2020年                   ゴッドファーザー逍遥記

2020年12月23日 ☆ いよいよメリークリスマス

気仙沼第一聖書パプテスト教会のクリスマスツリー
気仙沼第一聖書パプテスト教会のクリスマスツリー

本日は今年最後の東北大学(NIChe)での研究報告会でした。結果は今後につながる良い成果を確認することが出来ました。各先生方には本当に有難うございました。引続きよろしくお願い致します。

 

写真は気仙沼教会のツリーのイルミネーションです。20日にクリスマス礼拝が行われ、会員での合唱もあり讃美歌で第九なども歌われたそうです。わたしは先週15日に行きました。

 

クリスマスや合唱に興味の有る方は、気軽に訪ねてみてください。どんな方でも出入り自由で会費も入会金もいりません。難しい事や面倒くさい事も一切ありません。

 

時々、聖書の賢くためになるお話しを聞きくと、「成程な」と思うオマケまで付ていて、かなりお得です。ご近所お誘い合わせの上どうぞと言う所です。心が休まる事も請け合いです。世界中で当たり前に受け入れられてる所で結婚式を挙げる人もいます。まさにお気軽に訪ねられる所です。メリークリスマス。どうぞよろしくです。

 

免疫力を上げる10の習慣     順天堂医大 奥村康特任教授

 

1、早歩きでウォーキング

2、公園などで森林浴をする

3、一日15分、日光を浴びる

4、ひと口30回ほどよく噛む

5、質の高い睡眠をとる

6、40度のお湯で20分半身浴

7、1日2〜3会、爪もみをする

8、ぼーっとする時間を持つ

9、悪口を言うようにする

10、よく笑うようにする

と、風邪予防や他の疾病予防にも大切な、免疫力向上の10項目を順天堂医大の奥村先生が述べていました。

 

この中で10の''よく笑うようにする,,は納得ですが9の''悪口を言うようにする,,はいかがなものでしようか(笑)ちゃいますね。大学でユーモア作家の、マーク・トゥエーンを研究してましたが、彼もかなり辛辣な悪口を言う作家で家人に嗜められていました。

 

わたしも祖母、母譲りのランゲージを引き継いでおり、本人は自覚なくも相当なものだそうです(笑う)。ちなみに人間の音感や発声・言語は家族や地域で引き継ぎ特に音感は幼い時、誰の膝の上で長く過ごしたかで決まり言語感覚も同じです。悪口も引き継ぎます祖父母また両親が音痴でなかったか、振り替えってみると面白いです。

 

コロナ禍のステイホーム、家族間でウィルスだけでなく変な言語や音痴も引き継がないよう気を付ましょう(笑)

メリークリスマス。 よいお歳をお迎えください。

 

 

2020年12月15日 ☆ 初のクリスマス

2020年 仙台VIO技術研究所歌津支所初のクリスマス
2020年 仙台VIO技術研究所歌津支所初のクリスマス

写真は今年開設したVIO研究所にも初のクリスマスがやって来ました。忙しくバタバタした感じでしたが、ささやかでも飾り物が出来て満足です。

 

今年は本当に大変な一年でした。まさに全人類のVIO・命に関わる重大事、新型コロナが発生し、予防の提案以外ほぼ、なす術が有りませんでした。そんな中、当VIO技術研究所を被災地に無事移設し、Withコロナに備える事ができました。

 

これもなにか天の導きを感じます。そのためロゴ(象徴)に小さくですがクリムゾンレッドの十字

(医療のシンボルマーク)が入っております。クリムゾンレッドはハーバード大学のシンボルカラーでもありますが、当仙台バイオ技術研究所が最初に研究開発した「君香 デオデラント」の原材料由来でもあります。

 

今は医食同源や免疫療法などの予防医療ですが,やがてネットでの「健康産業プラットホーム」などを構築して診断・治療の領域にも進みたいと思います。

 

現施設は準備のための研究所・史料所・クリスマスを祝う所を兼ねております。気が向きましたら訪ねてみて下さい。東には小生を育んだ、時に荒々しくも雄大な太平洋、時に凪で息を飲むような風景の渚、リアス式の磯浜が歓迎してくれます。

 

そして震災にもめげず、日はまた昇る・ネバーギブアップの、スピリッツを感じて頂けたら光栄です。

2020年12月5日 ☆ 十二枚の銀貨のことから

東北学院初の寄付者・香味チカ
東北学院初の寄付者・香味チカ

まもなくクリスマスですが、本年は当VIO技術研究所の歌津支所を設置することが出来ました。その際、東北学院開学時の「主の恵み」にも似た物語の寄付広告・(ネーミングライツ)を頂きましたので、そのお礼に学院の史実を転載したいと思います。

 

                            最初の捧げ物ー十二枚の銀貨ー

 

                                    2020年11月15日発行ー東北学院時報ー  

 

                             

 

一八八六年(明治十九年)の春、一人の寡婦が押川方義を訪ねた。婦人は香味チカといい、押川が創立した仙台教会(現仙台東一番丁教会)の会員であった。彼女は押川とホーイが神学校設立を計画していると聞き、老後のために蓄えた一分銀十二枚をすべて捧げたのである。当時押川は、同志社を創立した新島譲が地元有力者の支援を得て同じ仙台にキリスト教男子校を設立する計画を進めてることを知り、新島とたびたび話し合いを重ねるが不調に終わっていた。他方、ホーイも仙台での学校設立提案がドイツ改革派教会外国伝道局の賛同を得られず、困惑していた。そんな失意の中にいた二人であったが、ある日こと、押川はホーイの家を訪れて十二枚の銀貨をみせた。ホーイは記す、「押川兄弟は目に涙を浮かべて『私たちの祈りは聴かれ始めた』と言いました」。この義拳に心打たれたホーイは、自分のもとに来て伝道者となることを希望している六人の青年について、今後一年間の生活の面倒をすべて自分がみると押川に約束した。古銀十二枚は、すでに通用しなくなってはいたものの、約五十日分の労賃に相当する価値があった。ホーイはこのうち九枚を自ら購入して外国伝道局本部に送り、八枚は関心のある教会員に転売されて約七倍の献金となってホーイのもとに届くことになった。最後の一枚はランカスター神学校図書館に永く展示され、次のような説明文が添えらていた。

「カミとは家名でかぐわしい味わい(Fragrant Taste)を意味し、チカは近い(Nearness)を意味する。」神の祭壇にかぐわしい捧げ物を携えて近づく婦人と言いたげである。この展示されていた最後の一枚は、創立百年周年を機に東北学院へ返還され、現在は東北学院史資料センターに保存されている。

一九一四(大正三)年に行なわれた香味チカの葬儀では、専門部長出村悌三郎が弔辞を述べ、始終一貫した信仰生活と「特にその財を天に蓄ふる事に就て吾人に好模範を遺されたり」と、その''地の塩''としての比類なき生涯を称えた。〈東北学院史資料センター〉日野 哲

 

と、学院の創立時にも「主の恵み」とも言える奇蹟的な物語があったようです。東北学院には押川方義、ウィリアム・ホーイ、ディビット・ボウマン・シュネダーと三人の校祖がいました。時期はちょうどアニー・ブゼルが尚絅に来る四年ほど前で、やがて彼女も尚絅を開学し、彼らとも交流がありました。

 

そして現在の両校がある訳です。

 

当VIO技研でも(希望により)あえてお名前はだしませんが、東北大学〈NICHe〉関連やその他の有意者の方々から十年前の創立時や今回の支所設立でも、多大なるご支援をたまわりました。この場をお借りし、改めてお礼申しあげます。まさに「その財を天に蓄ふる」だと思います。有難うございました。

