2022年 ゴッドファーザー逍遥記
2022年12月23 日 ☆ いよいよクリスマスなど
何かと多難だった今年もメリークリスマスです。歌津・馬場上城の柚ヶ原教会にもクリスマスがやって来ました。
一昨日に伊藤さんも来てくれて、無事リースも飾れました。しかし、今年もコロナで何度も研究会、ミーティングの中止が余儀なくされました。
伊藤さんには今年書いた600枚の小説「ヨハネの黙示録」ー蒼ざめた馬を見よーの中で「伊藤孝治博士」として登場して頂きました。(最終的には1000枚程で完成の予定)
小説を書くにあたり、出演依頼をすると「OK」と返事をしてくれて助かりました。みんな中々尻込みするのですが、華の歌中時代と同様にこんな微妙なお願に応えて頂き感謝です。
一応、友情出演というこで、モデル料・ギャラは今後の応談により引き受けもらいました。そんなわけで伊藤さんには、良いクリスマスとお正月をお迎え頂きたいしだいです。
さてどうしても振返えらざるを得ないのが今年の話題です。その中で今コロナは第八波です。そして、この年末年始の過ごし方も危惧されています。
◎ 特に以前から指摘していた中国では、ゼロコロナ政策の失敗で悲惨な事になっています。
「だから早めに西側製のワクチンを導入しとけば」という思いです。さらに「政府首脳部のメンツどころではないだろう」という思いです。そしてこんなに大量の罹患者が出たのなら、変異株の遺伝子の分岐転写速度も速くなるので(新たな株が出来やすい)、その分ウィルスその物の弱毒化は進むと思われます。
しかし、その間に何が起こるか不明で「この12月中に2億4800万人が発病した」と米国から犠牲者の実数と思われる数を暴露され、思考が止まる程の数字です。8〜9億人の罹患者数が集団免疫獲得の分岐点ですから、そこまで行くのかも知れません。中国は「WHO」から詳細なデータを求められているが応えていません。
「God Bless You China.」と神に祈るしかないようです。
そんな中、今年の自分的ハイライトは「鎌倉殿の13人」の放送です。久々に我が家のルーツを振返えるいい機会になりました。お陰様で結果として、以下のような観光ルートの発案が出来て本望です。
ナウマン発見の皿貝貝塚→歌中・南三陸民族資料館→三嶋神社→平成の森公園→歌津魚竜館→館崎城跡→泊崎→
馬場上城公園→名足仲向本陣跡→田ノ浦梶原館神社から国道45号線に出て左の石巻方面に戻るか、右の気仙沼方面に行くか考古学や歴史の週遊が出来るコースです。
山ノ手には田束山や樋ノ口の大杉、穴滝・蜘蛛滝や払川ダム→中在の歌津仇討物語→源ノ頼朝の侍女・亀ノ前の墓→頼朝の愛馬・池月の墓も有ります。
◎ 震災後伊里前小学校に、平成天皇が見舞われ御制なされて翌年の「歌会始」で詠まれた歌碑も建立の予定。
◎ 御制 津波来(こ)し 時の岸部は 如何なりしと 見下ろす海は 青く静まる 平成上皇陛下
私的には一年間に渡りドラマで大々的に宣伝して頂き思わぬ「先祖の徳」を讃える事にもなり嬉しい限りです。
これらの観光インフラをもっと充実させ、更に物語もドラマ化や映像化にして、三陸地方全体の復興イベントのハイライトにしたいものです。多くの方々のご来行を「鎌倉武士団の末裔」が心よりお待ちしております。
そして最後に、そこんトコロよろしくです。それでは皆様には良いお年を。
2022年11月 3 日 ☆ ベルリン国際映画祭のことなど
文化の日です。確か10月10日と並んで晴れの特異日だったかと思います。行楽には最良の日々で、どこかに出かけたくなる季節です。
ここから約10日が過ぎる15日は、七五三で急激に気温が下がります。すると毎年のインフルエンザの型が判明してきます。
それに、ここ数年はコロナウィルスの変異株も気になる時期です。つくづく人類は季節とその民族がもつ文化に、包まれて生きている事を実感させられる時節です。
ちなみに、この冬のコロナウィルスの主流の株はー「BQ.1」ーとかで、まだまだその特質が判明しない新株です。さらに南半球のオーストラリアでは、コロナとインフルエンザが混在して流行りました。これまで打ったワクチン効果が継続するよう祈るばかりです。
そして今日三日は朝から北朝鮮の迷惑なミサイル騒ぎです※。かの国も世界に自慢するほど優秀で発展した国だとか自称しながら、アメリカに物乞外交を求めているとは、意味が解りません。そんなに立派な国なら、米国なんか打棄って、そのまま独自に発展すれば良いのに・・・もしくは露中朝と三国仲良く発展したらどうですか ?
※ 核保有のまま米国との国交正常化とかは無いです。あれば必然的に日本も核を保有することになります。
古くさいアジアの田舎者の頭では理解不能のようですが、日本が核を保有する事は世界が一番恐れることです。
言うまでも無いことです。究極的に祖父・親父さんたちの生き残り策の核保有政策が間違っていたのです。
それはロシアや中国と同じ考え方で「神が望まぬこと」でもあります。うまく行いきません、諦めなさい。
◎ またはこの非行がいくら「構ってくれないからだ」と言われても、もとより寛大なアメリカとは言え、敵対しミサイルを打つ国と仲良くなれますか ? 韓国もそうですが、まるで送金を受けている両親に向かって、嫌がらせや悪態をついているようです。何が目的ですか ? 気は確かですか。世界が理解に苦しんでいますよ・・・
以上のような情勢下で東日本大震災復興、コロナ禍、ロシア・ウクライナ戦争を内容とした「ヨハネの黙示録」ー蒼き馬を見よー パートⅠ・Ⅱ:合わせて600枚を脱稿し、ある長編賞に送付しました。ひき続きパートⅢ・300枚は来年に送ります。(規定で一回に600枚までとなっているため)合わせて1000程になります。
ちなみに最近、あの阿川先生でも司馬遼太郎さんでも解けなかった、日米戦争の「原因を究めた」と言う本の宣伝がネットで散見されますが、どれも正鵠を得ず核心に迫っていないので、今、「昭和天皇の黙示録」ー現人神の告白ー(仮題)300枚、と言う以前半分まで進めていた原稿の続きをまた書き始めました。乞うご期待です。
あと、VIPO(映像産業振興機構)からベルリン国際映画祭の、プロデュースマッチング部門に参加のさそいがあったので応募してみました。どうなることでしょう。3名限定だそうで私の作品は『J・F・Kダブルスティツ』です。ぜひ、フランシス・フォード・スコッポラ監督とマッチングしたいです。
◎ 映画でのタイトルは『The God father』パートⅣ『ケネディ暗殺の謎・ファイナル アンサー』となります。
◎さらに「震災復興とVIO研究」や「鎌倉殿の13人」我家の祖先とローマ兵の末裔「シシリアン・マフィア」
の存在や類似性および関連を、物語りとして明かして行きましょう。乞うご期待です。
皆様方のご支持のほどをよろしくお願い致します。
2022年10月10日 ☆ ノーベル賞の季節など
連日の暑さも一服でようやく秋めいてきました。あとひと月もすると「鳴子峽」の紅葉も見られそうです。
高校二年の秋11月5日に社会見学で初めて見た時は、それこそ思わず「腰を抜かす」くらい美しく、その感動が続き帰ってきてからでも、
クラスで大きな話題となりました。
すると次の週かに大内君たち4人が、授業を抜け出しバイクに二人乗りで往復4時間ぐらいで、見て来たとかでさらに驚きました。
私もそれからほぼ毎年のように見に行ってました。されど残念ながら、ここ最近の何回かはコロナやなにやらでご無沙汰です。
そして秋と言えばノーベル賞です。ちょうど博士課程前期の最終年の秋に田中耕一さんが受賞しました。途端に川内キャンパス・二ノ丸公園が華やぎました。青葉山の工学部はどんなんだったんでしょう。また、田中さんが当時に下宿していたのが、花壇とは広瀬川を挟んで西隣の「追回し住宅」だったとかで二重の驚きでした。
