌を歌って下さり、監督の青春時代を垣間見た感じでした。これからも「強力なる応援団」と心強く感じてまいりました。

2016年編1月1日☆年頭にあたって

「食は三陸に有り」乾鮑と帆立&フカヒレ入りのミニ正月料理
「食は三陸に有り」乾鮑と帆立&フカヒレ入りのミニ正月料理

明けましておめでとうございます。

新たまの歳も穏やかに明け、健やかな一年であることをお祈りします。

 

さて、恒例の年頭所感です。自分的には昨年あたりからスタートしたプロジェクトがスムーズに進行する事が願いです。

 

一方、社会情勢などの事でお伝えしたいことも数多くあります。それらも「追々ながら」と言うことで、お読み頂ければと思っている次第です。ただ、余り先 走ったことを書けないのは聖書に「徒に約束してはならない、神に誓ってはならない」という言葉が有り、自分ながら諌めているからです。

 

「神ならぬ身の上、どうして明日の事が分かるのか?」「決めるのは神である」という事です。

 

つまり神との「契約」は個々人がそれぞれに違うので、いち個人がたとえ約束したとしても、神からの信頼は一人ひとりに「個別」なので、結果は斑模様にしかならず、さらに誰かに誓っても「神を信じる者同士でなければ、叶いにくく」よって神に誓っても意味がないのだそうです。

 

従って(お互いに神を信じることを前提に聖書に基づいた結婚式での「誓い」はこのためにする)=「戒律を守り努めること」そのため、約束するよりも「神の存在を認めて」祈り・願い・求める=「信じる者は救われる」という事に意味が有るのだそうです。さらに同じく「求めよ、さらば与えられん」となるのだそうです。

 

反対に、それ以外の科学的に因果律の有るものは、説明・解析はある程度可能です。さらに「クールジャパン」「地方創生」「経済学研究」や小説は私の古くからのオリジナルなので、いよいよ佳境に入ります。

 

そこで今年の景気動向ですが、2013年1月の年頭に「デフレ脱却云々はここ5~6年は無理でも」と書きましたが、あれから4年目の春となりました。その間「黒田バズーカ」は2・5発ほど放たれ、市中銀行は資金のストック高のポジションとなっています。そして本年は多少これまでの市況とは違った動きになると思います。

 

ただ、せっかく日銀が大判振る舞いをしても、貸出資金は日銀の当座勘定にうず高く積まれたままで、なんら活用されていません。これではデフレ脱却云々は別としても、何のためのバズーカ砲弾だったのか・・・?です。

 

ちょうどアメリカの金利も高め誘導に動き始めました。大げさにいえば資金の流れが米国に向かうようになると国内金利も多少影響がないとは言えません。そうなると国債の支払い金利も上がることになります。

 

資金が金融市場にふんだんに有るのにも関わらず、たとえば賃上げもせず物価だけを上げようとして、悪性インフレになれば元も子もありません。企業はここ二十年以上もさほど賃上げもせず、多くは内部留保になってます。そのため景気も振るいませんでした。

 

資本主義経済(マクロ)での財政学や金融論の「資金循環」=(お金のポジション)は、大きく言うと政府・企業・家計を循環していると考えます。すると今回は政府・日銀がバズーカ砲でお金をバラ撒いたので資金は市中銀行及び企業側にあると考えます。

 

従って次は企業が研究開発費の投入や設備投資をし、これまで以上の価値商品を開発して売らなければ、給料も上がらず家計の収入も増えないのです。さらには政府の税収も伸びないと言う、経済循環のメカニズムになってます。

 

そこで、資金の有効活用の一例として

新産業の創出=「地方創生」の後押しや、海外発信のための知財コンテンツの創出=「クールジャパン」に積極的に先行投資をすることです。また「新しい公共」の「NPO」に活動資金を積極的に提供して(子育て支援等)をすること、さらに金融機関及び企業が社会的貢献「CSR」として、資金提供することも有効です。

 

                                          2015年編集