 

God bless you(皆様に神のご加護が有りますように) 今後ともよろしくお願い致します。メリー クリスマス

 

2020年11月3日 ☆ 007 ショーン・コネリーのことなど

常盤木学園の演奏
常盤木学園の演奏

11月3日文化の日です。何処もコロナ禍でそれどころでないようですが、さきほど通り掛りに勾当台公園であった、常盤木学園のオーケストラの演奏を聞き、文化の大切さを感じ書き出しました。

 

仙台は青葉祭も七夕もジャズフェスもなく、なんとも素っ気ない一年でした。はやくコロナが終息することを祈るばかりです。

 

各学校の文化祭や大学祭もどんなんでしょうか、多くは中止なのでしょうか。残念ですね。

 

歌中時代は三年生の時に文化際がありました。生徒会主宰ですが各自必ず担当を持つよう命じられ、伊藤さんと組んで合唱や踊り演劇の舞台の進行係をしました。各学年のプログラムとシナリオを片手に、3日4日と終日、ステージの仕切り役、全舞台監督を務めました。

 

各練習は放課後一ヶ月の間、柔道の部活も休みで毎日舞台稽古やらリハーサルです。三年生は大森先生が舞台の演出を行い木下順二の『夕鶴』を上演しました。それで先生の演劇指導を連日観ていました。それが今となっては自分の人生のなかで「すばらしい時を過ごしたなぁ」と心の中の宝ものになってます。

 

ただ、そのとき思ったのは、あの怒ってばかりいる先生の演劇に対する意外な一面と「自分にも演出の才能があるのかなぁ」と素朴に感じたことでした。そしてその事は生涯発揮することは無いだろう、という思いでした。

 

しかし、人生とは分からんもんですね、その自分が今、小説の延長ですが映画の脚本も書いています。じつはこの時、舞台係の裏方を申し出のは、単に目立つのが嫌だったからです。小学時代の学芸会はずっと主役ばかりでうんざりしていて、中学に行ったら絶対に目立つ事はせんぞ、と心に誓っていたのです。

 

多少色気ついて逆に目立つのが煩わしく、集中できず嫌になりました。思春期ですね。しかし、その話はせず「目立ちたくないので舞台係をやろう」と伊藤さんに言うといつものように軽く引き受けてくれました。

 

そして舞台下手の袖の暗幕の所ろで劇の話などをして、彼が演劇に対する才能も有してる事も分かり得難い友を得たなぁと思いました。

 

反対に一ヶ月も屋体の舞台の後ろに行方をくらましていたので「誰かさん達は探して居るだろなぁ、へへ」と思ってました(笑)。じつはあとで卒業アルバムにもそのときの彼女の合唱での姿が載っていて、それを見た瞬間「あぁ やっぱりなぁ」と思い、気持ちは繋がっていたんだなぁと思いました。

 

そんな訳で「007 ジェームズ・ボンド」 ショーン・コネリーが亡くなったそうです。かなり高齢でしたが残念ですね。うちの母と同じくらいの年齢でしょうか ? 第一作目が出たころはとても斬新な作品でしたね。原作はイアン・フレミング※なのですが、当初は地道なスパイ物で、あまりに地味なため受なかったようです。

 

そこで、今度はかなりの脚色を加えた映像にすると爆発的ヒットになりました。十作前後の連作になりました。

しかし、やがて、あまりにも荒唐無稽なスパイ物とケチがつけられ振るわなくなりました。わたしもショーン・コネリー以後一作か二作を観て終わってます。そこには007はショーン・コネリーでなきゃ、との思いです。

 

※ イアン・フレミングは元もと英国諜報機関 MI6の要員です。自分の活動経験をもとに書いたとしてますが、それならば話が地味なのは当然です。スパイ活動とはかなり地味な行動です。ただ、面白いが話があって、イアン・フレミングについては、あのケネディ大統領がかなりのファンだったことのです。

 

実はケネディも若い海軍少尉だった頃、英国の女スパイのハニートラップに遭い、父親のスーパーマン ジョゼフ・ケネディにもみ消してもらいました。その経歴が明るみに出ると大統領にはなれなかったと言われてます。話は父親がベツレヘム鉄工所に関係しているので海軍の建造がらみかも知れず、身につまされたのかもです。

 

それでショーン・コネリーは1962年に『007ドクター・ノー』を始めに7作に出て彼は終わったのかな ? と思っていると、暫くして1987年、なんと あの『アンタチャブル』に出ました。ケビン・コスナーとロバート・デ・ニーロのダブル主演です。これで彼はアカデミー賞・助演男優賞に輝きました。

 

この作品のわたしにとって圧巻だった場面は、シシリー人とアングロ・サクソンの駆け引き、知恵比べの息の詰まるシーンです。この時のショーン・コネリーのセリフが「さすがのシシリアンも狡猾さにおいてはアングロ・サクソンに負けたようだな」と言いながら、反対にアイリッシュ※の自分の方が撃たれて殉職するのです。

 

アンディ・ガルシアもイタリア人地区出身を隠し、名前もアングロ・サクソン風に変えるように言われます。

 

※ショーンの役はアイリッシュですが、生まれはスコットランドなのでスコティッシュでアングロ・サクソンです。アメリカの映画はこの辺を丁寧に描かないと観客に評価されません。作る側も必ずその事を念頭において制作します。アメリカでは、警察といえばアイリッシュ、マフィアといえばシシリアン※と決まってるからです。

 

※そのため、アル・カポネもニューヨーク出身ですが親がナポリ人のため、シシリー人連盟(コーザ・ノストラ)に入れなくて、やむなくシカゴに移ったので「マフィア」とは呼ばれず、シカゴギャングと呼ばれました。なので日本で言う新宿マフィアなんてあり得なく、マフィアとはヤクザの事ではありません※

 

※マフィオーソにはオメルタ(沈黙の掟)と言う絶対の死の掟が有るのです。それに従うのがマフィアです。

 

これらの事を良く知ってアメリカ映画を観ると何倍も楽しめます。元々、映画は人間の喜びや葛藤、営みを描く訳ですから自然にそのような作りになります。まっ、中身は映画ビデオを観てのお楽しみと言うところですね。

 

次に、研究室の移動がすみました。問題は写真のミカンの件です。移動も終盤、遺伝子組み換えで実らせたミカンの木を一階の露地に置き、関係者にも持って行かないよう注意していて、2日ほど目を離すとやはり持って行かれました。果実は二個なってましたが直前に一個を採取して検証し残りは一個でした。

 

それを鉢ごと持って行かれました。物は遺伝子組み換えです。食べるには向きません。きっとこのブログを見てると思いますが、食べればDNAに異常を来たすか(笑)、天罰が間違いなく下ります。確か天罰が下る保証書ごと持って行きましたね。売ったり捨てたり枯らしたりすると更に倍増しで祟られます。悪いことは言いません、食べた後でもいいですから、一ヶ月以内に現地に戻しなさい。

 

今ならば神も許してくださるでしょう。「悔い改める」ことが大切です。God Father Don・Voto・Fumione

 

11月21日(土)高速三陸道の小泉海岸~気仙沼港が開通し、走ってみました。快適でした。これで沿線の歌津・気仙沼以北の発展が約束されました。おめでとうございます。志津川はJR気仙沼線の鉄路を復旧させない限り、復興の谷間となり何をやってもこれ以上の発展の目はありません。残念です。