さらに東隣のお霊橋「米カ袋」には西澤先生が住んでおられて、私の持論なのですがトンペイでは、大学の近くに住んだ人ほど大成するようです。土居晩翠は「晩翠通」魯迅は「片平町」小学校の近くで、阿部次郎も「米カ袋」です。北杜夫さんは「広瀬町」、小田和正さんは「北山」、枝野幸男さんは「川内大工町」だそうです。
偶然でしょうが面白いジンクスだと思います。そして、スェーデンのノーベル賞委員会は、ウクライナで同じ人類とは思いたくもないほどの、無軌道に人権蹂躙や弾圧を繰り返している、ロシアのプーチン大統領に対して、嫌味のように、ウクライナ、ベラルーシ、ロシアの人権団体に、ノーベル平和賞の栄誉を贈りました。
祝う「格別におめでとうございます」です。
賞と言えばかく言う私も文藝春秋のある長編賞に、提出する600枚程の『ヨハネの黙示録』を間もなく脱稿して今月末に送る予定です。なにせ、トンペイの直ぐ近くの花壇に住んで居たので、こちらの賞はさておいても「ノーベル文学賞はかたいなぁ」(笑)と思っています。ノーベル賞委員会さま、どうか宜しくお願いたします。
内容は震災からコロナ、そしてロシア・ウクライナ戦争についてです。書いた動機はようやく東日本大震災後のインフラ等の整備が済んだと思ったら、コロナに襲われ、さらに、ロシアがウクライナに戦争を仕掛けました。これがもし第三次世界大戦に至ったら「世の終わり」で、これらの動きについては何か大きな力を感じました。
それが聖書の「ヨハネの黙示録」です。また、そんな時代に遭遇しVIOの研究をして、小説を書いている、自分の役割は何か ? この得体の知れない社会現象を解き明かすには、まだ時期尚早ですが、しかし、起きた事象を後に検証・分析するにしても 事実は備忘録として時系列的にでも、残して置きたいという思いが動機です。
ウェストン・チャーチルの『第二次大戦』の例も有りで、先行作品にはノーベル文学賞を受賞した、カミュの『ペスト』があり触発されましたが、あちらはフィクションです。拙書の方は東日本大震災のメカニズムも、
コロナの原因も、プーチン大統領のメンタルも謎で、分野でいうと「日常ミステリー」小説です。
◎ つまり『大地震』・『ペスト』・『第二次大戦』の先行作品を足して1000枚を3で割らないような (笑)
ほぼドキュメンタリー仕立の小説です。長編物となりましたが、皆様が関心を持って頂くと幸甚です。よろしくお願い致します。
写真は前回お知らせした「三浦一族・鎌倉殿の13人ノ系譜」(SAGA)歌津のシンボル「三嶋神社」の写真です。
華の歌中時代の聖地です。いずれ現地をきれいに「鎌倉殿13人」のゆかりの公園として『SAGA』も、ミュージカルやドラマ・映像などにしたいです。親しみを持って頂くとうれしいです。
まず、鳥居周辺の杉の木に替えて、桜や紅葉にし、「平成の森公園」と連携する四季を通じて観賞出来る地域にしたいです。伊里前の旧歌津大橋の地域一帯あたりは、かさ上げもされ景色が良好なので海鮮レストランです。
訪ねてみれば自由で解放感満載の歌津です。皆様のご来行を「鎌倉武士団の末裔」が熱烈歓迎致します。
ナウマン発見の皿貝貝塚→歌中・南三陸民族資料館→三嶋神社→平成の森公園→歌津魚竜館→館崎城跡→泊崎→
馬場上城公園→名足仲向屋敷跡→田ノ浦梶原館神社から国道45号線に出て左の石巻方面に戻るか、右の気仙沼方面に行くか考古学や歴史の週遊が出来るコースです。
山ノ手には田束山や樋ノ口の大杉、穴滝・蜘蛛滝や払川ダム→中在の歌津仇討物語→源ノ頼朝の侍女・亀ノ前の墓→頼朝の愛馬・池月の墓も有ります。
◎ 伊里前小学校に震災時、平成天皇が見舞われ御制なされて翌年の「歌会始」で詠まれた歌碑も建立予定。
◎ 御制 津波来(こ)し 時の岸部は 如何なりしと 見下ろす海は 青く静まる 平成上皇陛下
新たな復興ドリームの始まりで観光インフラです。ぜひ、皆様のご来行をお待ちしております。
2022年9月10日 ☆ ジャズフェスのことなど
秋の長雨か台風のせいか、なにか天候がはっきりしません。されど9月もここまで進み、いよいよ仙台ジャズフェスのときが来ました。
すると10日、「青天の霹靂の如く」驚くような「青天」となりました。ジャズフェスに天が味方してくれたようです。
今年はコロナで中止になった年も含めて31回目の開催になりました。思い起こせば、フェスが始まる二年前のことでした。忘れられない出来事でした。
9月のある日曜日の午後、買い物で一番町の三越に行くと当時はまだ珍しかった、ストリートミュージシャンが、写真のデパート前の路上で背中にドラムを担ぎ、手にはギター、首から口元にはハーモニカで演奏をしていました。
その人は外国人で、私の好きな曲を始めたので、「スカボロフェアーだね」と英語で話かけれると「ウン」とうなずいてくれました。
その時なのです。天から声が降りてきて「これからは大変な時代になるが、それは決してYouが悪いからではなく、むしろ、Youにアンチしている者達への戒め(試練)の時なので(ヨハネの黙示録か?)、Youは気にすること無く、こんな自由な音楽でも聞いて、慰めてもらってくれ」とのメッセージでした。それが現在につながるのです・・・・・・
そしたら次の年、定禅寺通りや国分町をシマとしている人達が、一度だけジャズの野外演奏を催したと伝わりました。この時主催したのが仙台にジャズを定着させた伝説の人「高見秀司」さんでした。
高見さんは仙台に米国の、第八軍が苦竹や山形県の東根市に進駐していたさい、将校クラブにジャズバンドを提供していました。当時、アメリカではジャズがブームで、軍のクラブでもダンスパーティーが花盛りでした。
そんなジャズの大ブームのなか、ついに米国から超大物のジャズの巨人、ルイ・アームストロング(サッチモ)が日本に来ることになりました。ところが演奏をするのが東京・横浜・神戸・京都だけの興行だったようです。それを高見さん達が将校クラブと掛け合い、仙台公演を実現させたそうです。
しかし、公式予定には仙台は載っておらずで、ホテルも仙台駅に停車中の進駐軍の列車ホテルだったそうです。そして、公演では高見さん達もグループを組んで、憧れのコラボ・セッションをし、その実力の差に改めて感動したのだそうです。
それらの歴史から仙台はジャズの盛んな街となったのでそうです。私の職場の先輩にも多くの楽器を演奏するジャズマンがいました。朝トランペットを持って仙台駅まで来ると、1万円でスカウトされその日の演奏を頼まれたりするのだそうです。そんな自慢話を良く聞くかされました。古き良き時代だったようです。(笑)
そして本格的にフェスが始動したのが翌年でした。
ある証言によると当時の「141ビル」(現仙台三越 定禅寺通り館)のジャズコンサートを野外で、
との希望を受けて始めたそうです。
第一回開催は参加バンド25グループ、ミュージシャン150人で9ステージ、観客5000人だそうです。(コロナ前2019年は77万人だそうです)
その5000人の中の一人として聞いていました。始まりは10:30分頃から午後2時頃には終わりました。今と違い1日限りでした。
印象に残ったのは初秋の快晴の空のもとでの何とも言えない開放感でした。そして学んだ事は同じ曲でもドラマーの違いで曲調がこんなに違うかという事でした。やはり生で聞き比べると勉強になりました。
二回目あたりからはサポーターは誰でも歓迎で、毎回違うメンバーが多く加わり本当の市民手作りの、ジャズコンサートになりました。二回目か三回目にはTBCテレビも加わり、民謡の「庄司恵子」さんも出演してました。この頃から山本リンダさんの「♪もう どうにもとまらない♪」の状況で毎年凄い勢いで成長しましたね。
