2010年                                      ゴッドファーザー逍遙記

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政治・経済・社会科学

2010年7月17日☆「政治の安定へ大統領制導入」という考え方

今日の河北新報の「声の交差点」に60歳代男性の意見として、この間の参議院選挙の結果を踏まえて、先の見えない政治の混迷を憂い、希望を見出せいない現状から、この国の代表者の新い選び方を提言している。

 

氏いわく「政治の混乱の源は、わたしは国の首相の選び方にあると思う。この際、日本は思い切って大統領制を導入すべきではないだろうか」<原文抜粋>と言うものです。

 

この佐藤某さんという方は、下のお名前を見ても私の知っている方ではない。ただ、今の政治の混迷を目にするに当たり、多く人が抱く感想ではないだろうか。面識は無いように思えるが何処かでお会いしたか?、奇しくも同感です。

 

実はこの「大統領制」については、民主党が立ち上がる際に、私に助力を求められた時、その参加、協力をする上で、「道州制」と共に真っ先に掲げた運動理念でした。従って多くの方が突飛な意見とは言いながら、私のこの意見に賛同してくれました。

 

まさに「言い出しっぺ」です。また、それらにインスパイアを受けて、宮城大学の糸瀬さんらが提唱していたイタリアの「オリーブの木」という「首相公選制を」標榜して、衆院選を戦ったことも有りました。これは高橋道郎さんが薦めてくれました。

 

 

当時掲げた運動理念がもう一つ有り、それが15年以内に民主党が政権を取り、鳩山さん、菅さんが総理大臣になると言う事でした。

 

で、その後二人は私が予測したより、三年早く総理になりましたが、その分無理した勢力拡大策が裏目に出て、今、その桎梏に足を取られていて政治が停滞しています。これでは、国民にお詫びしなければならない。放って置けば財政破綻も目前、政局どころではないはずだ。

 

 

一国の代表がこんな政策以外のテーマに煩わされて、まともに政治が出来るのだろうか?。

当時掲げた三つの理念、目標の内ひとつは実現し、「道州制」は道半ばにあり、「大統領制導入」はこの政治の混迷をみれば、いずれ、辿らなければならない道程にあると思われる。

 

議員内閣制は今の時代には、「あまりにも国民から求められる」「スピーディな判断には対応出来ない」「制度的限界が有るように思われる」。英国は18世紀から導入、日本は明治憲法に導入してから130年、どちらも、とても日々の「タイムリーな政治」が「達成されているとは言い難い」と思われる。

 

以上、市民からの「大統領制導入」という意見に対しての、私の年来の感想でした。

 

やはり。初めの鳩山さんの理念通り、外部勢力に頼ることなく「熟し柿戦術」が正しかったような気がする。予定ではあと三年後だった。その急いだツケがこの国の「首班公選制」という事だろうか。運命を感じます。「急がば廻れ」。蛇足です。

2010年6月2日☆鳩山首相辞任

1997年から共に活動し、12年目に総理になった鳩山さんが惜しくも、総理を止めた。当時、菅さんも鳩山さんも50歳前で、初めて会った頃は二人とも49歳だった。二人はいずれどちらも、総理になると確信していたが、鳩山さんが先になり、あっけなく止めた。もう少し続けるもと思っていた。

 

あの頃は浅野さんの選挙、岡崎さんの選挙で、毎週交代で菅さん、鳩山さんが仙台入りしてた、そのため当時、発足したばかりの民主党はまだ知名度がなかったが、この二つの選挙が「宮城の乱」と全国放送で喧伝され、ようやく認知されるようになった。

 

したがって、民主党が今日あるのは仙台の御蔭で、その事は誰よりも菅直人さん、鳩山由紀夫さんが一番知っているはずだ。

 

また、もし、その事を「知らない」、「違う」と言う民主党議員がいたらそいつはあとから、こちらが景気が良くなって、日和見で来たか、当時、何もしないでサボッテたか隠れてたか、モグリだ。

2010年5月23日☆北の惨状「人権安保理」の発想

韓国の哨戒艦の沈没の原因も北の仕業と固まるようですが、それにしてもやり切れないのは、一向に進まない拉致問題の解決と北朝鮮の住民の困難な生活です。

 

人類はそのコミニティーの中にどうしてもリーダーが必要です。その原理は何のことはない、生物学的に言って子育てをするようDNAに書いてあるからです。

 

つまり、子育ての期間中に家族を父親が他の集団、外敵から守るのが原型です。

 