2020年10月3日 ☆復興道路のことなど

名取市復興道路・閖上~仙台空港付近
名取市復興道路・閖上~仙台空港付近

震災から九年ですが、名取市閖上から仙台空港あたりまでの防災機能である、復興かさ上げ道路が2日に完成したようです。河北新報からです。

 

先に完成していた仙台港から閖上橋までの県道塩釜〜亘理線は立派にかさ上げされ昨年開通しました。わたしも発案者なので、この二月に走ってみました。快適でした。

 

もし、また流されたら、負けずにさらに高くして下さい。今のところあの素晴らしい地区を、経済的にも有効に活用するにはその方法しか有りません。幸い復興後に立ち上がった各施設も評判で盛況なのが嬉しいです。

 

ちなみに大谷海岸の国道45線のかさ上げもグッジョブ※です。あれで海岸線(砂浜)を狭くせず、護岸と国道との一体化が出来ました。鉄道はその高まった内陸側に復旧して敷けば一石二鳥です。

 

◎ 今ある道路をさらに高くするだけなので、一番安価な復旧方法です。

 

※ 反対に長須賀海岸や中山海岸は、あれでは車で走っても海が見えず景観が台無しなのと、避難走行中に海の様子が確認出来ずに判断に迷います。長須賀は県道を大山崎からサンダの沼の所までかさ上げすれば砂浜を狭くすることなく護岸が出来るはずでした。中山海岸も同じです。これからの改修の機会に生かしてください。

 

大谷海岸の事はあえてモデルにしょうと、一昨年に亡くなった三浦幸子さんから地元の有識者に伝えてもらい実現したものです。逆に南三陸の一部には、スンデもわたしの言うことを聞きたくないような中途半端な工事になり、ちと残念でした。

 

悲しいことに世の中には「ちょっと何に言ってか分かんない」とか、わたしが言うことの一割ぐらいしか理解出来ない人もいるのです。当事、震災にあい大変だった人びとに「次の復興プランを考えてくれ」と要望しても無理と思い、前もって考えていたプランを政府と朝日新聞に提言しました。※(注)これに対して有り

 

そこには、被災地への鼓舞と、さらには遅れると利害百出と議論百出で何も決められなくなる恐れがあったからです。(地元ナショナリズムが半端ない)

 

ただし、決定は地域優先が当たり前で、堤防の高さなどは話あいで決めるのも有りと思い、敢えて記述しませんでした。すると、県と気仙沼市とのようなことが起き「おやおや」となった次第です。この教訓は次の被災地で生かして頂ければ幸甚です。

 

事が起きる前に備えるのが大森先生からの教えで、今回も「ずっと前からの宿題だろー、何やってんだ二三男」と叱られないよう案を出しました。諺(何か起きる前に備えるのが兵家の常)ですが、結果については父からも「まぁ、そんなもんだろ」と何時もの如く誉められたのか否なのか、分からぬような返答をもらった感じです。

 

思い出として三年生の今頃、行方不明になった与一郎君が、明日から登校するが「どのように自然に迎え入ればいいんだ二三男」とクラス会で先生に訊かれたので「それでは朝一時間目はクラスでソフトボールをして何気なく迎えましょう」と自分がしたいことを優先して提案すると、あっさり許可してくれました。楽しかったです。

 

ま、復興もいよいよ正念場です。いずれも同じで小生のプランに沿う方が、急がば廻れかなと思う次第です(笑)

 

追記:5日の記事に「志津川高校が生徒を全国募集に切り替える」とありました。

 

それなら鉄路も仙台からワンオペで繋がるようにして下さい。現状はまるで復興が進まず、いまだに柳津駅からバスに乗り換えて志津川に至るという地区の高校に魅力を感じる生徒しか集まりません。そうではなく復興成った南三陸町に希望感じる学生を募って下さい。

 

そして歌中のように地域でも世界中でも活躍出来る魅力的な人材を育んで下さい。

 

追記の追記

いよいよ原発の再稼働や廃棄物の保管場所の選定のようですが、本来、地球上の何処にも置けない大事な代物なのであれば、いっその事、デポジットで元もとウランを掘り出した鉱山に埋め戻すのはどうでしょう。幾らでも放射線を放出できます。そこなら人類も「ウランを採掘した危険な場所」と割りに長く記憶できるでしょう。

 

そして元の地層に戻し、永い間良い子にしていれば、天か科学か魔法かが元のウランに戻してくれるでしょう。

 

※(注)これに対して以下のような展開となりました。2021年1月3日の河北新報かの転載です。

 

高速道避難所655カ所増設へ    国交省、水害に備え 

 

国土交通省は、高速道路など高台にある道路上の避難場所について、全国で新たに655カ所増やす方針だ。

付近の住民が津波や水害から逃げ込めるようにする。災害が激甚・頻発化する中、既存の道路を活用し、全国的に不足する避難所を確保したい考え。2020年度末までに増設箇所を正式に決め、25年度までに完成を目指す。

新たな整備対象は津波や水害で想定される浸水の深さより高い所に位置する高速道59カ所と国直轄道路596カ所で国と市町村が分担して整備。同省は市町村に対し地域防災計画やハザードマップに反映し住民に周知するよう求める。

 

◎ 蛇足として、これで激甚災害のさい「命の危険があります、全員避難してください」とアナウンスされても「どこに逃げたら良いんだ」という危惧を解消するヒントになります。さらなる避難場所の拡充と整備の充実をお願いする次第です。

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年9月5日 ☆ブックエンドのテーマ

ブックエンドのテーマ
ブックエンドのテーマ

本当は14日ころ仙台ジャズフェスの事を書く予定だったのですが、伊藤さんから「フミ生きてんのか?」と電話をもらい、心配架け申し訳なかったので、少し早めに始めました。

 

今年のジャズフェスは映像のみとなったので来年書きます。実はラインをもらったのですが、スマホが調子悪く、返事はおろか、開けることも出来ず、トホホな状態だったのです。

 

わたしとしてみれば、歌中時代から彼やトシさんには、いつも自分のわがままに付き合って頂いて、つねに感謝している次第です。

 

今ちょうど、仮研究室の引っ越し中で何度か歌津に行ったり来たりでした。苦手な梅雨が開けたと思ったら、この暑さで荷物運びもけっこう大変です。  

 

そんな中、先日、簡易な机と椅子を運びこみ、ラジオを聞きながら昼食をとっていたら、68年だったか、サイモン&ガーファンクルが出したアルバムの『ブックエンドのテーマ』が流れて来ました。

 

偶然でしょうか、当事、夏休み中で生家で聞いています。この度の研究室はかつてのわが家の後ろにあった分家の敷地に移しました。津波であたり一帯はすべて流され見る影もありませんが※ 鎌倉時代から現代まで直系の分家が五軒あり、そのうちの三番目に古い家柄でした。

 

※遠つ親 拓(ひら)きし馬場の 海嘯(かいしょう)で 更地にもどる ときに巡りぬ 歌人 歌津海竜(三浦二三男)

 

江戸時代以前に分家になったそうで、この三浦家の上城、北ノ丸に敷地をもらい流されるまで住んでいました。ちなみに、一番古い分家は「向の妻」と言って名足にあります。三浦半島・鎌倉から移り住み最初に出した分家だそうです。わが家が馬場※に領地をもらい移り住むので、本陣「仲向」に仕えさせるため、側室さんの子供を残し分家にしたようです。※(これが馬場の地名の由来)

 

※騎馬武者なので馬を飼う必要があった。「馬は鎌倉から一族郎党三十二人と共に舟で運んだ」との言い伝え有り。ちなみにうちは次男で、その他が気仙沼市の岩井崎、本吉町馬籠、登米市の中田町※に領地を拝領したとの言い伝え有り。特に岩井崎の三浦氏とは明治期まで婚礼等、産土(ウブスナと読む)の行き来き有り。とかです。