今回のコロナ禍では7ステージX二日間の98グループ以上が出演するとのことでした。会場に行ってみると、ステージ数が少ないため、どこも観客であふれ遠来の方に申し訳ない気分です。これでは却って密になりコロナのほうが気になります。来年の課題と思われました。ちなみに私も応援スタッフになっています。
そして訃報として英国のエリザベス女王が亡くなりました。まるで時代が変わるのを示しているかのようです。本当に「第二次大戦が終了したのだな」との思いです。まだ残務整理※が有りますが、チャールズ国王に引き継いだ感じです。実は女王は私の母の二歳上です。母も東京大空襲を父の軍刀を持って逃げ廻ったそうです。
※ 香港・台湾問題
そのような経緯で女王の従軍体験の話を聞くと、つい母の話を思い出します。二人は戦場は違えどお互いに国や家族のために尽くしたようです。その女王が先に逝き母が一日でも長生きしてくれて嬉しいです。母にたいしては女王ほどの功績は無くも、私を育てくれた事には、父、姉、兄にも同じように心より感謝しています。
「有り難うございます」。そして、女王のご冥福をお祈り致します。
ウクライナが反転攻勢に出て良い戦果を揚ている様ですね。アメリカの「レンド リース法」が効いているのですね。ウクライナの失地回復も間も無くでしょう。ロシアも停戦を望んでいるようなので、無駄な動きを止め、侵略地を放棄して交渉のテーブルに着くのが賢明です。でないと足元のロシア国内から打倒されるでしょう。
◎一日もはやく停戦することが「主の思し召し」です。もう半年以上も「イャンの大馬鹿」の「ロシア・ディス鹿馬〜キャンペーン」を続けたので、十二分に世界的「ロシア馬鹿」は伝わりました。そろそろ満足でしょう。プー露助さん終戦をお忘れなくです。
「三浦一族・鎌倉殿の13人ノ系譜」を書きました。元々家のルーツは子供の頃から、興味がありましたが高学年に成る程、誰も興味が無いようなので、話さなくなりました。確かに普通に家柄自慢や学歴自慢、郷土自慢は本人が思うほど、ひとは聞きたいとは思わぬようでした。自分もそうです。
それが過ぎると「ナショナリズムになるなぁ」との思いでした。しかし、東日本大震災で多くの事柄を失うと、逆に歌中のことも我が家の歴史も、旧歌津町全体そのものが消え去ることが、無性に残念でした。そこで「Don・Vito 青春期」を書いて、随筆「The God Father 逍遙記」を書き始めました。
更に「三浦一族・鎌倉殿の13人ノ系譜」は多くの人の要望があり書きました。いざ書いてみれば、伊都内親王や在原ノ業平と従妹ハトコだったりと思わぬ驚きがありました。これを知った家人は「だから書道も上手く和歌も詠むのね」とヨイショされましたが、苦笑するしかありませんでした。
結果、思わぬ物語になりました。欧米ではこう言うのを「SAGA」(家伝物語)と言い、ひとつの文学形式でもあります。読んで頂けたら幸いです。いずれこれらの物語を要望に応え、ドラマや映画化、ミュージカルも有りで「震災後の地方創生に活かせれば最高だなぁ」と思っている次第です。よろしくお願い致します。
2022年8月1日 ☆ 『夢グループ』のことなど
先日、フェイスブックに保科有里さんから7月23日に「仙台のTBC夏まつりに出演します」と連絡があり楽しみにしてました。
「夢グループ」の石田社長とは、電通の紹介で以前からの、お知りあいでした。社長は中々のビジネスマンかつアイデアマンで、いつも感心させられていました。
その頃は今も続けていますが通販の社長でした。しかし、いつの間にか専属歌手を抱える、夢グループと言う芸能プロを持ち日本全国で歌のエンターテイメントを展開しているのです。
さらに驚いたのが自分で作詞した歌を保科さんとデュエットするCDまで出したのです。その詞は聞く者の心に届く、中々聞かせる歌なのです。才能があったんですね。感心しました。
そして更にもう一つ驚いたのは、最近自伝『いつでも夢を』を出した事です。早速、関係者の方から本を贈って頂き読んでみました(有難うございました)。その内容においては、ここまでに成るための面白い体験や、東南アジアでの武勇伝もありました。それを読むとやはり一方ならぬ人物だったことが分かります。
社長はお隣福島市の出身で、高校時代は野球をするため東北高校で学んだそうです。「甲子園球児」ですね。
そのおかげで野球部時代に仙台で学んだことが、人生の大いなるかてになったそうです。少年時代の面白いエピソードでは、当時萩本欽一さんが司会をしていた「スター誕生!」の郡山予選に出場した時の話が出色ですね。
それは中学時代の話で、社長曰く会場では:精一杯歌いはじめた瞬間!「もぅいいです!」やっぱり審査のプロは見る目があるなぁ、もう自分の良さが分かったのかと思って「いつ東京に行けばいいのですか」と聞いたら「まだ、成績発表が終わってないよ」と。結果「失格」と告げられました。とのことです。
そして「自分の歌を最後まで聞かないのになぜわかるんだ。冗談じゃない。大人の世界はひどい」と大部ご立腹で帰ったそうです。ただ、月曜日の登校では「俺は東京に行って歌手になる」と前宣伝していたので格好がつかなくて困ったそうです。
それにしてもやはり大物だなぁと思ったのは「もういいです」と言われ時点で「合格した!」と思ったというのですから、並みの人ではないですな。スターになるための素質を持っていたんですね。そして今大勢のスター歌手にステージを提供して、多くのファンを集めています。これからがさらに楽しみです。
今後もさらなるご活躍を期待しております。社長、今度は映画の世界で活躍しましょう。
◎ 私が脚本・プロデュースをしますから松竹の『男はつらいよ』シリーズのような映画『いつでも夢を!』で、シリーズ化しましょう。社長のポリシーである「社長と皆んなで作りたい」ですね。乞うご期待です。
そして七夕祭りになりました。すると今居る春日町の商店街で、2004年以来18年ぶりに竹飾りを掲げるそうです。
町内会も世代交代で若手が少なくなり、飾りを作る行事も止まったままのようでした。
わたしも一昨年、花壇からまた二日町界隈に帰って来て、その懐かしさや便利さを楽しんでいます。
仙台に来て初めて草鞋を脱いだのが隣の国分町で、その次が支倉町でした。越路、宮町と住み、やはりこの辺が良くて二日町に戻り長く住みました。
やがて研究と創作活動の都合で東北大学に近い花壇に住みました。財政投融資の論文を提出したり、生物学研究では「君香化粧品」を世に出すなど良い研究成果を上げて、更に創作では『風に吹かれて』を始め小説、四作品を出し、幾つもの目標を達成して花壇をあとに、アッパータウンの居心地の良さが申し分なくまた戻りました。
そして、VIO研究や聖書の研究は南三陸に移り、経済学研究や創作活動はそのまま引続き仙台でとなりました。
ちなみにこの春日町というのはあの「春日の局」が、江戸城の大奥を引退する時にもらった退職金で土地を買い借家を建てたのが始まりだそうです。仙台藩も開府間もない時期でしょうが広大な土地を手にしたものです。
先日、自転車で近くを通ると「チャリン」と音がして自分の自転車の鍵でも落としたか?とブレーキをかけるとそこが、春日神社でした。なんとなく春日さんから「よくこの街に来てくださったわね」と話かけられた感じで「こちらこそ宜しくです」とご挨拶をしてきました。この地域が益々繁栄するよう願ってます。
追伸:仙台育英高校が第104回全国高校野球選手権大会で全国優勝を果たしました。優勝旗を東北勢が「白河の関」を越えて獲得したのは108年目だそうです。ちょと長い時間がかかりましたが、おめでとうございます。
2022年7月7日 ☆ドストエフスキーとプーチンのことなど
7月に入りました。ウクライナ問題では4日に各国代表がスイス南部ルガノに集まり、戦後復興の予算などの協議をする「ウクライナ復興会議」が開催されました。
