2021年                  ゴッドファーザー逍遥記

2021年4月1日 ☆ 『サクラサク』とゴ-ドン・リディのことから

2021年4月1日(木)   西公園・源吾茶屋前の桜
2021年4月1日(木) 西公園・源吾茶屋前の桜

いよいよ春です。さくらが咲きました。昨日、西公園通をバイクで走ると公園のさくらが咲いていました。なんでも三月中の開花は仙台での観測史上初めてだそうです。

 

おまけに満開の宣言まで出ました。そして例年は五月に咲くワシントンのポトマック河畔の桜も咲きだしたそうです。気候変動で仙台と付き合ってくれたようです。

 

ポトマックの桜祭りはとても有名ですが、私がJ・F・Kの取材のとき現地で観た感じでは、すこし樹勢が悪く、何でだろう?と仔細に見ると原因がわかりました。

 

結構さくらは水が苦手なようで乾燥地を好むようです。もともとワシントンDCのポトマック河の岸辺、沼沢地に植えられたので水分過多のようでした。桜はヒマラヤがオリジンで桜子(さくらんぼ)が鳥に運ばれ、日本に定着しました。簡単に交配しやすく種類も多いです。薔薇科なので中東の砂漠が発生で水分は好まないようです。

 

しかし、花見は日本を代表するお祭り文化です、毎年頑張って咲いてほしいですね。日米親善の象徴ですから。

 

ワシントンと言えば、ビックニュ-スが飛び込んで来ました。『ウォタ-ゲ-ト事件』の主犯「ゴ-ドン・リディ氏」が亡くなったそうです。以下記事を原文通り転載します。

 

(ウォ-タ-ゲ-ト事件の主要人物)米メデアによると3月30日、米南部バ-ジニア州北部にある娘宅で死去、

90歳。死因は明らかにされてない。近年パーキンソン病を患っていた。

 

連邦捜査局(FBI)勤務などを経て72年、ニクソン大統領(当時)の再選委員会幹部を努めた際、ワシントンのウォ-タ-ゲート・ビルにあった民主党全国委員会本部の盗聴を指揮。

 

実行犯グループは逮捕され、ニクソン氏を米史上初の大統領辞任に追い込む政治スキャンダルに発展した。

全国委本部への侵入共謀や盗聴の罪などで4年以上服役した後、ラジオ番組の司会者などとして活動した。

 

ベトナム戦争を巡る国防総省の機密文書「ペンタゴン・ペ-パーズ」を暴露した元国防総省のダニエル・エルズバ-グ氏の精神科医の事務所で71年に起きた侵入事件に絡んでも有罪判決を受けた        (ワシントン協同)

 

 

◎ とのニュ-ス記事ですが、これがどのように「ケネディ大統領暗殺」に絡んで、任期半ばのニクソン氏が沈黙したまま、真相を語らずに大統領職をクビにならざるを得なかったのかを解説しましょう。

 

 

ゴ-ドン・リディ氏は1930年にニュ-ジャ-ジ-州ホ-ボケンで生まれ、ニュ-ヨ-クのフォーダム大学で法学を学んだ。卒業後、陸軍に入り朝鮮戦争に従軍して、除隊後に弁護士を経験したあとFBIに入る。そしてFBIを出て1972年に二期目を迎えるニクソン大統領の再選委員会に加わることになる。

 

この時の上司がハワ-ド・ハントでウォタ-ゲ-ト事件のキ-マンだ。二人とも軍歴なども同じようなコ-スを辿っている。ただし、ハントは1918年生れで、ブラウン大学を出て海軍の諜報員になり同じく朝鮮戦争にも参戦し、東京の米国大使館で諜報活動をした後にCIAに入り大統領再選委員会に入った。(後に作家にもなった)

 

ゴードン・リディはこのハントの命を受け首都ワシントンのウォターゲ-ト・ビルに忍び込んだ。勿論、その命令はニクソン大統領から指示を受けてのミッションだった。

 

では、なぜニクソン大統領が彼らに「ウォ-タ-ゲ-トビルに忍び込こみ、内部資料を盗って、盗聴器を仕掛けて来い」と指令したのでしょうか? 実はそこには民主党本部が独自に調査し「ケネディ大統領暗殺の真相を究明した資料がある」との情報を掴んだからです。