 

※じき最近まで歴代中田町町長を努めていた三浦氏です。

 

そのため「向の妻」むこうのつま/ムケノツマと呼ばれました。この震災で南三陸町の防災庁舎で最後まで住民に避難を呼び掛けていた遠藤未希さんの上司にあたり、直前に「未希ちゃん上に上がれ、私が放送すっから!」と声卦した記録だけ残し、ともに流された三浦毅氏が家を継いでいました。わが家の一番古い分家の当主にあたります。改めて合掌です。

「出の妻」での家族写真 カメラマンは兄
「出の妻」での家族写真 カメラマンは兄

また、生家の敷地の西端(西ノ曲輪)に「デイノツマ」という地名があり、ずっと不思議でしたが、こちらも「出の妻」つまり側室さんが母屋から離れ住む所のようです。明治以降この風習は無くなり、わたし達が育つ頃は倉が建っており、父の話では「くらこのおばんさん」と言う方が住んでたそうです。

 

確かにお墓も改葬前の古い館寺に有りましたが、血縁関係は何に当たるのかは父も分からないと言ってました。面白い話です。今となってはそんなケッタイな家柄に生まれ育ちましたが、このデイノツマこそがわたしの遊び場、不思議なものがいっぱい有るワンダーランド、初期の探究心を育んでくれたフィールドそのものでした。

 

そしてこの度、その「アブラハムの末裔のための」※「約束の地」に戻り、机の上には参考図書のためのブックエンドを置き、これからのテーマ(研究や創作・事業)の展開を考究する所になりました。

 

新着の白衣 二日町 大黒屋
新着の白衣 二日町 大黒屋

こうして話はサイモン&ガーファンクルの「ブックエンドのテーマ」に繋がる訳です。

 

わたしのブックエンドのテーマのラインナップは、高等数学の辞典・聖書・発酵と代謝・有機科学・科学辞書・ギターの教本などの参考書です。

 

※先月、トランプ大統領がイスラエルとUAE・アラブ首長国連邦の和解の労をとり、マスコミは無視してますが、歴史に残る快挙を成し遂げました。いずれいやでも顕在化してくることでしょう。ポール・サイモンもアート・ガーファンクルも二人ともユダヤ人です。

 

※さらにこのあいだ、ポール・サイモンのフェイス ブックから特別会員に選ばれたので、バッチを授与しますと知らせがありました。ポールと同じ時代に芸術活動出来て光栄です。有難うございました。

 

十年前、やがて大洪水が起きるのでノアの方舟を作らなければならない、と天の知らせを予言しましたが、それがあちこちで顕現化しました。そして、わたしも被災後の「約束の地」に戻る事が出来ました。神に感謝です。

2020年8月1日 ☆ ネーミングライツで仮庁舎設置のこと

2020年7月29日 被災地にネーミングライツで仮庁舎設置
2020年7月29日 被災地にネーミングライツで仮庁舎設置

本年はコロナで明けていよいよ8月です。すぎてみれば早いものですね。この間、出掛けることもままならず、ほぼ、繰る日も研究三昧です。

 

梅雨明けも遅れているところですが、山形県で洪水の被害もあり、多くの友人知人の方々にお見舞申しあげます。日本中何処に居ても心休まる所はないかのようです。

 

そんな中、相馬の友人達はフル開催ではないようですが、野馬追いは例年のように行われたようです。ただし、騎馬行列や神旗争奪戦はなく、26日の御神馬献納で〆くられたようです。

 

それにしても相馬衆の不屈の精神にはいつもながら力付けられます。

 

写真は被災地に設置された『仙台VIO技術研究所』の仮庁舎です。ネーミングライツを募集したら協力して下さる方がいて、引き受けて頂きました。感謝している次第です。これからも法人、個人を問わず毎年募集します。アイドルやタレントのPRでもOKです。ふるってご応募下さい。

 

ちなみに、これまで『仙台バイオ技術研究所』でしたが、創立から十年ということで『仙台VIO技術研究所』に改まりました。本来、英語やラテン語ではBIOですが、それより古いギリシャ語ではVIO※の表記も有りますので、こちらにしました。始めからそうしたかったのですが、実績を重ねてからと思い温めていました。

 

※ VIO「生命」と言う意味です。大森先生に感謝です。8月4日の命日に間に合いました。

 

それが今回のコロナ感染症で、何処よりも早くかつWHOよりも正確な「傾向と対策」を示すことが出来たのと、被災地に仮準備施設が整いましたので、この辺が潮時かと思いVIOに改めることにしました。これからも引続きネーミングライツや研究助成金などでお世話になります。よろしくお願い致します。

2020年7月7日 ☆ 七夕さま & マスクのことなど

昨年の今頃は今年の七夕について「オリンピックも開催され華やかで新しい形になりそう」と記しましたが、あにはからんや、コロナで残念なことになってしまいました。

 

そんな中、写真のように、仙台で医療従事者の方々に感謝の意を込めて、このような七夕飾りを作ってくれたそうです。七月六日の河北新報からの転載です。

 

元々、七夕さまには機織さんへの御祝いや感謝の祭りだけでなく、病気平癒の祈りもあったそうで、今回は特に医療関係者に、普段よりなお格別なお礼をしたいと言うところですね、私も「皆様に一方ならぬ感謝を申しあげます」

 

お陰様で第一波はからくも乗り切ることが出来ました。引続きよろしくお願い致します。

 

今回のパンデミックは重篤になられた方も大勢おられましたが、米国などもいまだ終息には至らず、さらに悲惨なことになっているようです。

 

特に予防の為のマスクに理解が得られないようで、行政府・保健衛生当局も困っているようです。中にはわざと口と鼻を出して頬や額だけを覆うマスクとやらをして「息をする自由を奪うな」なんて主張をしている人もいましたね。確かにデストロイヤーも口と鼻が出るマスクでしたね、米国ではあれがスタンダードかも知れません。

 

まっ、しかし、医療スタッフの方々の苦労を思ったら、もう少し予防に協力してくれたらいかがでしょう。本当にマスクが必要ないなら、オペの時も従事者の方々はあんなに重装備して手術をしないでしょう。その辺の衛生観念は必要です。それが結局自分を守り、自由を維持することにつながるようです。

 

そう言えば、津波の後、探しに行き、逢えたうれしさで「マスクとれ」と強要しましたが、何度もかたくなに「いやだ」と言って外してくれませんでしたね、いま、それがよみがえり、時々、一人で思い出し笑いしてましす。そして歌中のTさんと並んで本日がお誕生日でしたね。両Tさん「お誕生日おめでとうございます」です。

 

確かに私も十代から人目も憚らず自然にハグやチューしてましたから、貴方も、またチューをねだられたと思ってマスクを外さなかったのですか? その時は「欧米かぁ」と、言って欲しかったです。欧米の方達もハグやチューが出来ない不自由さからマスクをしないのかも知れません。ま、この度はもう少し辛抱をして頂きましょう。

 

追伸:18日生まれの方もおめでとうございます。洪水もありますお互いに気をつけましょう。

以上、くれぐれもコロナに好かれないようお気をつけ下さいませ。God bless youとお祈り致します。by フミ

 

2020年6月15日 ☆ コロナ禍から半年です

【研究機関コード5107002485】
【研究機関コード5107002485】

いよいよ、6月15日で、コロナ禍から半年です。去る1月15日、年明け松の内には何事もなく穏やかな新年でした。令和の元号を定めた陛下も首相も、さぞ胸を撫で下ろしてるだろうなぁ、と思っていました。