なにせ被害総額が今までのところ、日本円にして約101兆円とかで,ほぼ我が国の年間予算です。
あまりにも巨額ですが、その手当にはロシアが国外に持つ凍結資産も当てられるもようです。復興プロセスについては「ウクライナが主導し、推進する」と「ルガノ宣言」がなされました。
復興資金は「侵略者側が支払わなければならない」の世界的原則が確立しそうです。
これに対し加害国ロシアのペスコフ大統領報道官は凍結資産の利用は「国際基準や規範に反し,完全に不法だ。絶対反対する」と強く反発したそうです。
とは言ってもこれからの国連制裁のモデルです。払って貰いましょう。なぜならロシアに続き侵略する国を防ぐためにも、今のうちにルール作りが必要です。
◎ ネットピーポーからは「なにか、懐事情でもあるのかしら ? だったら侵略をやめたら」と、かつて人類にはない、カミをも恐れおののくような、画期的な突っ込みが入っています。まったくの同感です。
◎ これが嫌ならロシアは石油やガス田の採掘権や産出量の何割かを、ウクライナに譲渡して復興が済むまでの年賦払いは如何でしょうか。侵略したペナルティとしての賠償金支払いの処置はやむを得えません。今後同じことを考えてる国に軍事侵攻は「費用対効果」で割りに合わぬものだ、と言う事の理解を深めるためにもです。
◎ 第一次大戦までは負けた側が支払わされました。
さて、先月は太宰のことを書いたので、続けてロシアのドストエフスキーのことなどに触れたいと思います。
二回に渡る滅多にない私の文学論です。ロシア文学には流石にダザイストのようなファンは少ないでしょうから、ゆったり述べられます(笑)
ドストエフスキーを通じて、ロシア人を眺めてみたいです。取りあげる作品は『罪と罰』です。今のプーチンのメンタルに合わせ解析しましょう(笑)
多くの日本人には中々ロシア文学に馴染みが無いように思われます。トルストイの『戦争と平和』を手にした時のあの分厚さや、内容の重厚感が読む前に胃もたれ感をもたせるためです。私もそうでした。しかし、ある若い時分にモノトリアムな境遇があり時間だけがたっぷりで、どうしょうもない時が有ったので読んでみました。
そしてのちに作家の井上ひさしさんから「私の知り合いに露文の米原万里がいて、これから売り出すから、一緒にやらないか」と有難いお話を頂きましたが、なんとその半年後くらいに急逝され驚いたことがあります。わたしの怪体なロシア文学との関わりあいです。そして今こうしてプーチンがらみで露文に触れてます。
◎ これも時代を生きる作家の天命でしょうか ? しかし露文は専門ではないので On of them.とお読み下さい。
今、プーチンに朝の目覚めを「最近どうかね」と、尋ねたなら、きっと彼は「最悪だ、目覚める前は『罪と罰』の終章でのラスコーリ二コフの心境そのものだ」と、本を読んでいたなら、そう応えるはずです。もし、物語のような結末なら、これだけ大勢の人の命を奪ったにも拘わらず、彼は天国にも昇る気持ちで目覚めるでしょう。
しかし、そのラスト場面はラスコーリ二コフが殺害したのはたった一人の老婆だけですが、夢から覚め現実に戻った彼の気持ちについてはドストエフスキーは書いていません。あの手法は私に言わせれば文学的には「禁じ手」※です。あの手の終わり方を頻繁に採用したなら、どんなドラマも書けますが、物語的には成立しません。
※ 物語は老婆殺しのシリアスなストーリーなのですが結末が「なんちゃって!」のオチになってます(笑)
あれはドストエフスキーの異様に長いストーリーに誤魔化されてるだけです。文章も冗長で同じ物書き目線でみると、脱線し書損じて反故にした文脈も捨てず、それた筋も破棄せず活してます。当時ドストエフスキーは博打で破産して一枚でも多くの文章を書き原稿料がほしかったのです。だから反故にした原稿も捨てませんでした。
と、言う訳で老婆殺しのラスコーリ二コフはドストエフスキーのしょうもない「夢落ち」で、シベリアの監獄送りは免れましたが、ロシア・ウクライナ戦争でのあれだけの殺人を犯した戦争犯罪首謀者のプーチンは、夢から覚めても、監獄、地獄行きは免れぬようです。そして生あるうちは、さぞ毎朝の目覚めが悪い事と思われます※
※人には「恒常心」(態)と言って常に心の平安にストレスや恥、良心の呵責が加わり・体調=栄養と休息との過不足があり調節をしています。俗に言う「心身の健康バランス」を保って生きています。プーチンはKGBに就職した初期の研修で、とことん人間性を失わせ、非情な人格者に変える、人間改造のプログラムを受けてます※
※ 旧ソ連KGBのスパイ養成教育の一端(ロボトミー・精神のサイボーグ化)のプログラム。
これは簡単に洗脳されて大脳皮質をマヒさせられ、その下部の古い爬虫類脳の部位が優位にされます。その授業のやり方は非情なもので、生きてる5才位の人間の子供を機関銃で撃ち殺し、跡形もなく子供の体をミンチする映像を何度も繰り返し視聴させるのだそうです。
そしてこの残虐な初期研修のプログラムに耐えられた者だけが次のスパイ養成のプログラムに進めるそうです。
多くの者は正視出来ず嘔吐したり精神耗弱になるそうです。これに耐ると人は簡単に爬虫類脳になるそうです。ただ、前頭葉も影響を受け想像力とかが大幅に欠けた人間になるようです。知識力も減退しそうで学習能力も落ちるようです。彼のウクライナでの「人で無し」の命令や平気で「核兵器」云々等の言動はここから来てます。
ただし、結婚して娘などが出来ると簡単に素の男に還ったりします。更に孫など出来てその子の将来を考えたりすると、そう人非人にもなれず、ただの孫馬鹿爺さんに返ったりします。おまけに前頭野がやられているので自分では判断がつかず、やたら他人の批判や評判・面子だけを気する老人になったしります※今のプー露助です。
※自分では戦争の善悪の判断がつかず、欲深だけで「ヨイショ」する『プー露助殿の12人』の嘘と胡麻スリ話を真に受けて、戦争をおっ始めてしまった「イャンの大バカ」で、タン瘤頭の思考停止した大統領です。
良心の呵責を我慢してると体のほうが悲鳴をあげ、方々にガタが来て彼のように多病を抱え、朝は鬱の目覚めになります。どうせ生きていても、主イエス・キリストを信じ「悔い改めなければ」戦争で犠牲になった方や被害を被った方々の、呪いに苛まれ精神的にも肉体的にも持ちません。一日も早く悔い改め終戦する事を勧めます。
かつてチャップリンは映画『独裁者』の中で「一人を殺せば殺人者だが、戦争で100万人を殺せば英雄か?」と、ヒトラーを大批判しましたがこの度はプーチンの方こそがプトラーと呼ばれ大虐殺をしています。正にプーチンこそがネオナチです。「悔い改め」早く終戦させることが、主の思し召しです。そこんトコロ夜露四苦です。
これがロシア文学、ドストエフスキー作品の結末から引いた、プーチンの今の心象風景です。一度試しに読む事をお勧め致します。この奇妙に一致する『罪と罰』の「夢か現か」の偶然にきっと驚かれる事と思います。
この作品のラストの場面はプーチンの為に神がドストエフスキーに書かせたのかもです。ヨハネの黙示録です。
ちなみに私が小四の時、一番最初に読んだ小説が写真の風車、セルバンテスの『ダン・キ・ホーテ』でした。
そして、小康状態だったコロナが再度活発化しそうで、夏型バージョンのBA.5型によって、第7波が懸念されます。仙台市では5日に、300人の発症で、これは5月27日以来の患者数だそうです。
本日は両T様誕生日おめでとうございます。またコロナが流行って来ましたお気をつけください。しかしTさんは元々医療従事者で、歌中のTさんの奥さんも医療従事者でしたね。日々、疾病の動向を把握していると思われますので少し安心です。18日生まれのE様も恙無くお過ごしの事と存じます。今回の特徴は保育園など低年齢の罹患者が増えているそうです。仕事がらくれぐれもお気をつけください。by フミ