 

共和党ニクソン側はその調査書の中に何が書いてあるかを知りたかったのです。しかし、事情を先に明かすと、この情報は民主党(ケネディ兄弟)側が仕組んだ囮り情報だったのです。仕掛け人は故ケネディ大統領とロバート・ケネディ司法長官の二人の兄を暗殺で奪われた末弟の、エドワード・ケネディ上院議員達だったのです。

 

なんとしても兄達の敵を討ちたい彼らが、暗殺の経緯を知っていて後ろめたさを持っている、ニクソンを嵌めたのです。ニクソンはある組織が大統領暗殺を企てた時、その隠蔽工作をするための共和党側のトップだったのです。そして当時、共和党、民主党共に相手に対し色々な意味で、監視や盗聴をしてその動向を探っていました。

 

そんな中で民主党側が「ケネディ暗殺に関する資料云々」と釣りの情報を流すと敏感に反応し食い付てくる組織があったのです、それがコ-ザ・ノストラを中心としたシンジケ-ト・(マフィア)です。その為、ニクソン大統領にもその「沈黙の掟」は適用されていて、話すことは出来ず真実を明すことなく辞任に追い込まれたのです。

 

◎今は関係者も少なくなりましたが彼らは常にかつての大統領暗殺の内部情報が漏れないか監視していました。

 

すると、ケネディ側は更に暗殺にも加わっていて、キュ-バや南米、ベトナム等でも麻薬などを扱って乱脈な活動をしているCIAも槍玉にあげ、この方面からも大統領暗殺の真相に迫る作戦に出ました。それがかのロッキ-ド事件をあばく米上院「多国籍企業小委員会」で泣く子も黙ると言われた「フランク・チャーチ委員会」です。

 

◎こうしてCIAの海外での数々の工作や隠謀が暴かれ、日本では児玉誉士夫などがタ-ゲットにされました。

  児玉誉士夫はA級戦犯に問われ巣鴨刑務所に入りましたが、当時のDIA(後のCIA)に協力するなら刑を免ずる      との条件で出所し、日本側のエージェントになる事を誓いました。佐々川良二、岸伸助、少力松五郎もです。

 

ちなみにこの「フランク・チャ-チ委員会に間違って資料を送った」と話題になりましたが、工作した日本側の人物は故笹川良一氏です。ピ-ナッツ・ピ-シ-ズの領収書の写しはダミーで、それらしく加工した物で何んら意味はなく、むしろ事件を喚起させるためで「あれらは間違ではなくわざと送った」と生前話してました。

 

動機は日本の自衛隊用また民間航空用の機種選定と導入に際し、田中角栄氏から不利益を被った(ロッキ-ド事件で自分の取り分のリベ-トを児玉氏に独占された事)と米国ケネディ家から要請を受けたと証言してました。児玉氏はロッキ-ド社から21億円の工作費を受け取りましたが、その使途は黙秘し明かされませんでした。

 

こうしてケネディ大統領暗殺とウォタ-ゲ-ト事件がロッキ-ド事件にリンクしてくる訳です。詳細は拙書

『J・F・K ダブルスティツ』とロッキ-ド事件『田中角栄・野武士の時代』の中で解き明かしています。これらを読むと全てが判明致します。さらには、ぜひこれらをシリ-ズ物の映像にして提供したいところです。

 


 

特報: 俳優の田中邦衛さんが3月24日、ノ-ベル物理学賞の赤崎勇さんが4月1日に亡くなったそうです。

田中さんは歌中一年の時に観た『海の若大将』が最初でした。その中で青大将の「船長命令だ」のセリフが学内でもはやり、さらに『若者たち』での長男役が、私達の青春の始まりと象徴を感じさせる作品でしたね。

 

私の中ではマ-ロン・ブランドーと並ぶ大好きな役者さんでした。''何んでも若いころ黒澤御大の作品に出てワンティク、一発撮りが出来たのが自慢だったそうです,,尊敬する倉本聰さんもその圧倒的な存在感を激賞してましたね。わたしも全くの同感です。

 