 

すると、突然、1月16日ダイアモンド・プリンス号※のコロナ感染騒ぎです。それまで、中国の不審な動きも把握してましたが、それも含めて今年のインフルエンザの型は何?かと、そちらの方を注視していたので、不意をつかれました。

 

※亡くなられた方々への鎮魂の祈りをこめて

 

そして船籍がアメリカで船長がイタリアンと聞き「オーマイガー」となり、その対応に軽い絶望感を持ちました。「天は時に手も足も出ないテーマ・試練を与えるんだよなぁ」と天を仰ぎました。

 

つまり、この船は日本近海をクルーズしていて1月20日に横浜から鹿児島、香港に行き、帰路沖縄に寄り2月3日に患者が出てからまた横浜港に来ましたが、第一の検疫義務はアメリカに有り、それを判断する船長はどうしてもイタリーの慣習に基ずいた決断しか出来ないからです。(国際法は有り)※

 

※船内全体の疾病対策は船医が居ればその助言に基ずき最終的には船長が判断して執行される。(海事公法)

 

もし、接岸したら、日本の検疫を受ける義務も生じ、アメリカの船会社は絶対に損をしたくないので、土壇場まで粘り社内協議を繰り返しながら、対策を指示して来るので決断が遅くなりがちです。まさに三竦みになるので、本格的な治療とかは後回しになるはずだと思ってました。その間、船は週を跨いで洋上をさ迷いました。

 

また、この場合、第一の当事者でない日本国政府は手の施しようも無いのに「政府は何をしている」の大合唱で、さぞや「矢尻を噛む思い」だったでしょう。本当に前代未聞で、未知のウイルスの発生源についても、頼みの綱だったWHOのテドロス氏が、某国の隠蔽に加担するという悪魔の囁きに乗ってしまいました。

 

まさに人災でもあり神いがい誰も早急に手も足も出せなかったのです。後出しジャンケンでなら何とでも言えます。それさえも検証に耐えうるかは甚だ疑問です。 

 

そんなこんなで私の年初の目標も、長いあいだお世話になった研究室を徐々に移すことでした。ところがこのような状態でままならずです。そして梅雨入りです。それでも第二波を警戒し、雨を避けながら洪水が来る前に行動するしかないようです。みなさまもくれぐれもコロナに好かれないようお気をつけくださいませ。

 

皆様に「God Bless You」と神にお祈り致します。

2020年5月1日☆ 新型コロナウィルスのことなどⅢ(免疫機能の話)

仙台VIO技術研究所 【研究者番号70631125】
仙台VIO技術研究所 【研究者番号70631125】

今月もコロナの事です。あんなに明るく元気そうだった、岡江久美子さんが逝ってしいました。まさかのあっけ無さが信じられません。その生涯も結婚、子育て、お孫さんの顔が見られたと、ほぼ女性の人生のフルコースを味わい、そしてさらに才能でも輝き「幸せを絵に描いたような女優さんだな」と思ってました。ご冥福をお祈りいたします。

 

3月の志村さんの時も何か感じましたが、この度の岡江さんの事にも「誰でも生涯における幸せには人それぞれの総量というものが有るのかなぁ」とぼんやり思った次第です。けっして運命論者ではないのですが、時々運命のようなものを感じることが有ります・・・まっ、聖書の事を思えば有るうることなのでしょうか。

 

そんなこんなで今回は「免疫抗体」について記します。「免疫とはなんぞや」と考えさせられたのが、やはり歌中二年に遭遇した、いとこTの父、初男さんが白血病で亡くなった事が動機でした。Tも同じ五学級にいたので覚えている方もいるかも知れません。「白血球」リンパ球こそが自己防護機能「免疫機能」そのものです。

 

突然に自分の父親を失うとは、どうゆう事なんだろうと思いながらも、いくら、いとこでも聞けませんでした。それよりもあんなに元気だったのに半年もせずに亡くなるなんて「白血病」って何だろうと言う疑問でした。いろいろな治療方とか聞かされましたが、とても医学とは思えず、それほど手の施しようも無い恐ろしい病気なんだなと言うのが素朴な思いでした。

 

じつは私もこの学年の二月にA香港型インフルエンザにかかりました。39度の熱が3日間続き関節も痛み眼球を動かすにも痛く、初めてなのでこれがインフルエンザかぁと懲りごりでした。この時、泊の勘二郎さんの水難事故とも重なり、寝ていてもその事情が刻々と伝わりますが、心配するしかなくかつ信じられず悲しかったです。

 

インフルエンザはその後、型の違うと思われるのを二度経験してます。これを機会に抗体検査をする予定です。

 

このころ、抗生物資ペニシリンの発見で不治の病だった結核も、もはや昔語りのひとつぐらいになってました。ただここより三年前が東京オリンピックだったのですが、この明るい話題の前にひとつ当時の青少年の紅涙を誘い、全国民的大反響の大島みち子さんと河野實さんとの恋愛実話『愛と死をめつめて』が大ヒットしてました。

 

このときの大島さんの疾病の原因が免疫不全の骨肉腫だったのです。そして結核の後ちに白血病とこの骨肉腫が当時の不治の病の代表となってました。いまのガンとならぶ悲しくて恐ろしい病気と認識されてました。少年少女マンガ等でも、悲劇のヒロインが若く早逝するスートリーでの定番でした。(今は両病とも克復されつつあり)

 

そして医療的には免疫は「ジェンナーの種痘」で有名ですが、日本でも幕末にオランダ医学を学んだ緒方洪庵などによる「除痘館」で天然痘予防が試されました。これが後の種痘の始まりで、牛から得た抗体です。

 

これは人為的に抗体を作り獲得する受動的免疫法で、さらに医学的にはDNA・生得的に備わっている能動的免疫が有り、あと、他の疾病で獲得した抗体が近似値に応用機能する※交差免疫の3つの免疫作用機序が有ります。

 

※例えば何種類かのウィルスでもルーツ・根っこ株が同じ発生だと、それらのウィルスのオリジン(基幹)の部分に抗体が作用してると言うのが私のオリジナルな見解です。こちらの能動的免疫や交差免疫は最近まで未知の領域が余りにも多い免疫機能です。(基幹が変化し過ぎると別のコロナに成らざるを得ないと思われる?)

 

つまり、免疫の力が万能なら、風邪もガンも事前に防げないのは何故だろうかという疑問です。ただ風邪の場合はある程度抗体の存在が判明しています。そしてガンの場合はずっと最近まで謎でした。しかし、ここで免疫に目を付けその機能を信じ、ひたすらガンの治療薬を研究しノーベル賞に輝いたのが京都大学の本庶佑先生です。

  

すると、改めて免疫学に注目が集まりました。そしてガンのメカニズムも今はある程度判明して来ました。それは、思わぬ免疫の機能の低下にあり、通常では追い付かないほどに※、ガン細胞のDNAがRNAによって複製され続けるという症状でした。そこには患者のガン遺伝体質や日常の生活習慣も免疫力低下に関わっていました。

 

※ B細胞.T細胞.NK細胞・ナチュラルキラー細胞のことです。

 

この度のコロナも免疫があればそう恐くはないのですが、何せ新型です。ほぼ、全員が感染予定者です。そのため能動的免疫では間に合わず、集団免疫とされる人口の約六・七割が感染するか、人工的にワクチンを作り、天然痘などの予防のように、受動的免疫を獲得するしか有りません。