追伸:7月8日 ボリス・ジョンソン氏と安倍晋三氏のこと
今回のロシアとウクライナ戦争の面倒をみていたヤンチャな英国首相、ボリス・ジョンソン氏が「世界一の仕事を手放すのは悲しいが仕方がない」と、まるで昔の高校生がトイレの陰でタバコを吸い、見つかり停学になったような名言を残し、辞任するようです(笑)。コロナ禍に誕生日パーティーに顔だしてしまい処罰されました。
彼は英国のパプリックスクール出身で日本で言えば旧制高校生のようなイメージです。ついに「モク」が先生に見つかたんですね。残念です。停学処分だけでは済まなかったようですね。
先ほど青葉通を歩いていると植え込みのクチナシの花が咲き良い香りがしていたので一首詠みました。日本でも戦前は旧制東京高校で戦後に成蹊大学となり、その出身だった安倍元首理が受難したので思う所がありました。
◎ 命かけ 国事のために 奔走す 安倍元総理 梔子と散る
とても残念です。首相を引退したら映画監督になると言ってました。一緒に映画を作れたら面白いなぁと思っていました。「大正デモクラシー」の平民宰相、原敬の暗殺から100年後にあたるようです。ご冥福をお祈り致します。原は最後の軍閥首相山懸有朋のあとを襲い日本初の平民から首相に成りましたが志し半ばで倒れました。
山懸有朋は最後の長州閥政権でした。安倍さんも長州の高杉晋作から一字をもらい、晋三という名前をおじいちゃんの岸信介さんから付けてもらいました。今回の犯人はそのおじいちゃんが関わっていた、宗教団体を憎んでいたようです。わたしは「因果は巡る小車で」という仏教用語はあまり好みません。
むしろ聖書にあるように、その因果を断ち切る事だと思っています。確かに世上、関わってはいけない国とも言れています。安倍元首相にはお子さんが無く「今上でその因果とも決別したのかなぁ」と素朴な思いです。もしそうであるならば、「お疲れ様でした。安らかにお眠りください」と主にお祈り致します。
PS: 30日の河北新報からです。日本に野球が伝来してから150年になるそうです。
それを記念して日本野球機構と、全日本野球協会は日本全国の野球にまつわる聖地・名所「150選」を認定したそうです。
東北からは野球の試合の前の挨拶の発祥の場「旧制二高グランド跡」(青葉区・現片平公園)など11ケ所が選ばれたそうです。
このグランドは今はトンペイの「さくら館」など大学の付置の建物が多くなってますが、小生が学院に行ってた頃は「公孫樹食堂」※もあり旧制二高時代のグランド(校庭)で野球のマウンドも健在でした。
※ ここのカレーは当時140円で、ルーの色だけは黄色が具は少なく肉は入っていない事ことで有名だった。
私はこのグランドをホームベース側(北東)から斜めに横切り七軒丁通と、片平通の角に出て土樋に行きました。今でも片平通側に門があります。(写真の後ろ7〜8mあたりがバッターボックス)でした。よく学院とトンペイの経済学部の研究生での試合も行われていました。
新聞によると、旧制二高グランドでは1911年(明治44)年11月に「第一回東北六県中等学校野球大会」が開かれ、「学生野球の健全性をアピールしょう」と両チームがホームベースを挟んであいさつを行った。この方式を二高生が全国大会に持ち込み広がり、アマチュア野球の日本独特のスタイルとして定着したそうです。
岩手県では米大リーグでプレーする岩手・花巻東高出の菊池雄星と大谷翔平、岩手・大船渡高出の佐々木朗希投手らが活躍した岩手県営球場が選ばれたそうです。これで、いくと歌津の平成の森「潮騒球場」も、二人のメジャーリーガーを育てた球場として宣伝できます、151番目で良いので※、よろしくお願いします(笑)
※ 200年記念まで一年に一ヶ所ずつ増やして頂くと有難いです。
2022年6月3日 ☆ 戦争と太宰治について
六月十三日は太宰治の「桜桃忌」です。私はそれ程深刻な太宰ファンではありませんが、北杜夫さんが旧制松本高校生以来、ひそかに師事していたので、多少馴染みがあります。
こう言うのを学術界では「おじいちゃん先生」といいます。
そう北杜夫が教えの「父」という喩えです。そのため自分の文章にも結構その太宰ゆずりの形跡があり、時々顔を出します。
それに気ずかれた方は中々の文章通です。ぜひ、探してみてください。かなり癖になっているので、編集の方やタイプ打ちの方を困らせたようです。
それでも表現的には有効な文体の手法で今でも多用してます。
写真は花壇にあった研究室付属の図書室が、一昨年立ち退きに遭い南三陸町に移したものです。発足は1999年8月8日で、第一作目の『風に吹かれて』を出版した時期です。
本の数が多いので仙台と二分するしかなく、約半分の二千冊が南三陸町に移り、そして二千冊が仙台に残りました。これでも引っ越しのたびに古本に売りに出し1/3位が残りました。
ハーバード大学を作ったジョン・ハーバードが、ニューカレッジに英国から持ち込んだ時の蔵書が、約400冊だそうですが、当柚ケ原の図書館は2000冊でその5倍以上です(笑)今は仮設ですがこれからもっと揃え、皆様に利用していただけたら本望です。まだ未整理の分が残ってますが、時間をかけて整備して行きましょう。
ちなみにハーバード大学で一番古い学部は「神学部」で、その名の通りその始まりは「聖書」を研究するのが、ジョン・ハーバートの使命と目的でした。当「柚ケ原教会」も同じようなミッションです。
◎人も物も出会いがなければ何も生まれず、その意味で大勢の方々との巡り合いや、自分の人生を導いてくれた書籍や聖書にちょっとでも感謝の意を示し、更に東日本大震災の被災地であり、復興と課題先進地であるこの三陸で、その解決策を思考するに多くの方々が、参考閲覧出来る図書館の元となる書籍を提供出来て光栄です※
※国連(SDGs被災地復興研究・災害ケースマネージメント)と(地球災害考古学研究センター)仮称の誘致
それで太宰のことですが作家には、いまだに「ダザイスト」という熱烈なファンがいます。私も多少読んでますが、そんなに詳しい訳ではありません。読んだのは『走れメロス』や『惜別』『右大臣実朝』『グッド・バイ』『パンドラの匣』くらいです。『津軽』はなんとなく読んだかなぁ、というところで『斜陽』も似た感じです。
なので(受けとめかた捉えかたは人それぞれと思し召しください。この散文は研究書ではなく随筆です)
あるときその『斜陽』について、東宝の元プロデューサーの方と、何となく感想を述べていると、突然「お前に太宰の何が分かる」と唐突に言われて鼻白むだことがあります。あの方はきっと直接に太宰とお知り合いなのかも知れません。正にダザイスト恐るべしです。
確かにファンとも言えぬような私が、太宰のことを云々述べるのは、不埒千万のようでした。(言論弾圧)(笑う)
あやうく成敗されそうになったので、二度と言わぬよう「クワバラ、クワバラ」と呪文を唱えました。
それでも先に挙げた『惜別』などはとても良い作品で、一度映画化のシナリオを考えたこともありました。また『右大臣実朝』では鎌倉幕府の初期のことが伝わり目を開せて頂きました。特に幕府の御所の位置が良く判ってなくて、太宰により八幡宮の参道の東側で、かつて「和田義盛」の屋敷跡だったというのが新鮮な驚きでした。
これにより「和田の乱」の経緯が想像出来て、その事を確認しようと当時横浜の「大佛次郎研究会」に出入りしてたので、鎌倉市のメンバーも大勢いて確認したのですが、政所については誰も知ってる方は居ませんでした。
ただ、作品とは別に太宰の人物には興味を持たされました。きっかけは拙書『田中角栄・野武士の時代』の取材の資料からです「戦後太宰治がGHQにマークされていた」とあり正直最初「GHQも何を酔狂な」と思いました。
確かに彼は39才まで生きましたが、その一生は当時の旧制高校生そのものでした。(太宰は旧制弘前高校)