ノ-ベル賞の赤崎先生は、発光ダイオ-ドでも極めて難しかった「青色」の開発に成功しました。じつはそれ以外の「赤色」と「緑色」は西澤潤一先生が先行開発していたのですが最後の「青」だけはかなわず赤崎先生にゆずる形になりました。まっ、しかし、この色の三原色を日本が抑えた功績は世界の科学工業の中でも出色です。

 

そのようなお二人とゴ-ドン・リディ氏が亡くなりとても残念です。これが「サクラサク」から「サクラチル」になったようです。二十世紀の歴史を彩った方々でした。ただ、ただ、ご冥福をお祈り致します。合掌

2021年3月1日 ☆ 地震学(プレ-トテクトニクス理論)のこと

2・13地震 プレ-トテクトニクス理論の図説 河北新報 より転載
2・13地震 プレ-トテクトニクス理論の図説 河北新報 より転載

今月の11日で震災から十年です。このコロナ禍も含め、人の命や運命なども考えさせられる歳月でした。津波では多くのいとこ友人知人を失いました。

 

まだ、忘れることはおろか整理もついて居ません。

 

五学級のとき、担任の佐々木朗先生から「実はチリ津波で流された子供がまだ見つからないんだ」と打ち明けられ驚きました。

 

津波から八年たっていました。その時''ああ、先生はまだ探しているんだぁ,,と思い人生経験の浅い自分には重い教訓になりました。

 

その話をある人に何度も話ていましたが、3・11前にもそんな会話をして「探しに行かないからね」などと冗談めかしていましたが、直後にあの地震となり、複雑な思いを抱え込みました。

 

防災庁舎に居た二人の従兄弟と、志津川病院に入院してた 初恋の人のお母さんは、今だに見つかって居ません。本当に「どこに行ったんだろう」との思いです。

 

行方不明な従兄の一人は東北学院を出て「役所勤めなんか真っ平」とか言って少し離れた所に就職しましたが、結婚してやむなく地元に戻り入りました。その事は祖父母をとても喜ばせました。

 

そして、定年まであと20日という時に遭難しました。なんでも、総務課の金庫の鍵の扱いが決まってなくて親しい高校の後輩と話合ってたとの目撃証言です。その後輩というのが健(五学級)の長男でとても良い子でした。従兄は歳が私の三つ上でしたが、何故か疎遠でむしろ兄と仲が良かったです、気が合ったのでしょうか※

 

ただ、亡くなる一年半位前に姪の結婚式があり、その時、三時間位、じっくり話ました。その頃わたしが戦死した眞一伯父の経緯を調べていて、靖国神社や県庁の戦死者名簿の不備などがあり、母の実家の当主だった彼に、それらの史料を伝え渡すためでした。するととても喜んでくれて、初めていとこらしい会話をした思いでした。

 

その様子を見ていた姉が「珍しく二人で話込んでいたね」とやはり意外だったようです。運命のようでした。

式場で讃美歌を歌わされときも偶然近くにいて「昔習ったお陰で口パクでなくて良かったね」などと妙に話が合いました。

 

※しかし二人とも祖父譲りでB型だと気にしてました(笑)「へェ-それは良かったね、祖父と同じで光栄だね」と私が言うと、さらにもう一人役場に行ってるB型の従弟と三人で複雑雑な顔をしてました。私にしてみれば母もB型なので違和感は無かったので、可笑しくも不思議でした(笑) ちなみに私はA型です。(個人情報)です。

 

その時の四方山話に「何になろうとしてたの」とあらためて聞くと「教職を取って先生になろうとしてた」と聞きとても驚きました。噂では''自分の父が先生なので教職は嫌だ,,とか言ってると聞かされていたので、とても意外でした。確かに勉強家なので性格は先生に向いていたかも知れません?