 

幸い、いま罹患しても多少副作用はあるそうですが、アビガンなどの薬があり重篤化が防げる方向とかになってきました。有難いことです。研究先駆者と神に感謝です。すべての方に God Bless You とお祈り致します。 

 

終りに、免疫はとても複雑で一筋縄には行きません、

それは何故かと言うと、どの生物の免疫も進化の過程×現在までの時間と、かつて罹患した疾病の対策(抗体等)が複雑に絡みあっていて※それがどれだけ現各個体のDNAに刻まれているかで決まり、更にそれらの総和が重なり結果としての個々の生命が発現され、人類はもとより現今の生物全体叢を形作っているからです。

 

※休眠しているDNAもあるので個人差がかなりあります。かつては不明なので「ガラクタDNA」と呼ばれました。

 

例えば私達の体もかつてはウィルスからバクテリアに進化し、さらに細胞内にほかのバクテリアであるミトコンドリアを取り入れて現在に至っているからです。ちなみに人ゲノムの4割はウィルス由来だそうです。それだけ生物の体は相互に関連し合って今に至っているのです。これからも永遠にウィルスと付き合うことになります。

 

いずれ、量子コンピューターや高性能のスパコンである程度分かってくるでしょう。それまでは、これまでに私が東北大学から学術指導を受けながら進めてきた『君香 デオドラント』ワキガ菌の研究で得た、植物の免疫(ポリフェノール)のことなどを交えながら、北杜夫先生的に分かりやすく記しておきたいと思います。

 

ポリフェノールも植物の免疫抗体の1つで私から見れば、植物が独自に獲得した「ファイトケミカル」免疫物資です。主に細胞の抗酸化機能を担う重要な役割を持ち、さらにこれが無いといかなる細胞も日々のメンテナンスが出来なくなります。ちなみに我々人体の細胞は一日に1兆個も再生して生れ変わりを繰返しています。

 

あと人類の免疫機能を左右する事柄は日頃の衛生環境を整えること、運動・体力の状況や過度な疲労を避けることが大切です。また代謝と循環で免疫抗体の組成もタンパク質なので食物・栄養素も重要です。そして、動物の免疫は植物にあるかどうかは不明な「心」を持つ分※、精神面でのストレスが免疫に影響を与えてます。

 

※ 植物に心があるかどうか、実験が繰り返されている。

  

例えばメンタル面で落ち込んだりすると免疫は下がります。また、嬉しい事があったりして高揚感があるときは免疫はアップします。そして疲労感と意外にも、むしろ何かで緊張がゆるみ「ホッ」とした時に免疫力は下がります。風邪をひくのは大抵、外気温が下るか代謝が下がる時、プラスこの「ホッ」した時に注意が必要です。

 

このとき細胞内に侵入しょうとするウィルスは自分は不審者でないように装い、人の免疫機能を騙し細胞内の鍵をこじ開けようとします。そのとき人間側のマインドは優しくなり、他を受け入れやすい気持ちになってます。ここで受け入れるとNK細胞からの攻撃が無いと判断したウィルスは一気に細胞内で増殖します。

 

◎ この時はまだ(日和見感染の状態)なので、むしろここで怒るのが良い※

 

※意図的に怒っても免疫力がアップします。(お年寄りがクシャミをすると「エーイ チクショウ」と言うのはこの為)で、すでにDNAに刻まれています。怒ると戦闘モードホルモン「アドレナリン」が出るのと同時に、自己防衛機能にスィッチが入り身構えるからです。歌や踊り笑いも健康に良いと言われ免疫力がアップします。

 

すると騙されたと気が付いた免疫機能は背中をゾクゾクッとさせ、熱が逃げないように全身の肌を縮こませ消耗せぬよう安静のため悪寒を感じさせながら一気に40度の熱を出して、B細胞、T細胞がウィルスを攻撃します。これが風邪ひいた時の大まかな顛末です。そして現在自身の免疫機能より他に風邪の特効薬はないです。

 

その為一度ひけば気力も体力も著しく消耗しますので「美味しい物を食べて温かくして寝る」しかないのです。

 

普段からウガイや手洗いのほかに、お互いに自分の免疫力の状態に気を配りましょう。食品なども無理して買いに出向かず、この度サービスを準備している郵映通販の『全国1786自治体・お取り寄せグルメ』を利用し楽しく食事して愉快に過ごしましょう。ここで良質なタンパク質のほかに、新鮮な野菜や果物が有効です※

 

※野菜にはポリフェノール類やシャボン玉の語源のサポニンが含まれ、界面活性効果で菌やウィルスを破壊します。果物のビタミンCも多少殺菌に有効とされてます。そのため動植物が日々行っている細胞のメンテナンスに免疫ポリフェノールが必要なのです。これらを日々、胃や血液の中に満たして置くと風邪の予防になります。

 

それを同時に多く摂取できる食べ物は、サポニンを豊富に含む野菜具沢山の「味噌汁」です。味噌は発酵食品で腸内細菌を整え免疫機能を安定させます。塩分と血圧の懸念には「シーフード野菜」の「ワカメ」とイソフラボンの「豆腐」が機能してくれます。はからずも日本の伝統的な食物が免疫機能に有意な働きをしてました。

 

この辺がわが国の長寿の秘訣かも知れません。

◎ ちなみに植物由来で風邪に有効な漢方の葛根湯や生姜、またサイカチのハーブ酒にも注目してます。反対に免疫の暴走・サイトカイン ストームの防止にはビタミンD含有の椎茸のエキスが有効です。「海鮮Dドリンク」

 

そう言えば白血病で亡くなった初男さんは極端に野菜嫌いで「土の匂いがしてどうしても味噌汁が食べられない」と話してた事がずっと頭の中に有りました。何かメカニズム解明のヒントに成りそうです。※

 

※どうも、概観すると果実のビタミン類や野菜のポリフェノ-ル類が白血球・免疫の活性を上げてるようです。

 

そんな訳で当コスモス企画研究所の設立主旨の1つである「医食同源」の研究とも添いWHOの指針でもある

『セルフメディケーション』「自分自身の健康に責任をもち、軽度な身体の不調は自分で手当すること」を心掛けましょう※  今回は免疫機能から新型コロナや風邪のことを振り返ってみました。以上です。

 

※リモート健康コンサルティング 体の栄養・心の栄養・頭の栄養の総合医療をお届けする コスモス企画です。

 

                                 コスモス企画 仙台VIO技術研究所  【研究者番号 70631125】三浦二三男

 

 追記:5月2日PM9時/NHK第1 NHKスペシャル 『未解決事件・海外SP大統領JFK暗殺事件米史上最大の闇の核心元CIA高官が初証言国家は何を隠したのか』で、これまで固くなに否定していたオズワルドとCIAの関係を元高官が細密に暴露しました。

 

これでオズワルド単独犯行説は無くなり、2017年に延期が決まり、来年2021年に公開するとした、関連公文書の開示が待たれるところです。 

 

作家:Don・Vito・Fumione

2020年4月1日☆ 新型コロナウィルスのことなどⅡ(傾向と対策)

仙台VIO技術研究所 【研究者番号70631125】
仙台VIO技術研究所 【研究者番号70631125】

先月お知らせした新型コロナウィルスでは、元ドリフの志村けんさんが3月29日に亡くなられショックでした。『東村山音頭』以来どれだけ楽しませて頂いたか数えきれません。ご冥福をお祈り致します。

 

その新型コロナもなにせデータがなく、手探り状態だった「傾向と対策」も、ほんの少しでは有りますが方向性が見えて来ました。長年、生物学や生命の起源などを研究して来た私的見解を記しておきたいと思います。