でも、時々ある集団は群れのリーダーにふさわしく無い者を持つことがあるのです。これがその集団、コミニティー、職場の災難となります。

 

北朝鮮は今その最たる悪環境の渦中にあります。近代史で迷惑だった指導者はヒトラー スターリン 東條英機などが常に上げられます。

 

人類史の中でもっともその事に敏感だったの中国人です。彼らは社会が飢餓や災難で被害を被ると、その指導者の人間性とその人の持って生まれた姓名「運」に問題有りと考え、指導者の姓名を変えようとします。

 

これを易によって換えようとするのが、(易姓改革 易姓革命)でこれが発展したのが姓名判断、占いです。

 

しかし、これはほとんどスピチアルなものですから、当るも八卦、当らざるも八卦で、おまけに新任の皇帝もいずれ勝手放題、統治能力が問題となります。そのため、人民は政府よりも個人対個人の信用がものを言う、人治社会となるのです。

 

そしてそれが高じてどうにもならくなると、ある強力な人物が現れ、暴動、反乱、革命となるのです。

 

それを北朝鮮は20世紀になって社会主義革命で実行しました。しかし、近代革命は主に封建主義打倒にありました。たしかに北朝鮮革命は第1代は封建社会から解放したように装いましたが・・・

 

しかし、2代、3代と世襲して、また、封建社会に戻してしまいました。

 

ここで、封建社会とは何かというと、それは、天帝もしくは皇帝から領地と権力基盤を与えられ、それを世襲すると言う政治形態のことです。

 

そのため北朝鮮はせっせと、宗主国「中国」に、ご機嫌伺いに行かざるを得ないのです。中国は社会主義を標榜してますが、周辺国の安泰のためなら、多少厄介者の北朝鮮でも歴史的に面倒を見ざるを得ないのです。

 

ただし、「世襲だけは絶対にまかりならん、それでは封建社会ではないか、馬鹿者」と思って忠告しているのですが・・・

 

北の馬鹿旦那、いや、もとい、北の元、若旦那は政権交代したら、「ワシはチャウチゥスクになってまうニダ」と言って権力を手放そうとしないのです。

 

こうして、20世紀から100年以上続く朝鮮の悲劇は21世紀にも引き継いでしまいました。

 

かつて、日本もアジアの安定という大義名分で、彼の国にテコ入れしょうとしましたが、途中から、帝国主義という熱病におかされた軍部指導者によって、一部居直り強盗みたいな印象を与えてしまいました。

 

その失敗から戦後彼の国から、距離を置てたのですが、拉致問題などでさらに関係が悪化してしまいました。とても残念です。

 

私の予想として、次にまた、権力基盤が変わるのは、戦争か反革命かと思います。

 

もし、それに代わる人類的叡智とは何かと思い巡らせば、現人類の発展段階からいえば、国連の安保理と同じレベルで「人権安保理」という観点で、人権的に余りにも問題ありとされる国家的指導者に対し強制査察、国際人権裁判が必要と思われる。

 

かつてのユダヤ人虐殺、カンボジヤの虐殺、北朝鮮収容所ではなにが起きてるか分からない。ここでは自然災害や戦争で死んだ数より多い人命が奪われているかもしれない。

 

もはや、これは事前に見過ごしの出来ない人的災害と思われる。

以上 「人権的安保理事会と言う考え方」でした。

 

 

 

 

2010年5月11日中国の空母艦載機の決定とか

中国の航空母艦に搭載する、艦載機15機が完成したもうようだ。モデルはロシアのスホーイ33をコピーしたとのこと。

 

それにしても、今時、空母なんて呆れる。どこの国も少し国力がついて、技術力が向上すると、海軍を持ちたがるので、気持ちは分からんでもないが、それにしても無茶だ。悪いことは言わんから止めたほうが懸命だ。

 

いったいに、空母を作りまともに運用するのにどれだけのお金必要か分かってないようだ。今に始めたを後悔する。それだけ、航空母艦郡とは金食い虫だ。

 

まず、船体を作って、15機程度の艦載機の運用では、話にならない、アメリカの艦載機は約100機単位の運用だ。それに、エンジンは原子力でなくては、ひと月ごとに燃料を補給しなければならない。相手は3年間無補給で動きまわる。勝負にならい。

 

また、艦隊が出来てもその運用でアメリカ艦隊を脅かすのに100年はかかる。技術的にも発進カタパルトがうまくいくか、アングルドデッキの特許はどうするのか、スキージャンプ方式の垂直離着機では空母の機能は半減以下3分の1だ。それで、旧ソ連もまともな空母を作る前に体制が崩壊した。