当時学生は日本全国から集まりますが、太宰は地元津軽でそれも斜陽にあるように地方の大金持ちの子息です。自宅にはそれこそ溢れるように書籍があったでしょうから、やはり増せた文学少年だったようです。芥川龍之介を尊敬し師と仰いでいたようです。高校では地元優位さもあり、かなり放従な学生生活だったようです。
そして、文学者として早く身を立てたかったようで、中学時代から同人誌を始めています。その活動は公務員をしながら、遅くスタートした自分と比べると、いささかの違いがあり「ここまでしても作家に成りたかったんだなぁ」という素朴な感想でした。今はもう無い文壇や文士たちのひとつの小話と言うところです。
◎ 親の援助で同人誌を何度も立ち上げそして廃刊にしています。中央デビューの情熱が強く感じられました。当時文壇に出るには誰か有力な作家の弟子になるか、自分たちで同人をやって中央にアピールするのかが一般的だったようです。ただ、才能と文壇人事は別のバイアスで動き直情な太宰とは呼吸が合わなかった模様。
結局、佐藤春夫や井伏鱒二等を師としたようですが、これらの事があとで心中の遠因にもなったようです。原因も結構複雑でビートルズの解散くらい分かりにくいですが、同じ物書き目線で見ると案外単純だったりします。でも、それをわたしが安易に書くと、また「オミーに何が分かる」とお叱り受けそうなので止めます。(笑)
ただ、真相をわたしの解析で訊きたいと言う方も居るはずで、その方々に残念で申し訳ありません。いつか小説の形で明かしましょう。乞うご期待です。それで「戦争と太宰」の話ですが、例えば2.26事件やプーチンのことを思うと「人間の同じサガ(性質)なのだなぁ」と感じます。当時「階級憎悪」という言葉がありました。
それは日本も日露戦争以後その青春グラフティ・群像において、世相も人情も移ろう大正・昭和の御代が来ました。そして世代も変わり進歩も発展もあり変化するのは当然の事ですが、偉大なご維新や明治時代を信奉し変化を認めない堅苦しく古風な軍人階層には「古武士風」などと言う古い侍精神のほうが尊ばれた時代背景でした。
(『時代は神がつくるものだ』という聖書の言葉があります)
そしてプーチンと同じで、時代に合わず疎外感が生じました。更に戦前「軽佻浮薄」という言葉もありました。これは主に兵隊を教育せねばならぬ高位軍人には唾棄すべき時代風潮「大正デモクラシー」を表す言葉でした。
彼らにとっては戦場に派遣して死んでもらうかもしれない兵士に、世間がジャズだカフェだと軽佻浮薄に浮かれて居られては困るのです。特にデモクラシーを否定した階層には頭に血が昇る社会現象でした※今のプーチンや北朝鮮と同じです。自分だけ取り残され周りの国がみな自由で華やかなヨーロッパ人になられては困るのです。
※ 彼らはこれに対抗するよう「特高法」や「国家総動員法」を作り時勢を「軍国主義国家」に傾けていった。
その大正デモクラシーを謳歌したピーポーに旧制高校を経た階層がいるのです。それを適視し憎んだ階層に陸士出や海兵出などの兵隊の学校を出た階層がいました。彼らにしてみれば旧制高校から大学に行った者には徴兵免除や官僚への道が開けて享楽な人生がありました※一方自分達は軍上層部の気まぐれな作戦命令で即戦死です。
※ 東條英機はこれを憎んで、昭和18年に徴兵猶予を取消し、学徒出陣を実施して、しっぺ返しを果たした。
余りに違い過ぎます。今のプーチン・ロシアの兵士と同じく不平等でした。その為5.15や2.26事件を起こした兵隊達は軍国主義より社会主義に傾きました。同じくその社会主義者を指向した中に、若き日の太宰治がいます。彼は高校時代に社会主義運動に加わり危うく放校させられかけましたが兄の執りなしで退学は免れました。
されど同じ主義に傾いた兵士達と太宰には接点はなくも、疎外感にたいする思いは一緒でした。そして後に金持ちの生家が没落するにあわせて『斜陽』を書きました。ただ軍国主義には終生嫌悪感を持っていました。逆に陸軍は2.26事件を、軍部の力をより強める絶好の奇貨として利用し、日本を太平洋戦争の開戦に導きました。
一方太宰は兵隊に取られる事もなく一応自分の才覚で生き、終戦の玉音放送を聞いた時は「バカバカしい」と言ったそうです。彼のような一応アリストテレス的学問をした者には当たり前の感想だったと思います。で、戦後の昭和23年6月13日に愛人と供に亡くなりました。その心中の理由は今でも大抵、概観的にでも不明です。
無頼派作家で 破天荒小説の主人公の様な、波乱万丈の生涯はかつて、理想を追い夢を語り高吟放歌する当時のエリート階層・旧制高校生の「ノリ」そのものに私には映ります。そして厄年前後で初老を迎え、薬などで体調不良な「鬱勃たるパトス」は中々この随筆では書き切れぬので、いつか出版社から依頼が有ったら書ましょう。
◎このエリート階層の象徴の様な人に戦後、首相になった岸信介氏がいます。彼も若い時は社会主義者でした。
私自身は太宰に対しては聖書も読む「面白い人だなぁ」という感想と、話しも面白く、きっとどっかの学校で一緒になったら「友達になったかもなぁ」と、もし近くに居たなら「ぜひ一度取材したかったなぁ」のどちらかの思いです。
きっと彼の返答は才能や家庭の事も含め常に心の振れ幅の大きい人なので「神に選ばれし者の恍惚と不安だよ」と言うかも知れません。「神はどこかで見て居る」と作品『ヴィヨンの妻』の中で述べていますから、終戦を境に家庭での事か、ほかの何にかの事とかで神の存在を視たのかも知れません・・・・・・
彼は金持ちの坊っちゃんで、人を拒まぬフランクな性格だったかと思われます。間違っていたなら、ダザイストの皆様方「生まれて、すみません」『人間失格』(笑)です。私には作品よりも「まるで小説の作中人物だろう」と、言うような生涯だった人に興味を持たせる作家でしたね。一旦ここで終わります。
6月1日に大谷のタナゴが買えました味はまず々でした。伊藤さんに今度は歌津タナゴを作ると伝えました(笑)
追伸:河北新報社からです。6月5日に南三陸歌津の平成の森「潮騒球場」で、楽天イーグルスと読売ジャイアンツの二軍戦があったそうです。
同町での東北楽天のイースタン公式戦は三年ぶり。 晴天の下2097人が迫力あるプレーを楽んだ。試合は2ー2の引き分けに終わった。そうです。
歌津晴れの天気でよかったです。この公園は以前も書きましたが、私が華の歌中時代に着想し、後年父に議会や行政を、動かして貰い、造ったものです。
震災の時は野球場の下のサッカー場(ベガルタ仙台練習地)に仮設住宅を建築し苦しい避難生活を乗りきってもらいました。今はすっかり仮設もかたづき、芝生も綺麗なサッカー場に戻りました。時間の経過を感じます。
そう言えばこの球場に良く、花巻方面の高校が春期の練習で来てましたから、あの令和の二刀流大谷翔平選手も来てるかもしれません。みんなで応援すると立派な記念碑が立つかもしれませんね。そしてさらなる活躍に期待しましょう。するとまたひとつ歌津の観光資源が増えます。将来的に世界遺産の登録目指し頑張りましょう(笑)
ちなみにこの試合の主催、河北新報の創業社主、一力健次郎は太宰と同じ青森県人です。そして一力さんは作家の佐藤愛子さんと親戚です。愛子さんの父、作家佐藤紅緑も青森県で、先妻の子供が『小さい秋見つけた』や『悲しくてやりきれない』の詩人サトウハチロウで、そのお母さんが創業社主、一力健次郎の妹です。
従って愛子さんとハチロウさんは異母兄妹です。愛子さんのお母さんは女優でしたが、熱血作家佐藤紅緑に見初められ先妻がいましたが強引に結昏して愛子さん達が生まれました。どこか太宰に似てますね。いずれも心の熱い人のようです。ちなみに私は愛子さんのファンで、ハチロウはとても尊敬している詩人です。「ヨイショ」。