 

私は勉強をしたことがないので皆さんの思い通り「絶対」に有り得なかったです、ハイ。ただ、この結婚式のあとに自分の著書『J・F・Kタブルスティツ』を贈ると「従兄弟達の中から作家が出てとても名誉で嬉しい」と、丁寧なお礼の手紙をもらいました。''これですでに亡くなった祖父母も喜んでくれるな,,と密かに思いました。

 

で、この従兄と昨年の九月に書いた『ブックエンドのテ-マ』での生家の分家「向の妻」の当主、三浦毅氏は更にいとこになります。二人ともこのように防災庁舎で行方不明になりました。我が家の複雑な姻戚関係の一端です。母方の従兄弟(従姉妹)だけでも二十人いました。早く家族のもとに帰ってくるよう祈ります。

 

それで次に先月13日にあった地震からです。そもそも地震の事はライフワークのようなものです。バイオの次に古いです。ちなみに何故バイオかと言うと例の生家の「出の妻」に樹齢八百年越の松の木があったからです。屋敷の東西に五郡松「こごうりのまつ」と言って、敷地の左右に五本づつ松を植えたんだそうです。

 

鎌倉から移り住む時に植えられたようです。それでも東側の五本は塩害で何度か植え代えられたそうで、あまり樹勢が良くなく迫力はなかったですが、反対に西側の五本うちの一本は直径が二メ-トル近くありました。さらに根本から上、十メ-トル位から三つ又に別れる珍しい黒の笠松でした。それはもう見事な松の大木でした。

 

ちょうど伊里前の西光寺の「サワラの木」のよりもちょっと太い、みごとな品格のある松の木でした。しかし、これが私の小学に入学する年の春に伐採されました。その最後に大地に倒れた時のさまが、大迫力でまるで地震のように地響きして「出の妻」が揺れました。

 

この前後、切られる前の松の木の下を通り、いよいよ入学で、するとこの自由な空間(出の妻)に居れなくなる事、さらに宇宙のはての事や植物(松)を通じて(生命)の事を考えてました。

 

そして、その二ケ月後にチリ津波が来たのです。このとき佐々木朗先生は志津川で娘さんを流されて亡くしたのです。そして大森先生は自分が住んでた「廻館」の大森城の石垣の上から津波が押し寄せるのを見ていた、と授業のとき何度か話してましたよね。佐々木先生のお嬢さんは私達と同い年だそうです。

 

ここから九年後、わたし達が修学旅行で東京に行ってきた一ヶ月後、五月十六日に十勝沖地震が起きました。この時初めて大森先生から地震のメカニズムを教わりました。この時も、すぐ津波が来て二階の十二学級の出窓にトシさん達とよじ登り、伊里前湾の第二堤防を海水が越えナイアガラの滝のように落ちる様を見てました。

 

ちょうどこの日、善昭氏が休みで海に出てるはずと思い随分と心配しました。前日に「明日海に行くので休む」と言ってたからです。しかし、次の日、無事に出て来て心配してた旨を伝えると「それよりもあと十日でそなたの誕生日ださ」と言われ「えっ」となり自分の誕生日が二十六日なのを忘れてました。

 

反対に自分より彼のほうが誕生日を覚えてた事に、とても感謝したのでした。華の歌中でワイルドな青春を過ごしてました(笑う) そしてこの日の帰りのホ-ムル-ムまでには津波騒ぎも小康を得て、先生が地震のメカニズムについて説明しました。わたしは「よっ、待ってました」とばかりに身を乗り出して、ご拝聴致しました。

 

それによると「地震と津波の原理は、まず、地震は海底下の地層に石灰層があり、そこに永年にわたり海水が浸み込み、やがて鍾乳洞の空間が出来、いずれ海底と海水の重さで崩落して地震が起き、その新しく出来た窪地に落ちた水が溢れて津波になる」との理論でした。先生の教へです。フムフム、疑う余地なし。私は信じました。

 

しかし、Not only but also and etc. 高校での物理の時間のことでした。本当いうと、当時はまだ地震のメカニズムは不明とされていた時期でした。まっ、今でも必ずしも確定してるとは言えないですが・・・たまたま地震のメカニズムの話になり、わたしは中学で習った前述の大森理論を臆面もなく披瀝しました(笑う)

 

すると斜め前のあたりからボソッと「ちがうよ、今はプレ-トテクトニクス理論といって海底の岩盤プレ-トが動くと言う仮説が出て来てるよ」と、のたまうではありませんか。誰かと思いきや、時々、数学で百点取って「やった やった」と両手をあげてガッツポーズをするのが有名な、某階上中のカッチンじゃありませんか。