 

また、多分、艦隊が出来ても50年間は運用試験で終わる。そして、永遠に失敗のデータだけは積み上がる。他の先進国は空母をなんて、金食い虫で運用困難なので、規模を小さくしている。あの大英帝国海軍がいい例です。通常型空母は持たず、垂直離着機で運用している。

 

そして、永遠と相手国の空母郡のモデルチェンジに対抗しなけばならい。膨大な予算が永遠と必要となる。旧ソ連はこれでギブアップした。そして、国も崩壊したので、空母戦略をしばし諦めた。日本の勝海舟も嘆いたように、海軍とはそれだけ金食い虫なのだ。

 

逆に海軍から、一円の収益も上がらない。これで収益を上げるには戦勝国が敗戦国に賠償金が請求できる、植民地時代、帝国主義時代に戻さなければ、一元も一ルーブルも稼げない。まさか、いまさら中国とロシアが封建社会、植民地主義、帝国主義を標榜するとも思えないが、、、。

 

また、空母の決定的な弱点は潜水艦に弱いこと、いざ出撃となって港を出るとそこには、原潜が潜んでいて、軽く魚雷1発を食らって終わり、先日の韓国の哨戒艦と同じ運命です。

 

そうなると出撃するだけで、自殺行為といわれ、港の奥に鎮座して、陸上滑走路ほどの働きも期待できないと言われます。

 

おまけに、アメリカの軍産複合体から、ありもしない脅威論が出て、また、日本に「イージス艦を買え」の、「対艦ミサイルを買え」のと言われます。

 

確かに旧ソ連の例も顧みず、ロシアがまたぞろ、空母に金を掛けようとしてますが、どこまで続くんでしょう。悪いことは言いません。中国の賢い方々もロシアの世界に疎い方がたも、無謀な冒険主義はアジアを決して豊にしません。逆に某国の思う坪です。止めたほうが懸命です。

 

2010年5月10日☆欧州中央銀行のうごき

ギリシャ危機で、ECBがギリシャの国債を買い支えることを、EU内の各銀行から求められている。

 

当然の思惑とも思われるが、今後が注目される。いずれ、インフレになるとも、今はこの手を使わざるを得ない。さらなる、緊縮財政と増税以外手はない。

 

ただ、ギリシャの国債を買い入れたECBは、いかにその資金をインフレにさせず、EU経済内にまぎれ込ませるか。そして、ギリシャにペナルティか財貨のキープをせまるか。

 

新しい管理通貨の枠組みと、ルール作りとして、ECBに徴税権のある程度の移行、財貨の強制管理というような、厳しい声も出るだろう。

☆ エんターテイメンツ

2010年7月23日☆「相馬野馬追い祭り」が始まりました

ルーツの話

今日から恒例の「相馬野馬追祭り」が始まりした。期間は25日までの3日間で長丁場です。

以下に書きますが、祭りは起源がはっきりしないほどの、古くてトラディショナルなものです。こちらにはその伝統にかなわないと思うせいか、以前から「野馬追いを二度見るものは○○だ」という、負け惜しみみたいな言い伝えがありました。

 

確かに毎年祭りの始まる頃と、梅雨明け、そして、土用の丑の日「うなぎの日」が重なり、なんで、こんな蒸し熱い時期にと訝っていました。ただ、モンゴル草原にも「ナーダム」とか言ってこの時期に夏祭りがあり、同じような競技を未だに続けているので、ルーツが同じモンゴル高原の日本の武士も暑さなど関係なく、この時期に運営されても何ら不思議がないかも知れません。

 

このモンゴルの夏祭りのハイライトは10代の少年少女達による草競馬です。およそ40キロメートルをゴール目指して駆け抜けます。相馬にも有りますが、こちらは騎馬武者が1200メートルの雲雀が原を駆け抜けます。それでも、近くで観ると中々勇壮です。 

 

そして、相馬氏と言えば、我が家と同じ桓武平氏の流れを汲む者、まして、明治維新で碌を失い、いまや、かつての自分の領地に「馬場」と言う地名を残しただけの我が家と違い、彼らはいまだに騎馬民族の伝統を守り残している事は、ほぼ奇蹟に近いと思います。

 

これと同じくらいの歴史と伝統を持ってるのは、今では英国の王室ぐらいであろうと思われます。そもそも、相馬氏も我が家も坂東八平氏といって、桓武天皇の孫「高望王」が都の貴族階級に残れず、臣籍降下になって、天皇の臣下になり地方官「相模の守」になって下向してのが始まりでした。