その太宰も『津軽』の取材で資料を借りに河北新報に寄ったエピソードがあり、なぜか「いじめられっ子」のように部屋の隅で小さくなって筆記して、夜はどっかで一席設けてもらったが例によりお酒で失敗したようです。
佐藤家にも詩人・作家兼執事の「福士幸次郎」という人が居ましたが、わたしの好きなキャラクターでしたね。
太宰も面白いし、この福士幸次郎も面白いので、どこかで会っていたら友達になってたかも知れません。
長くなりましたが、この平成の森も地方創生の一環で発案しました。今となっては大流行りで嬉しい限りです。そこで今ある思いがあります。それは先にも触れた、馬場の三浦二三男出版記念会の図書館を、ここ平成の森か、歌中にある南三陸町民俗資料館に流されないように何時か移動保管したいことです。
ここで一首 通学の 自転車こぎつ 構想す 平成の森に いま立ち巡る
あと、ここでの楽天の試合をまだ見たことがないので 来年あたり見たいと思います。そして、懐かしくも連絡をつけられずにいる旧友などにバッタリ会えたら最高です。以上です。
2022年5月1日 ☆ロシア・ ウクライナ戦争の行方
やれやれの五月です。9日に予定していたロシア軍のマリウポリでの戦勝パレードも、プーチン氏にとっての確たる成果も無く予定は未定とかです。
アゾフスターリ製鉄所に避難していた一部住民も、国連と赤十字の介添えで退避が始まったようです。
包囲していると勝手に主張していたロシア軍も、ドネツク州方面に撤退のようです。
さて、そんなこんなで、世界はコロナ対策が済んだ訳でもなく、プーチンの核云々のウダウダ話しも聞き飽きたので、いよいよ〆に入りましょう。
先月28日、米国下院で「レンド リース法」=「武器貸与法」が成立しました。翌日さらにロシアのオルガルヒ等の凍結資産、EU分を含め約4兆円をウクライナ支援に投入する事も決まりました。
◎ この武器貸与法とは恐ろしく画期的なもので、1941年に太平洋戦争の開戦を契機に導入されました。
端的にいうとウクライナが、無尽蔵に米国からの武器の貸与を受けられる法律です。よってロシアの負けです。
その心は仮にロシアが核の先制攻撃をしたならば、ウクライナは米国の核をレンタルして、反撃する事が出来るからです。
この事は日本も同じで、ある国から核攻撃を受けるとするならば、あらかじめ日本近海に展開している、米国原潜の核ミサイルの使用権をレンタルして置けばいいのです。こうすれば非核三原則に抵触せず反撃出来ます。
保持してないハンディは無くなり急ぎ当分の間守られます。シェアリングはその後の展開次第のテーマです。
じつはこのレンド リース法には面白いエピソードが一つ有ります。ビートルズのジョンとオノ・ヨーコさんのことです。第二次大戦後、英国はこの支払いのために、大変な重税政策を執りました。私達も学校で「英国は高福祉政策と英国病で税金が高いのだ」と習いましたが、実情はこのときの支払にあったのです。
ジョンはこの頃ヨーコさんとも出会い、ビートルズも解散目前でしたが、初期契約のまずさと辣腕マネジャー、エプスタインの死亡でライブ興行も出来ず悩んでいました。さらに初期の版権を全てエプスタイン側に取られ、いくら働いても儲からないのです。おまけに売上の税金、所得税率が75%で、ほぼ地獄のような税金※です。
※ ジョージ・ハリスンは93%を国に取られた(笑)と語っています。
そこでヨーコさんの提案で一度解散して、税金の安いニューヨークのダゴタハウスに移り住む事にしたのです。もしこの事がなければジョンはアメリカで亡くなる事は無かったかもしれません。残念でした。
この英国の高所得税率の原因がレンド リース法の借金※にあったのです。ちなみに英国は四回支払猶予を受けても2006年に完済し、ソビエト・ロシアはエリツンまでは払いましたがプーチンの代になって踏み倒しました。
蒋介石はもっと貸してくれと言ってルーズベルトに呆れられました。そして最後まで戦わず台湾に逃げました。
※この時英国は国営石油会社がサウジに所有し担保の一部としていた油田を米国の石油メジャーに譲渡した。
◎ ウクライナの場合はバカなプーチンの海外資産が30兆円も有るそうなので、後払いで幾らでも使い放題に武器をリース出来ます。おまけに支払にはロシアの「プーチンマネー」が有りますので遠慮はいりません。
米国も気前よく貸してくれるでしょう。そして、早めに終戦させることです。それが全世界のピーポーの切なる願いです。一刻も早く終結することを神に祈ります。The God Father. 作家 Don・Vito・Fumione
そして五月、仙台は青葉祭りです。昨年まで二年間、コロナで中止でした。今年も大掛なパレード等は控え、恒例の雀躍りと写真の政宗公の山鉾だけで、練り歩くようです。
五月といえば誕生日です。先日の連休には伊藤さんに、歌津まで来て頂きました。帰りには私の車のバッテリーエンコ発生でとんだドタバタでしたね。
そしてM氏にも来てもらい、バッテリーチャージでエンジン再始動でした。まるで華の歌中時代さながらのコントでしたね。ほんと、昔はあんな感じの毎日でしたね。
で、結局、大谷のタナゴは買ませんでしたが楽しかったです。次回、買ってくる予定です。
さらに誕生日といえば、M氏は私らより早い四月でしたね。「おめでとうございます」小生ら二人はこれからです。
いずれもこれからも元気でいる事を心より願う次第です。
そしてまた、エンコしたならよろしくです by フミ.
追伸:5/25日、誕生日を前にして、これまでの来し方を振り返ってみました。
そして所感です。自分としてはこの間、未知のコロナウィルスで、全人類と共に戦い、その対策を提示したり、ロシアとウクライナとの戦争では、開戦後一週間でいち早く3/1日に、当コラムでウクライナの勝利を予告しました。そしてプーチン政権の全世界からの孤立化と、ロシアの国連からの追放を提言してほば実現しました※
※ 関連作品として:小説「ヨハネの黙示録・蒼ざめた馬を見よ」執筆中。
これらの予感は今より約三十数年前から想定されましたが、3・11の震災と同様で自分も当事者になると運命を感じない訳にはいきません。そしていま「鎌倉殿の13人」で鎌倉ブームです。
先日亡くなった作家石原慎太郎※の言葉で「当代を生きる作家はその時代と共に寝なければならない」と言ってました。つまり、歴史に残る作家とは「時代と交差」シンクロすると言う事のようです。自分の場合はこれプラス聖書の教えを伝えるというのがありました。そして概ねこの誕生日を前に達成する事が出来ました。
※ 石原さんは裕次郎さんの兄で前からファンでした。湘南出身で三浦半島に石原と言う地名があり、以前からルーツが同じで,一族ではないか?と思っていました。ドラマでは間もなく反乱をお起し消えゆく「和田義盛」も三浦の一族で、江ノ電「和田塚駅」が根拠地で本来は三浦ですが、和田に住んだので和田を名乗りました。
どうやら、こうした自分の作家人生も間違いなく「時代とシンクロ」しているようです※
そして、この誕生日を前にして、まだ一部「青春の光と影」の部分で未解決のテーマもありますが「我が人生に悔いはない」というところです。これまでの作家人生において「韻と平仄」・「辻褄」は合ったようです。
※時代を作る作家「トレンド作家」です。するとこれからは「ネット文化の発信者・映像監督」の時代です。了
2022年4月1日 ☆ ウクライナ戦線とオミクロン2のこと
早いものでバカなプーチンに世界中が付き合わされて1ヶ月です。当プラットホームも二日間にわたるサイバー攻撃を受け、アクセスが困難になりました。ご不便をお掛けしました。
プーチンはかつて自分が諜報機関のトップだったのに、連日ウォッカで二日酔の7個師団が「三日でキエフを制圧する」なんてどう考えても有り得んだろう。
何を信じたのか、スキタイのマジナイか ?