 

ちなみにあとで何故「カッチン」なの、と''ある人''にたずねると、本来はカッチでカッチンは変化バ-ジョンのようでした。なんでも子供のころの「テレビ漫画の主人公から来てる」との話でした。(個人情報)です。

 

と言う訳で早速、私は図書館に駆け込み調べたのですが、有りませんでした。カッチン恐るべしです。どこで知ったんでしょう。そこから、私の「プレ-トテクトニクス」の密かな研究が始まるわけです。ただし、この時点で、自分の不明を恥じる必要はなく、高校の地学にプレ-ト理論が初めて載ったのが1974年だそうです。

 

まさに後学の事となってしまいました。そんな密かな研究の中で起きたのが1978年6月12日の「宮城県沖地震」でした。しかし、このときもプレ-ト理論に触れらることは一切有りませんでしたが、自分としては間違いないと確信が進みました。(約40年周期の地震の存在は以前からある程度想定されてたようでした)

 

そしてこの度の3・11も40年周期の「宮城県沖地震」をタ-ゲットに警戒しておりました。そのため揺れ方もせいぜい30秒から1分と思い、ベランダの太い柱にしがみ付き辛抱してましたが、なんと3分に達する長い揺れで想像を遥かに越えました。さらに震源の深さが約24Kmで、宮城県沖の40~60Kmの約半分の深度です※

 

※ 従って、当地域はまだ揺れ残ってる可能性があり、改めて40年周期の「宮城県沖地震」にも注意が必要です。この揺れが後に述べる「海嶺」や「海山」のなごりがプレ-ト境界(摩擦面)の中程、途中に引っ掛ってる「固着域」の可能性があるからです。

 

そして時間をかけて研究し、この地震津波が「プレ-トテクトニクス理論」由来である事が、自分の中で確定しました。しかし、気象庁もマスコミもその名称には一度も触れないです。しかし、解析では上の写真のような説明をしています。あれこそがプレ-ト理論そのもなのです。そして次に予知についてです。

 

しかし、ここまで来ても予知は今だ実現しません。それでもプレ-トの数や動く方向がある程度判明してきたので、とくに日本海溝付近の揺れの手掛かりはつかめるかも知れません。それには、事前に探査しなければならない事項もあるのです。それが前述の「海山」の存在です。以下説明致します。

 

まず、日本列島が載っかてるプレ-トはよく言われる、ユ-ラシアプレ-ト、太平洋プレ-ト、北米プレ-ト、フィリピン海プレ-トの4つで、この内、三陸に関わり影響を及ぼすプレ-トは北米プレ-トと太平洋プレ-トです。基本的に地球はまだ若くて球体そのものが成長途上で膨張中なのです。その証拠が火山の造山運動です。

 

とりわけ太平洋プレ-トは米国のカリホルニア沖で誕生し、西に向かい年間約10Cm移動し、日本列島を目指して西進します※その海底火山が太平洋の途中で海面に顔を出したのがハワイ諸島です。この海底の地殻が動く事を「プレ-トテクトニクス理論」と言ます。よってハワイ諸島はやがて日本と繋がり列島の一部になります。

 

※ 反対に東進するのがカリホルニアのサンアンドレアス断層で、サンフランシスコ地震に影響を与えてます。

 

こうして日本列島に押し寄せた太平洋プレ-トは北海道や東北地方が載っかてる北米プレ-トに乗り上げるのではなく、海側のプレ-トは重いので下に潜り込みます。このとき出来たのが日本海溝でプレ-トとプレ-トの境目です。ものすごいプッレシャ-を地殻にあたえ海面から一万mも海底を凹ませて(トラフ)溝を造っています。

 

列島の東から押し寄せる太平洋プレ-トにぶつかられて上下にすれ違った地殻の上方、北米プレ-トは大体1m位まで下方にメ繰られ、引き摺り込まれる歪みのストレスに耐えられますが、約千年単位でその不自然な態勢を、土の安息角を求めて一気に解消しようとします。それが今回のような千年に一度の大地震です※

 