 

なぜ、貴族、公家になれず、武家になったかは簡単で、その訳は桓武天皇の出自にありました。本来、桓武天皇は光仁天皇の皇太子、長男ではなく、まして、母親が「高野新笠」という側室腹で、「東の漢氏」「西の文氏」という渡来系出身の身分だったので、そのため、それらの子孫は皇室の慣習で長く皇族に留まれず、やがて、臣下いう身分に下り、地方の国守などになって赴任していくのが恒例でした。これを「臣籍降下」と言います。

 

「東の漢氏」というのは「ヤマトのアヤウジ」と読み、三世紀頃、仁徳天皇が「珍王」と名乗りまだ、中国東北部山東地方にある安東市の都督、兼、安東将軍の地位にあった時、それに付随する外交官、駐留大使などの末裔が、後に日本に「倭の五王」が誕生すると、中国から一緒に渡来し「阿知使主」という称号を貰い、 大和の平群に住み、元々中国の宮廷官僚の末なので、文物にも明るいので、日本の朝廷でも官吏として仕えました。

 

一方「西の文氏」というのは「カワチのフミウジ」と読み、高句麗の好太王が百済を攻撃したので、日本が加勢した時、一緒に日本に亡命し河内に住んだと思われる帰化人の末です。 

 

ちなみに「阿知使主」とは「アチのオミ」と読み、元中国の外交官の末裔なので、「あちらの使い主」外交官という意味です。

 

この中から後に女官となり朝廷に昇り、やがて天皇の妃になったりして、日本の皇室と深い姻籍係を結び、後の武士階級の始祖となる人が出るのです。多くは関東に赴任して、坂東八平氏のもとになる。三浦、千葉、横山、土屋、土肥、二階堂、秩父、朝比奈氏がその関東武士団の始まりです。中心地は相模国の三浦半島の鎌倉や現在の小田原市が首府です。

 

 当時、663年の白村江の戦い以来、大陸での戦闘がモンゴル式の騎馬戦が最新の戦闘法なので、新羅からの捕虜を北陸道、東海道に住まわせ、その騎馬での戦闘様式を家伝として、伝え残したのです。そのため騎馬戦の得意な「武田の騎馬隊」の先祖が新羅三郎義光なのです。彼は源氏の棟領「源ノ頼義」の三男で悪源太義家の弟です。

 

また、義経が騎馬戦を得意としたのも、先祖が同じ源氏だからです。それで、後に徳川家康が「海道いちの弓取り」「源氏の棟領」などと名乗ったのはここにルーツがあるからです。その時の軍事訓練を、千葉氏の流れを引く、相馬氏も当時の関東での戦闘方式、騎馬戦を取り入れその訓練が野間追い行事として、現在まで引き継がれたのです。

 

 

次に身分制度ですが、臣籍に降下して地方官になる者の位は普通、国守の子孫は生まれた時から、正妻の子、長男は、「六等官」を貰い、三年置きに「都」に上り御所の務めを果たし、成績が良ければ、後に地方の「介」の位をもらい、国守の「次官」に任命されます。

 

ちなみに、当時から身分制度(公務員制度)は大化改新で制定され、約五十年後に引き継がれた大宝律令にそのまま踏襲されます。中身は現在の公務員規則とほぼ変わらず同じです。まず、役人(公務員)になるには、天皇の子孫が優先され、貴族、公家、地方官となります。その序列はその時代の天皇に血筋が近いほど優遇されるは何時の時代も同じです。これは明治政府も引き継ぎ、一部終戦まで続きました。

 

で、位階(身分)は1等級から8等級まであり、現在の公務員が初級公務員になると8級から始まるのとそのまま同じです。受験資格は貴族の子はほぼ無条件で5級から始まり、地方官の子孫は国守の長男は6級から始められます。

 

それ以外や身分の無い者は地方では、国分寺や観音寺という官寺に入学して2~3年勉強して、試験を受けて、合格すれば8級から始められます。都では冶部省というところで、貴族の出自や身分管理をしてますので、ある年齢になると今の学習院と同じ学校で学びます。これは大学までありました。

 

つまり、古代も中世も役人になるには、多少の読み書き、教養が求められました。ちなみに相馬氏の祖先の一人と言われる、平将門は相馬の小次郎将門といって、長男でなかったので位階が無く(公務員として認められず)、自から反乱を起こし成功して関東天皇と名乗ったようです。

 