 

これは「風邪は万病の元」で多くの疾病予防に繋がりますので「参考に成るな」と思って頂れば幸です。

 

まず、感染症で重篤になるような内科系の疾患は風邪でも食痛りでも「口は災いの元」で口や鼻から入ります。今回、その口や鼻に細菌やウィルスを運ぶの!多くは自分の手指です。手は多くの物に触りますので細菌やウィルスの感染元に成りやすいです。

 

屋内で共通するのはドアノブやレバー・スィッチ類です。外では電車やバスのつり革や車内の支え棒です。たとえばエレベターのスィッチに触る時は、人差し指と親指の根元で○を作り、人差し指の第二関節、トンガッタ部分で階数ボタンを押すと、お互いに感染リスクを下げられます。(右利きの方は左手の方をお勧めします)

 

手からの感染予防には外出時には2セットの手袋を用意し、例えば、行きは会社の入口でゴミ箱に廃棄する、さらに帰宅時には自宅のゴミ箱に捨てるが理想的です。そして、やたら自分の顔に触らないことです。特に化粧をしない男性の方が触る頻度が高いです。鼻は鼻毛が鼻腔から出てると感染が早いです。対策は手洗(1)です。

 

(1)菌やウィルスは水で流せます※。ただし手には固有の皮脂(炭素成分)が有るので汚れは落ち難いです。そこで石鹸です。石鹸の泡立ちには界面活性効果があって菌やウィルスを簡単に破壊してくれます。

 

これは菌やウィルスの組成がタンパク質(窒素分)N2なので、界面活性はより小分子の炭素Cで泡立ち、シャボン玉になる時に汚れを剥して落とし、浸透して弾けるときに病原体を分解し破壊します(オゾン・O3でも殺菌可能)

 

※水道水で15秒流すと約100分の1に、同じく石鹸をつけて洗うと10万分の1に除菌できるそうです。

☆「君香石鹸」をお使い下さい   「手は手でなければ洗えない」  ゲーテ

 

車の中は罹患し、セキ込んでいる人と、30分以上同乗し、被曝したら、自分にその風邪の抗体が無ければ確実に感染すると思ったほうがいいです。案外、飛沫は頭髪に付着します、対策は早く入浴し、シャンプーや全身を石鹸で洗うこと。衣服は日光の紫外線でも消毒になりOKですが毛髪は菌やウィルスの生息環境にいいようです。

 

◎ 喉には早期であればウガイ(2)が有効です。

 

(2)以前、風邪の正体が不明だった頃は逓信病院などでも必ず、ウガイ液「イソジン」を処方してくれました。ただ風邪がウガイで治るか?という論議もあり微妙でした。抗生物質も同じ扱いでした。やがて風邪の多くはウィルスからと判明し、増殖は宿主の細胞の中で起き繁殖するので効果は小ですが、初期の喉の被曝や除汚には有効です。☆ 君香ウガイ液「磯山」イソザンをご利用下さい(これは三陸の海草・カジメから抽出したものです)

 

♪『ウガイ 手洗い コスモスコロナ石鹸』♬です。

 

次にマスクです。マスクは自分の感染予防にもなりますが、他人に感染させない心くばりでしようか。やはり厚労省の指針、密閉・密集・密接の,三密の危険に遭遇しない事が重要なようです。 

 

追記:最近、欧米での感染爆発は靴の裏底からと判明して来ました。これの日本での対策は例えば、ビルの玄関口や家屋の入口に紫外線照射装置や病院用のオゾン発生装置を実装すべきです。靴底は玄関マットでの殺菌のイメージ、頭髪や衣服にはビルの風除室に入ったら、全身に紫外線やオゾンのシャワーを浴びせるイメージです。

 

◎ これらは車や電車の車内に、また、航空機、船舶にも標準装備とし、さらに空港・港湾の出入国や防疫の管理にも導入してWHOにも提言すべきです。かつ、この設備を新たに各国の渡航検疫の標準設備として、国際的にも予防の履行を義務づけ、守らない国には出入国禁止の渡航制限をかけるべきです。(バイオセンサーの導入)

 

そして日本がその標準装備(モデル)の製造元になることです。

 

◎ もちろん、これらの国際間の通関管理はAIのセンサーでビッグデータ化しコントロール運営されます。

以上、医療・機器的防除療法の提言でした。   

 

              コスモス企画  仙台VIO技術研究所   【研究者番号 70631125】 三浦二三男

2020年3月1日☆ 新型コロナウィルスのことなどⅠ(警告)

電子顕微鏡・COVIDー19 武漢株【仙台VIO技術研究所】
電子顕微鏡・COVIDー19 武漢株【仙台VIO技術研究所】

昨年の12月8日頃に中国で(初出は11月17日湖北省・55歳住民)、新型インフルエンザが出始めたという一報が伝わった時から、例年の事ながら「あ~この冬バージョンも始まったなぁ」と思い警戒していました。

 

二十世紀にペニシリンが出来て、結核をほぼ撲滅したさい「これで人類に致命的な有害バクテリア系の疾病に勝利したなあぁ」と思ってました。(細菌系)

 

そして次はウィルス系です。しかし、このより細かいウィルス系はもはや光学顕微鏡では見えず、電子顕微鏡で観ても、捉え難く、まず、生物であり、生物で無いという特性がり、さらにDNAやRNAを持たない種類もいて、正体がつかめず手強いなぁと思っていました。

 

そんな中、現在日赤にいて現役ですが、保健師になろうとしていた姪から「叔ちゃん、今、エボラウィルスが流行して、怖いんだけど」と相談されましたが、即答出来ず困りました。

 

エボラの存在は知っていましたが、遠いアフリカの風土病の話で、当分のあいだ日本は関係ないだろうと思ってました。

 

同じころ「鳥インフルエンザ」が出始め、風邪及びインフルエンザは渡り鳥が媒介するものと初めて判明し、それまで、漠然と考えられていた風邪ウィルスの感染経路が俄然注目され、更にインフルエンザは主にコロナウィルスが原因で、その種類が4ツあると突き止められ、時に形を変えて進化し流行せることも解って来ました。

 

更には2002年に中国南部、広東省でサーズが流行り始め、これは、いまの中国ではサニタリーやトイレタリーの衛生観念が無いので食い止められないだろうから、いずれ日本にも来るな、と思い警戒してましたが、さいわい52例かの疑いがあったようですが、今となっては発症は無かったようでした。

 

すると今度は2009年にはマーズが出現して、この辺りから「新興感染症」は逃れられないもの、と覚悟を決め準備を始めました。そしてこの度「COVID-19」の発症です。政府もこれまでの経験にない事態になり、予防処置をとり学校等の休校に踏切ました。

 

じつはこの考え方は2002年のサーズの時にわたしが提案したものでした。以前から風邪やインフルエンザが学校で流行ると、児童の出欠にバラつきが出て、授業の進行具合にも凸凹が出来るし、従って各生徒の教科の理解の度合いにも影響も与え、果てはカゼがクラス中に蔓延し学級閉鎖に追い込まれました。

 

ここで「鶏が先か玉子が先か」です。

 

しかし、私は職場での風邪の伝染の仕方の順路を観察していて、どうも実態は抵抗力が弱く抗体を持ってない児童の方が先に学校で感染して、各家庭に持ち帰り父兄・保護者に染し、職場に伝播させてると気が付きました。それで職場でも風邪を引いたら率先して休むように提案すると、一部の理解ある部所から実行し始めました。

 