※ただし、その途中に40年及び400年に一度位にも蓄積した歪みを解消するため地震を起こす「固着域」があります。上図の先月二月十三日の福島県沖の地震もそのメカニズムの可能性ありです。

 

そのため予知をするには地殻の歪みの溜まる時間と速度の(積分)Aと、地殻が載る列島地域のプレ-トの重さBとプレ-トの接地面が解放する摩擦係数(微分)Cが解り、更に潮汐の周期と出来ればマグマの動きが分れば、ある程度の計算が出来て何時発生するか分かります。しかしこのCの摩擦係数で隠れてる探査事項があるのです※  

 

※それが例えば先ほどのハワイ諸島や小笠原群島などの海底に潜んでいる「海山」です。太平洋の海底は必ずしも平板ではなく海嶺や海山で凸凹になってます。少し大げさに言えば、富士山の山頂が、日本列島の下のプレ-トにゴリゴリと潜り込んでると、イメ-ジして頂くと分かりやすいです。(伊豆半島は潜り込まず列島に接地)

 

実はこの海山が陸側のプレ-トの下に潜り込んでいる事に誰も気が付いて居ないのです。ただ、その現象の根拠はあります※1 それが「固着域滑り」で時々、急激な地震でストレスを解消しているのがそうです。一方「ゆっくり滑り」※2は数ヶ月かけて滑り面の摩擦エネルギーを解放していて大地震の前には此方が先に滑ってます。 

 

※1 日本列島の太平洋側の海溝地図を丹念に見るとかつての島が半分まで潜り込んだ海山の痕跡が見られます。

※2「ゆっくり滑り」とはプレ-トどうしが固着せず、普通に上下にすれ違っている所に海水が潤滑油の作用をしてゆっくり動いている接点です。最近判明しました。固着域と並びこれからの研究が待たれるところです。

    

従ってこれらの(仮説)の計算を成立させるには、どうしてもこの「海嶺」や「海山」由来の「固着域」を徹底的に探査する必要があるのです。(Bの重さの単位は大きくなりますがスパコンで計算可能です)

 

こうして震災から十年と言うことで、以下の経緯となり、これが私の十代から探究して来た地震のメカニズムに関連する一連の出来事のひと括りの結論となったようです。さらにCOVID-19ウィルスによるバイオ関連の事も合わせて,これまで研究して来た※「答えの無い未知な学問」に、ここに来て(仮説)でも大結論が出せました。

 

※ 十年前に『Don・Vito青春記』の「歌中卒業」時を描いた以下の文書を敷衍した形になりました。

しかし、そこにはこれまでの日々の研究から想定していた、真の「歌中魂」が必要とされる、乗り越えなければ成らない国難と、新たな時代が待っていました。です。

 

◎ その巡り合わせを根気よく読了くださり、歴史の証人となられた皆様と神に感謝を申しあげます。「ケネディ大統領暗殺」の謎「ウォタ-ゲ-ト事件」の謎「田中角栄・ロッキ-ド事件」の謎など事件の真相を開明し「新型コロナウィルス」や「3・11 地震・津波」の解明と災害対策の提言を行い新たな地平を開きました。

 

これらも書籍及び映像化でシリ-ズ物として残したいと思います。これで北杜夫先生的に言えば God father

作家 Don・Vito・Fumioneとして、多少人類の困難や謎を解く事が出来たのかな? との思いです。また次の森羅万象のテ-マに向かって、大勢の読者の皆さんと楽しみながら歩んで参りましょう。よろしくです。

 

(令和3年)3月11日(木)東日本大震災の十年後の朝日新聞の結論(社説)
(令和3年)3月11日(木)東日本大震災の十年後の朝日新聞の結論(社説)

結論として、2011年3月に政府と朝日新聞に提言した震災復興案に対して、十年後の三月十一日(木)にこのような総括・社説が掲載されました。

 

概ね自分の提案は九割方理解され、採用されたと思う次第です。内容の細部についてはあくまでも住民自治が当然なので、結果において多少凸凹が生じるのは、やむをえない誤差の範囲内と思ってます。

 

いずれにしても、災害は逃れられず、前もって心の準備もインフラの整備も必須です。さらにどこまで備えれば良いんだと言う議論もあり、いつも答えは未知数です。

 