また、就業規則も現在に似ていて少しだけ違うのは、現在は父母の忌引き休暇は10日ですが、当時は6ヵ月間喪に服しました。病気休暇も現在とほぼ同じです。

 

また、お役所勤めは天皇の子孫が優先で、中央政府は高官が殿上人と呼ばれ御所に上がれ、位は五等以上で、公家や、貴族の子孫はここから始められ、それ以下は生涯御所の板敷きに昇れず、ずっと下働きで固定されてます。清盛も義朝も元来はこの下級の侍人です。

 

それを彼らは力ずくで、武家階級の身分を上げて、平ノ清盛は太政大臣に、源ノ頼朝は征夷大将軍になって殿上人になりました。ここから、武家が政治に関与出来る時代が始まりました。

 

ちなみに征夷大将軍になるには源氏でなければならないとは、騎馬民族の末裔でなければならないと言うことです。同じ渡来系でも官僚系の東漢氏や百済系出身者は関白系に進みます。そのため平ノ清盛や氏素性のはっきりしなかった豊臣秀吉は関白太政大臣になって政務をとりました。

 

 ただし、秀吉は木下という苗字が新撰性氏録にも無かったようで、一旦、藤原氏の養子となり、あとで、豊臣の姓を貰いました。そして、源氏ではなく、藤原氏なので征夷大将軍になれず、公家の藤原氏ということで、関白太閤豊臣秀吉と名乗ったのです。

 

一方、モンゴル系、新羅系の騎馬民族系の渡来人が政府を持つ時は幕府を開かなければなりません。バクフとは幕で囲った臨時の政冶所ということで、(モンゴルのパオ)からきていて、どこかに派遣軍として送られた軍隊が、制圧した地域を臨時に統治する権限を中央政府から与えられ、軍政と民政を司る形態です。これも騎馬民族の末裔の証です。

 

つまり、その軍のキャンプ地でテント(幕屋)を設営して征夷大将軍がいるところが臨時政府の幕府で、源ノ頼朝が開いた鎌倉幕府が始まりで、のちに徳川家康も源氏の棟領ということで江戸に幕府を開きました。本来であれば京都か、近畿で政治を行わなければならないのを種々の理由で(公家、貴族からの干渉を嫌がって)自分の領地でご政道を行いました。

 

たぶん、乗り越えられない身分制度が嫌だっんでしょう。貴族や公家はやがて教養がどうの、儀式どうの、出自がどうのと武士階級を軽んじるでしょうから。無理もないでしょう。

 

 

 

それで、北面の武士と言われた、「西行」こと佐藤則教も平の清盛や源の義朝も同じ6等官で同僚として働いていました。ただ、西行こと佐藤則教は和歌の才能が皇后に認められ、彼女と恋に落ちます。しかし、かたや、天皇の妃、殿上人、自分は御所の縁側にも昇れない侍人。

 

その身分制度が嫌になり、役職も家柄も家族もすて、(脱サラ)して歌詠みとなり出家しました。そして、後世、歌人としてその名を残します。彼は皇后と相思相愛だったようです。彼女の気持ちが分かったので、出家したようです。閑話休題です。

 

で、北面の武士とは、天皇が紫辰殿から南の前庭を向いて儀式を行うとき、庭の南方から北の天皇に向かい立ち並ぶ警護の武士(北側を向く)のことを言います。6等級以下の武士団で清盛や西行、義朝の身分です。

 

ちなみに、左右に侍るのを近衛の武士団と呼び5等級以上の侍が付きます。(公家や貴族の武張った子弟がなる)もので中国の制度を真似ました。

 

それで三浦氏は、関八州の代表で特別に「大介」の位をもらい、都からの赴任する国守が留守な時は、三浦の大介に中央からの命令書が来てその命令に従って、行政事務、軍事事務を執り行うことになってます。

 

それは今の時代の国家公務員の身分制度と同じく中央官僚と、地方勤務の公務員との関係と同じで位階制でもって命令系統は決まっていました。

 

その恰好の例が、頼朝に来た「平家追討の院宣」です。本来であれば、三浦の大介に来るはずの「院宣」命令書が頼朝に来たのは、彼も都育ちの六等官の「介」ですが、義朝の長男、源氏の棟領にあたるという事で多少位が高いのです。

 

従ってこのような命令書が頼朝に来ると、在地の三浦の大介は頼朝に従うのは公務員として、当たり前の行動なのです。そのため、後世から見ると同じ平氏の坂東武者が頼朝に従って、平家を討ったという理解できない矛盾が生まれるのです。

 