それまでは風邪を引いた位なら這ってでも出て来いと言う野風族でバカな職場でした。ですからこの度の休校の措置はやむを得ないものとご理解下さい。昨年の2月に封切した松竹の映画『あの日のオルガン』では学童よりもっと幼い保育園の疎開がテーマでした。「愚行も極れば賢者に成らざるを得ん」ウィリアム・ブレイクです。

 

                 コスモス企画  仙台VIO技術研究所  【研究者番号 70631125】 三浦二三男

2020年2月1日☆「多賀城市民の歌謡祭」&「応援団」のこと

第二回多賀城市民の歌謡祭
第二回多賀城市民の歌謡祭

このたび、歌手で当郵映放送でも若手敏腕プロデュサーして期待されている宗久真紀さんが企画する「第二回多賀城市民の歌謡祭」が今月23日に多賀城市文化センターで開催されます。

 

昨年の熱気を引継ぎ本年も開催の運びとなりました。これはまさに多賀城市民の文化への関心の高さを物語っていると思います。

 

いにしえより多賀城の文化の礎を築いてくれたのは、大和朝廷さらに平安朝とこの国の中央文化でした。その文化の流れが現代まで脈々と引き続き継承されているところです。

 

その京文化を運んでくれたのが、幾度となく多賀城に派遣された、多くの京官吏の高官達で、みちのくの発展と安定に力を尽くしてくれました。

 

その中の筆頭が多賀城鎮守府将軍「大伴の家持」と言われております。当多賀城市もその縁を大切にして現代まで家持を顕彰しているところです。

 

また、家持と言えば武家の家柄であり高位の武人であることはもとより、その名声をさらに高めているのが歌人としての業績「万葉集」の編纂です。

 

万葉集は「勅撰和歌集」と言われ「勅撰」(ちょくせん)とは天皇の命により選ぶということです。その歌集には家持の歌が実に473首もの長歌と短歌が収められています。家持は天皇の歌の召人(めしゅうど)であり、かつ歌人だったのです。※以下が家持のみちのく代表歌で日本で初めて黄金が涌谷の箟岳山から採掘された時の歌

 

すめろきの 御代栄えむと 東なる みちのく山に 黄金花咲く

 

そのような脈々と引き継がれた文化の中でこの「多賀城市民の歌謡祭」が開催される運びとなりました。これはまことに喜ばしいことで「人はパンのみに生きるにあらず」とあり人々の暮らしの中に歌謡文化は必須のアイテムです。

 

歌は私達の暮らしの中に安らぎと豊かな感性やうるおいを与えてくれます、そしてなによも明日への活力を生んでくれます。古来この国には人々の感情を自由に歌で発露する和歌があり、万葉集や古今和歌集が遺されています。それらの趣(おもむき)は現在の歌謡祭にも受け継がれ多くの方々が自由に参加してくださり、各々の歌謡で現代アートを表現してくださいます。

 

かつて大伴の家持や実方中将、西行そして芭蕉が、和歌や俳諧で残してくれた偉大な日本の精神文化の神髄が、この歌謡祭に受け継がれるかと思うと望外の喜びを感じます。

 

これで「北のまほろば多賀城」から「歌枕のまほろば多賀城」となり、さらに「歌謡祭のまほろば多賀城」に発展して行くことを心から期待するしだいです。真秀場(まほろば)とは「真に誉めるべき場所」だそうです。

 

そして、2月9日は松竹阿部勉応援団の新年会でした。今回は昨年12月27日に全国一斉封切りされた『お帰り寅さん』が大盛況で、みんな恵比寿顔です。成果は『アナ雪』と『スターウォーズ』に次いで3位でした。

 

最近また邦画が盛り返して来た中、このポジションは嬉しい限りです、

 

当、郵映放送も早くから宣伝を掛けていたので、昨年の『あの日のオルガン』の成功に続き、とても良い成果をあげました。映画の制作宣伝を営業の花形に据えてますので、これ以上の喜びはありません。

 

昨年に続き上々のスタートを切ることが出来ました。多くの関心を頂いた方々には心より感謝を申し上げます。今月末まで上映中です。まだの方はこれから出かけて頂けると喜びが弥益ます。よろしくお願い致します。

 

前回に続き作家の「瀬名英明」さんが出てくれて、おまけに何冊かの自著も提供してくださり、さらに、その抽選にわたしの当選番号1がヒットして『魔法を召し上がれ』をゲットしました。瀬名ちゃんとの物書き繋がりに不思議な縁を感じました。もちろんサインもしてもらいました。

 

また新作のタイトルが『ポロック生命体』だそうです。こちらもよろしくお願いします。

 

 

2020年 1 月 1 日☆映画『お帰り寅さん』を観てきました

お帰り寅さん 松竹の宣伝・転載
お帰り寅さん 松竹の宣伝・転載

明けましておめでとう御座います。

皆さまにとりまして本年はどのような年になるのでしょうか。健やかな一年でありますようお祈り致します。

 

さらに国内的にはオリンビックイャーでもあります。何かと華やかな年になりそうです。

 

さて、年末の慌ただしい中、新作『お帰り寅さん』を観てきました。

 

始めからいうと自然に涙涙の連続でした。約20年前、お正月とお盆に年二回上映されてた寅さん映画は突然終わりました。渥美さんが亡くなったからです。

 

その二年ほど前から「渥美さんが具合悪いんだ」という話しが仙台に居る私にも伝わっていました。しかし、如何せんどう仕様もなく48作目のエンドロールを観て寅さんに「さようなら」をしました。

 

当時、50作目まで連作されたら、さらにギネスを更新するのでは、と期待してましたから48作はその目前でした。ですから技術的な進歩があったらもしかして今回のような制作は可能かな、ぐらいに考えていましたが本当に実現するとは嬉しい限りです。

 

時々、阿部監督の集まりのさいなどで「西田さんで、寅さんを撮りたいと思うけど、どうだろう」などと問い掛けられた時もありましたが、即座に「駄目」なんて言ってしまい、あとで僭越な事を言ってしまったなぁ、と後悔もしましたが、それほど「寅さん」は渥美さんのものだと思ってました。そして、この度蘇りました。

 

そんな事をフツフツと考えながらスクリーンを観ていると、なんと満男が駆け出しの小説家になっていて、初恋の相手だった泉と偶然に再会します。そして作家の演技も生態そのもので、当たり前ですが、監督は良く観てるなぁ、となにか嬉しくもなりました。これまでまた、満男をテーマに続き物が作れるなぁとも思いました。

 

それと、あと、みんなが気にしてる、寅さんの所帯の話しで、今回、山田監督は、実は寅さんとリリーさんが、沖縄と奄美で何度も一緒に暮らしてた、と誰もが望む出血大サービスをしてくれて、監督の優しさを感じました。これでメデタシ メデタシで草葉の陰の寅さんも報われたなぁと思いました。

 

さらに、恋愛に関して実は寅さんは、もうひとりの高倉健さんだったんだぁと思いました。決して口に出して言いませんが、マドンナ達との別れのときは、きっと心の中で「無器用ですから・・・」などと粋に呟いて背中を向けていたんだろうなぁと思いました。

 

以上

書くと切りが有ません、何時か寅さん映画との出会い、山田監督の事、一緒に寅さんを撮った阿部監督や、仙台の松竹会館、さらに阿部監督応援団との運命的な出会いも書きたいと思います。会の活動も早や二十年仙台の映画史の大きな足跡となりました。では新年も松竹山田組阿部勉一家の更なる活躍に繋がる事を祈念致します。 

                                                                                         

                                                                                                                                                                      2019年編集