しかし時代の進歩と人知の働きで多少の隘路はあっても、何時かは力学的な解決策に到達するものと思います。あくなき探究の道を進むしか有りません。

 

そんな意味でも、まだ提案中で未達成の「防災庁」の設置を新たなコロナ感染症対策も含めて重ねて提言する次第です。よろしくお願いします。

以上です。

 

追伸:六日に気仙沼湾横断橋の「かなえ大橋」が開通したようで、おめでとうございます。これで約束のオリンピック年に間に合いましたね。これが宮城県の復興インフラのシンボルにもなり、訪れる観光客の方々に震災からの、復興物語やスト-リ-&エピソ-ドとしても組み込まれ語り継がれる事と思います。

 

◎私も24日(水)に渡ってみました。完成までに時間を要しましたが、出来て走ってみれば最高の気分でした。

 

とても良い観光名所がまた1つ増えましたね「かなえ大橋」がサンフランシスコのゴ-ルデンゲ-トブリッチ、そして「大島大橋」がニ-ヨュ-クのブルックリンブリッチと呼ばれるでしょう。そのためにも早く四車線化を目指し、出入口も全ての上下線で出来るようにしましょう。(同じ観光地として歌津北)も含めてです。

 

大急ぎで造ったのでちょっと不備な所もありますが、この高速道は私的には常磐道がまだ高萩市や北茨城市あたりを工事中に、三陸にも延長するよう各方面に働きかけ、さらに復興予算にもご理解頂き早期に実現しました。

そして三陸道が本吉・気仙沼地方及び岩手・八戸方面までの発展に寄与出来る事を心から嬉しく思う次第です。

 

次は震災の悲しみと復興の栄光を後世に伝え残すためにも『タイタニック』のような映画を作るのが目標です。最後まで読了のこと、さらに感謝申しあげます。どうも有難うございました。

 

◎ 3月29日(月)朝、旅行から五十年、これで『Don・Vito青春記』パートⅠの完結となりました。

  「ショ-ほど素敵なものはない」 これから更にまた次の舞台・ステージに向かって参りまショ-!

震災の痛手は一朝一夕には消えません。しかし生ある自分は研究・創作で「世の光」になればと思う次第です。

2021年2月1日 ☆ 「mRNAワクチン」のことなど

仙台VIO技術研究所 【研究者番号70631125】
仙台VIO技術研究所 【研究者番号70631125】

いよいよ2月です。新型コロナは先月27日に全世界で感染者数が1億人を超え、亡くなった方も200万人を超えました。東京都の感染者数も本日10万人を超え、全国でも間もなく40万人に達するそうです。亡くなられた方も国内で6千人を超えました。

 

反面、その特徴も見えて来て、依然として医療現場の困難はかわりませんが、予防対策としての方向性はなんとか掴めてきました。

 

従前の手洗やマスク、三密での予防の重要性は相変わらずですが、これからは集団的免疫のワクチンがテ-マになってきました。

 

そこで「mRNAワクチン」のことです。ワクチンとは人工的免疫物質です。作り方は疾病により様々ですが、インフルエンザワクチンの場合は、ニワトリにインフルエンザを感染させ、その体に抗体を生じさせてから玉子を産ませて、その鶏卵からワクチンを抽出します。これを「生ワクチン」と呼びます。

 

そのため大量の鶏卵が必要となり、さらにニワトリの玉子では小さくて、効率が悪いのでもっと大きな駝鳥の玉子を使います。しかしダチョウの卵でも全世界の人々のワクチンを作るまでには長時間かかるので、今、いまには間に合いません。

 

そこで今回はもっと効率良く、「COVID-19ウィルス」の感染スパイク蛋白質に蓋をする株を作り、その遺伝子「mRNA」※1を持たせ、無毒なウィルスに感染させ、その抗体・ワクチンを大量に培養して、さらに、ポリエチレン グレコール(脂質)でコ-ティング(包込み)して製造します。

 

それを人類の体細胞液の濃度と同水準※2になるまで生理食塩水で希釈したものを人体に注射で接種します。

 

※1 メッセンジャーRNAと呼びます

※2 浸透圧を調節しなければならない。

 