話を元の武家のルーツに戻しますと、同じく渡来系に663年の白村江の戦いの後に、日本に来た系統があります。「白村江」の戦いとは、もともと、百済の下におかれていた新羅が、中国が六国時代と言われ混乱していた時期に反乱を起こしたのを、日本と中国で挟み討ちにしょうとして失敗した戦いでした。

 

この時に日本に亡命した、百済の王族と役人、また新羅兵の捕虜も、やがてこの国の開拓者に組み込まれ、やがて地方の豪族と言う出自の不明な武士団となり鎌倉時代以降武家勢力と言われ台頭します。従って地方の豪族とか言って出自のはっきりしない武士階級の多くは、元々「屯田兵」の末で、時間とともに大化改新の「班田収受」を形骸化し、土地や、領地を私有化した武家集団です。

 

このうち、同盟国だった百済人の有力者は、その朝鮮でのスキル等が買われ、日本の朝廷にも出入り可能となり、「百済の小錦」などの称号も与えられ、やがて、「東の漢氏」と同じく、朝廷に妃などを送り込み、その子孫も多くは関東、四国、山陰の国守として派遣され後の武士階級の元になり、源平の合戦のような氏の乱れたややこしい争いの元となるです。

 

一方、この時期に一緒に渡来した、新羅系の捕虜の多くも<先ほどの武田の騎馬軍団など>関東や北陸の開拓農民「屯田兵」として送られ、独立した生活をおくりながら、蝦夷対策の北方の駐屯地勤務となります。遠くは今の岩手県胆沢地方にも送られ「アテルイ」などが「浮酋の長」と呼ばれましたが、「浮酋」とは捕虜という意味です。

 

で、アテルイを降した坂上の田村麻呂「征夷大将軍」の称号は「蝦夷」エゾ、エド、アイズ、等と(同意語)で、これらを制圧する「征夷」で、元々「蝦夷」エミシ対策の「屯田兵」(地方軍)の上官で、中央から派遣される軍の司令長官と言う意味です。

 

語源は中国で、安東将軍等と呼ばれる称号と一緒で、位は違いますが軍事用語で派遣軍に使われる同じような名称です。

 

ちなみに、中国から見て東の方向の民族は「東夷」で西は「西戎」北は「北荻」南は「南蛮」と呼び、外国人として区別してました。日本は「東夷」の蝦夷で、制度をそのまま真似ました。 

 

もとい、それで関東への開拓移民もめどがつくと、更なる食料増産のために722年に「100万町歩墾田開拓事業」と言う「詔」<中央政府の命令>が発せられ、近畿や北陸、及び関東など、日本全国から東北地方に移民を集め、それ以前からあった仙台南郊の「郡山官衙」に引き続く、軍事と政治の城を築き、東北地方を統括する、「陸奥の国府」「多賀城」を置きます。そしてこれが関東以北の一大拠点「遠の御門」「多賀城」と呼ばれる時代になります。

2010年6月9日☆「E☆ブリスタ」に作品の掲載が始まります

遅くなりましたが6月1日から「E★エブリスタ」に作品の掲載を始めました。今のところ短歌やエッセイ、小説をアップしています。(一部有料です)

 

いずれ、ここをポータルサイトに、アイパッド、アマゾン、ソニー等でもご覧頂けるかと思います。

これから益々のコンテンツの充実をはかりますので、今後ともお楽しみ下さい。

 

ちなみに、「エブリスタ」と言うのはNTTドコモとDeNA社(モバゲー)が出資して立ち上げた、新いコンテンツのアップ媒体です。

2010年5月30日☆「イジィーライダー」デニス・ポッパーの死

1970年代の若者文化に大きな影響を与えた、アメリカ映画「イージィーライダー」の監督、デニス ホッパーが亡くなった。たしか、コッポラの「地獄の黙示録」にも、イカレタ記者役で出ていたと思う。

 

当時、アメリカはベトナム戦争の泥沼に腰まで浸かり、抜け出せず喘いでいた、また、若者にもベトナム帰りの兵士やCIAの持ちこむ麻薬過で、健全なライフスタイルが危うくなっていた。

 

物語では、ピーター ホンダとキャプテン アメリカが当時流行った、イッピー、ヒッピーになり、マリファナを求めて、アメリカン チョパーという改造二輪車に乗って、アメリカ大陸をツーリングする爽快な映画です。

 

最後は麻薬を認める訳にもいかないので、キャプテン アメリカは警官に撃たれるでのすが、それを助けようとピーター ホンダがバイクをユータンして救いに向かうのですが、その時、彼が怒りのあまり、バイクに加速を付けようと足をバタバタして地面を蹴るのですが。その怒る様が秀逸でした。