そのため細胞液濃度に年齢などの個体差があり、注射の後に痛みや注射痕、しこりが残ったりします。なので一度に全量を接種しないで二度に分けて安全性を見ながら投与します。そのほうが体にとってもワクチンの認識力が上がり一度の接種より効果が二十倍高まると言われるからです。

 

このワクチン製法は従来の生ワクチンの作り方から見れば、遺伝子操作を有効に使う画期的な製法で、普通ならワクチン開発は十年かかると言われます。

 

そしてどの薬にもある副作用・副反応はこれも個人差はありますが、やはり、起きることは防げません。ただ、現在、このコロナに打ち勝つには、この新製法の「mRNAワクチン」を試して見るしかありません。副反応はアレルギーの既往症持ちの方の懸念は同じで、その他は悪寒や発熱の偽風邪と同じ症状が出る事があります※

 

※ 元々コロナウィルス由来のワクチンなので、体は自動的に「風邪に罹った」と誤認して反応するからです。

 

そのため、もし好成績を上げ、その予後にも問題がなければ、昨年ノーベル賞に輝いた「CRISPR-Cas9」と並ぶ、バイオテクノロジーが全人類を救う、偉大なる成果となるかも知れません。それ程画期的な発明です。良い成果が得られるよう祈ります。

 

さらにこのワクチンの製法が成功となれば、今後、新たなコロナ変異株が発生しても、一週間でレシピ(設計図)を書き直せるので、新クラスターが現れた時点で、個別に投与が可能となり※、大きなパンデミックを防ぎ、素晴らしく有効なワクチンとなります。全世界のため良い結果になる事を God bless you 神に祈ります。

 

※ 予め各国内にパテントフリーのワクチン製造の施設を保持して置くことが望ましい(WHO)に提案します。

 

あと、ワクチンの手配と注射器の性能の関係で、日本で1千2百万人分のロスが発生してしまう、という話が浮上してますが、1千2百万人というとほぼ北朝鮮の人口の半分ですね、彼の地でもワクチン取得はCOVAX頼みだそうですが、それが何時手に入るのか、また、拉致被害者にも行きわたるのか?本当に真剣な人道問題です。

 

いっその事、日本の赤十字が板門店まで出向き、直接拉致被害者に接種するのはいかがでしょう。これを断るのは後世代まで語り継がれる悪行です。北の為政者の方々真剣に検討してください。あとで帰国前にコロナで亡くなっていた、などの悲劇は絶対に避けてください。なんとしてでもワクチンを拉致被害者に届させてください。

 

※ 国連の人権委員会も難民キャンプでの接種などと並び無関心では居れないはずです。これを機会に北朝鮮拉     致被害者にもすみやかにワクチンが行き届き、拉致そのものも根本的に解決されるよう催促します。

 

 

追伸:そんな中、ニューヨ-ク ヤンキースからエ-スの田中将大投手が仙台に帰ってくるそうです。これで明るい春の陽光と共に球場に行く楽しみが増しましたね。一日でも早くソ-シャル デスタンスを気にすること無く、以前のように試合を観戦出来る日がくる事を期待しましょう。

2021年1月1日 ☆ 年頭にあたって

皆様明けましておめでとう御座います。全人類にとりまして、やれやれの一年があけました。小生も難儀だった歳を忘れようと、昨晩は除夜の鐘を聞くこともなく9時には寝てしまいました。

 

起きて見ればそれでも風はふいていて、おまけに雪の朝でした。明けてみれば今年のコロナはどうなるのか?オリンピックはどうなるのか?今年10月に公開延期になった米国の『JFK』関連文書はどうなるのか?など、明けてもテーマは尽きないようです。

 

そんな中、年越しを病院を支えるために心をつくされてる方や、世の中のシステムを維持運行されてる方々に感謝と御礼を申し上げます。多くの人類が平和で安定した日常が一番と感謝しております。

 

復興も震災から十年でタイム オブ チェンジとなり、いよいよ腰を据えてSDGsなどロングレンジで発展を考えなければならない時期が来ました。

 

 

 ともに力を出しあってこの難局を乗り切りたいと思います。どうぞ本年もよろしくお願い致します。

 

 

                                                                                   2020年編集