 

当時、アメリカは徴兵制度があり、多くの若者が意味の見だせない戦場に行くことに、深い疑問を持っていました。その遣る瀬無さをマリファナで紛らすのですが、この後アメリカは経済的にも、政治的にも足腰の立たない時期が十年以上続きました。

 

この反省からアメリカは徴兵制度を止めました。しかし、その事は世界に責任を持っているアメリカの、初めての挫折に見えました。

 

そんな意味で「イージィーライダー」は、無目的で戦争を遂行する、米政府に対して若者のプロテストのひとつになったのかも知れません。

デニス ホッパーに合掌。

2010年5月23日☆Ⅰ 松竹への訪問

21日に松竹本社に伺い山本プロデューサーにお会いして来ました。今回は阿部監督には会わなかったのですが、山本さんと打ち合わせをして来ました。

 

作品作りについて、山本さんから思いがけない提案があり、改めて映画のビジネスモデルの勉強にもなりました。

 

今後大いに参考になる提案でした。このモデルがあれば、今後益々のコンテンツの制作が可能です。鋭意計画に活かしたいと思います。

☆Ⅱ 大仏次郎 研究会にて

22日に横浜の港の見える丘公園で、定例の大佛次郎研究会があり、参加してきました。今回は会長の村上光彦先生と会員の新保祐司先生の発表がありました。

 

その中で新保先生が内村鑑三の関係で日本の多くの作家たちが、キリスト教の感化を受けていたことを力説していて、とても、興味深く聞いてきました。

 

特に驚いたのが太宰と聖書で、太宰に関しては私はせいぜい、野次馬並みの読者なので、黙っていたのですが、時にその作風に聖書の匂いを感じていました。(時々作中に聖書を読んでないと分からない箇所がある)

 

 

それが今回の研究会で示され、まさに、目から鱗でした。だからと言って私が太宰を論じられる訳ではないのですが、自分の専門外の研究会に出るとたまにこんな経験が得られるのが無上の喜びです。

 

そして、今回は新保先生のある話から、とても、いい作品のヒントを得ました。いつか発表しましょう。乞うご期待です。

2010年5月20日☆映画「グリーン ゾーン」を観て

映画「グリーンゾーン」を観ました。案の定すごいドンパチで本当は「マットディモンは20回は死んだな」と思いましたが、かすり傷一つなく生環し安心しました。

 

ただ、政府高官といち上等准尉では話はかみ合わないだろうと思ってましたが、そこにはアメリカの上昇志向を潜ませ、物語が展開されますので、マットディモン頑張れと応援しました。彼は下士官からの叩き上げの准士官です。

 

そのためCIAからも誘われ、国務省からも誘われ、アル ハサンを追いかけるのですが、権限上、国務省に利用されます。ただ、最後にちゃんと、しっぺ返しはするんですけどね。ここがミソです。

 

それと「コミカル アル」の本家、「ケミカル アル」こと、アル ハサン(トランプのキング)は先に米軍に捕まり、今年になって刑を受けるまで、ちゃんと生き延びてるのに、物語では殺してしまいましたね。

 

結論として、CIAが仕事柄イラクに近づき過ぎ、利権を確保したいのと、ブッシュや、チィエニーがハリーバァートン絡みで利権を争った事を描きたかったのだろうなと思いました。

 

また、同じ諜報機関ですが、CIAと軍の諜報機関はあいかわらず、利権争いが続いてるょうです。

 

最後に叩き上げのマットディモン上級准尉の、国務省とマスコミへの最後屁の仕方は、さすが民主主義国の現代のやり方らしくて、「フム、フム、納得」と笑いました。以上です。

 

2010年5月14日☆映画「グリー ゾーン」の公開

ハリウッド映画「グリーンゾーン」が今日から公開されます。この映画はアメリカがイラク戦争の口実にしたかった、イラクの大量破壊兵器とやらの存在を明らかにして、開戦の大義名分を構築することに失敗した事件がテーマです。

 

結論から先に言いますと、実はこのとき、その大量破壊兵器とやらは存在しなかったんですが、メンツ丸つぶれのCIAと軍の諜報機関が、涙ぐましくも、有りもしない捜索劇を延々と演じる事になるのです。

 

この話は2008年に「カーブボール」という本になって、公表されたのですが、日本のマスコミなどは、大量破壊兵器はあるものとして、ニュース報道をし続けたので、引っ込みがつかなくなり、「アメリカの野球の本か?」などと揶揄して、うやむやにしました。

 

そのため、大方の人はこの真実を知らないのです。

 

それをこのたびハリウッドが「恰好のテーマ」と、マット ディーモン主演で映画にしたのです。ちなみ、「カーブボール」とはCIAのエイジェント名です。

 

内容はブッシュ元大統領も頭を抱える、ドジな話なんですが、そこはアメリカ、「ドジはドジなりに」カッコイイ、マット ディーモンを使い、ドジを感じさせないようにアクション物に描いていると思います。ジャンジャン。

2010年5月13日☆浅草演芸場が繁盛とのこと

浅草に若いお客さんが関心を持ってくれてるそうで嬉しい、20代によく通った。でも、最近めっきり寂れてさびしかった。先日も演芸場の前を通ると、入場料が高くて驚いた。「こんなに高くて大丈夫かいな」と思ってた。

 

でも、ちかごろ、若手芸人が相次いで、売れ始め、つれて若いお客さんが通ってくれるとのこと。「慶賀の至り」です。

 

私が通った頃は立川談志さんが、政界批判をちくりとやり、芸そっちのけで受けてました。

 

浅草は両親も若いとき住んでいたそうで、そこで、トレンディドラマをしていたそうです。父が市ヶ谷にあった(三宅坂ではなく)大本営勤務時代で、その頃のトレンディは東京大空襲だったそうです。

お後がよろしいようで。チャンチャン。

2010年5月11日☆Ⅰ 井上ひさし氏のこと

先日亡くなられた井上ひさし氏のことを、高校が同窓の樋口陽一先生が河北紙上で追悼していた。「井上さんはきっと魯迅と並び、仙台の文壇史に偉大なる名を残すであろう」と文章を寄せている。

 

まさしく、共に活動した者として、満感の同意です。氏のご冥福を祈りここに哀悼の辞を添えます。

「井上文学は永遠なり」合掌。

☆Ⅱ グーグル全米の電子書籍網羅中

グーグルは全米の書籍を全部電子書籍に換えて売り出そうとしてますが、どうやら、全米の出版社の大方のコンテンツを押えたもよう。

 

日本もそろそろ追いかけないと、グーグルやアマゾンに囲いこまれると思うのですが、それに対抗する日本の動きが不明確です。

 

私の「J・F・Kダブルスティツ」も早く電子書籍にアップロードして、全世界の読者の方々、並びに<ケネディの栄光と悲劇>ケネディワールドファンのご要望にお応えしたいと思います。(ウィキペディア、ケネディ暗殺の項参照)

 

ただ今、鋭意準備中です。お待ちください、なるべく日本のコンテンツ会社と提携し、日本の出版業界に寄与したいと思います。

☆ バイオ研究

2010年6月29日☆「美容エステでワキガの解消」

< ワキガを治してNASAの宇宙飛行士に挑戦しょう!! >

画期的な「お知らせ」朗報です。お待たせ致しました。これで「ワキガ」で悩んでいた人も宇宙に行けます。NASAの「宇宙飛行士募集要項」には「ワキガの人は不可」「応募出来ない」と有ります。ただ今、美容エステ店でもワキガとアンネ臭が解消出来るシステムを構築中です。

 

主に中国からの旅行者の方に、日本滞在中に美容エステを体験頂き、その中のオプションのひとつとして、提供するサービスです。もちろん日本人の方でもサービスを受けられます。

 

まずは、仙台のエステ店で先行サービスを検討中です。いずれ、全国展開のエステ店でも同じサービスが、受けらるようにしたいと思います。開始時期、店名等については、また、追ってリリースします。乞うご期待です。

 

ただ、エステを受けられない男性陣は、当分の間「コスモス バイオ ディオ 君香」をご購入頂くしか有りません。この点についても今後、男性エステ等で善処したいと思います。「しばし、お待ちを」と言うところです。

2010年5月14日☆花粉症用「深山当帰」を入手

花粉症に効果があるという、漢法のひとつ「深山当帰」が手に入りました。早速、簡便にマスクなどにスプレイして、手軽に使えるように出来ないか、試行してみます。お鼻の通りがよくなるそうです。乞うご期待です。

2010年5月11日☆新研究棟のこと

1998年に発足した「東北大学未来科学技術共同研究センター」の新しい研究棟が完成し13日にオープンする。ただ今の共同研究数は18で、現在の研究棟では不足で新館を建設していた。今後益々の発展、研究成果が期待される。

 

「まずは、おめでとう御座います」 

 

                                         震災特別編