今更に「情報が上がってこず、誤算だった」も、ヘッタクレも無いだろう。
ちゃんと諜報をしてるはずだ。その言い訳は
通らない。今どれだけの被害と悲惨な事態になってるか、自分で調べて確めてくれ。
軍に騙されて「自分こそが被害者だ」ってか〜。それは無いだろう。Youが間違いなく戦争犯罪の張本人だ。
それにお気に入りのZのマークはかつて日露戦争の時、日本海海戦で日本の連合艦隊司令長官、東郷平八郎が「皇国の興廃この一戦にあり 各員一層奮励努力せよ」と旗艦「三笠」に掲げ見事大勝利した「Z旗」旗流信号で日本海軍の勝利のシンボルだす。Youがこれを使ったら敗けるべサ。ちゃんと歴史を勉強すべし・・・だね。
おまけに今、侵攻をそそのかした側近に促されて、停戦交渉だそうですが、ここから更に往生際が悪くウダウダ四の五のと粘ります。そして有耶無耶にしょうとします。また、生物・化学・核、云々とか言い出すかもです。
しかし、この落とし前は喫切り(キッチリ)と着けて貰いましょう。最低でもペナルティーとして、国連安保理の常任理事国からの追放は必須です。非人道的に人権を踏みにじる国が、常任理事国に居座るのはあり得ません。
第一、国連発足時のヤルタ体制のひとつはソ連で、崩壊後、ロシアが引き継ぐとは正当性に疑問ありです。反対にウクライナかも知れないし、ジョージアかも知れません。中国も同じ文脈で交戦したのは国民党政権でした。共産党は国共合作がありましたが、他にもゲリラ戦は無数にあり代表が判然とせず交戦相手としては疑問です※
※ その上、人権や人道的にも多くの問題がある両国が、国連五大理事国として居座るのは検討の要ありです。
さらに戦後の復興資金にはプーチン氏の海外資産が30兆円あるそうなので、それに供出してもらいましょう。
これが「ネットメディア」・「ネットピーポー」の総意です。そこんトコロ夜露四苦です。
ここで一首
◎唐突に ロシアが戦争(イクサ) 巻き起こし 国連機構 改組うながす 歌津海竜 Don・Vito・Fumione
そして警告したごとく、先月末28日からオミクロン.2夏型バージョンで、2500万人の人口を抱える上海では都市ごと封鎖、ロックダウンだそうです。やがて、北京にも拡がるでしょう。今、高収入階層ではファィザー製の飲み薬が、闇で四万元の値段で取引されてるそうです。
この波がロシアに移っても、かの国は無視するでしょうから、表には出ないでしょう。国民は大変な目にあいます。まずは、一刻も早く戦闘を止めて防疫や治療に専念すべきです。
PS:先月28日、アカデミー賞で日本の若手監督が受賞しました。久々の快挙ですね。良かったですね。
これからも日本のコンテンツクリエイターが、続々と生まれるよう期待しております。お目出とうございます。
あと『鎌倉殿の13人』で今、北条政子に家を壊される「うわなりうち」(後妻打ち)のシーンで、ホットな話題の頼朝の侍女「亀の前」のことですが、実はどういう経緯か不明ですが、歌津にお墓があるそうです。伊達藩が編纂した『安永風土記』から引いたと思われる『宮城懸史』に正式に載ってます。
ちなみに、こちらも不明ですが「頼朝」の馬の墓も歌津に有るそうです。私的にはどちらも場所は不明です。
いつか調べてみたいです。そして例えば「政子から逃れるため、頼朝の馬に乗り「我が家の領地」にたどり着いたなどのストリーだと面白いな、と思っています。どうも「亀の前」の出自が三浦と思われるからです(笑)
2022年3月1日 ☆ 『ヨハネの黙示録』ー蒼ざめた馬をみよー
待ちにまった三月です。しかし、先月24日にロシアがとんでもない暴挙にでました。私はこの時期には必ず、あと二日後に起きた
「二.二六事件」の事を思います。
戦前の日本の進路はここで取り返しのつかない事態に転落したからです。どこか今回のプーチン氏の暴発とメンタルが似ています。
◎ 2011年8月11日すでにキエフでアポカリテプィックサウンド
『ヨハネ黙示録』の奇妙なラッパの音が鳴り始めていました。
そして今この全世界がコロナとの戦いのさ中に「さらに人類同士の戦争をする奴がいるかぁ! 悪魔に囁かれての所業か ! 」という思いです。
ロシアが例年この時期にウクライナ国境付近で、嫌がらせの演習をしているのは以前から知っていましたが、この愚挙の責任はすべてロシアにあります。
では、なぜプーチン氏はウクライナにこだわったのでしょうか ?
それにはロシアの地政学的宿命と歴史的背景があります。
元々この辺りはヒッタイト・スキタイト(遊牧ゲルマン人)の土地だった。しかし9世紀ごろスカンジナビア半島に居たディーン人※(バイキング)が、現在のキエフあたりに定着し(キエフ公国のこと)やがてウクライナ人となり、さらに寒くて生活環境の厳しい北東のサンクトペテルブルクやモスクワあたりにも移り住みました。
※ディーン人=デンマーク人の語源 フィン人の住む処=フィンランド人 北の果てに住む人(North Way)=ノルウェー人 湿地帯・Sweatに住むディーン人(Swampy land Dean)=スエーデェン人
北欧人なので寒さに強いためですが、やがて、13世紀にフィン族・モンゴル人に襲われ、その後彼らと交雑してロシア人となりました。そして、その多くのウクライナ人やロシア人・ベラルーシ人(旧白ロシア)は同じ遊牧民族の「スラブ系民族」※と呼ばれました。
※スラブ三兄弟:原型はゲルマン人X蒙古人=ディーン人Xペルシャ人Xローマ人Xモンゴル.トルコ人=スラブ人.
ここで馬の話しです。競馬で有名な馬にはサラブ系とアラブ系とありますが、彼らはそのスラブ馬に乗って戦闘集団をつくる遊牧の民でした。19世紀までは馬賊の野盗集団でもあり、そのため欧州人に嫌悪されました。
もっぱら馬を飼い羊や山羊にくるまって生きていました。物作りはあまりせず、日常物資に困ると馬で徒党を組んで他の街やブルグ※を襲い、女性までもサラって行きました。後に帝政ロシアの陸軍の主力に組み込まれた「ドン・コザック騎兵団」は、かつての日本陸軍の最強の敵で、日露戦争では秋山騎兵旅団とも闘いました。
※「ブルジョアジィー」の語源で馬賊避けに、都市そのものを高い防護壁で囲い住む者=ブロック・ブルグに住む人々でそのような城内に住む金持ち階層を「ブルジョア階級」と呼び、のちの社会主義国では打倒すべき階級とされました。今の「セレブ」です。そして、いま、プーチンこそが、そのセレブで、ブルジョア階級です。
そのため物作りをせず、他のヨーロッパ諸国や、ステップ地方(シルクロード)を通るキャラバン(隊商)を襲い、物盗りをする様が嫌われ、蛮族と呼ばれました。やがて社会主義国になり今だにEUやNATO※にも加盟困難なのはこの蛮行のレッテルが遠因で、更に虚言を弄するため歴史的に西欧人には三等国人として信用が無いのです。
※ NATO:北大西洋条約機構=北米・カナダ・西ヨーロッパ自由主義陣営軍事同盟です。
ヨーロッパや中国では、文明に浴して無い野蛮人として嫌われました。「Barbarian」
◎ちなみに中国の「万里の長城」も同じ理由で築かれました。原因はモンゴル人でした。
一方そんな中、ブルグに住めない多くのロシアやウクライナ人等の住民は、遊牧や小麦などの植栽を中心に生業としましたが、時に馬賊に襲われ村ごと滅亡したり、封建領主の下に搾取される農奴階級※ と呼ばれました。
※「奴隷」= スレイブ→スラブ
そのような時代を1000年以上続けた20世紀、マルクス主義を学んだレーニン(ロシア革命)と、中国では毛沢東が「こんな貧しい境遇はまっ平ごめん」と資本主義を経ずに、突如、社会主義政権を樹立し、更に第二次世界大戦後、近隣のスラブ系民族や東欧諸国を併合し※「ソビエト連邦」を構築しこの度の不幸の原因を作りました。
※ WTO:ワルシャワ条約機構=東欧諸国軍事同盟・ロシアによる第二の「タタールの軛」(クビキと読む)同盟
そんな不幸の原因とは知らず、当時ソビエト主義の強い推奨者だった父の影響で、ソ連の「KGB」に就職した、ウラジミール・プーチン氏は1991年にソ連邦崩壊の憂き目に合いました。この事はマルクス主義を信奉していた39歳のプーチンには耐え難いもので※やがてこの連邦のトップになるはずが、あてが外れました。
※ 後に彼はこのことを「20世紀最大の地政学的惨事」と語っています。精神的にも相当こたえたようです。
いわば祖国ソ連の発展と共に出世したかった「青雲の夢を踏み外した」格好になり「躓きの石」となりました。
しかし、これを機会に学び直し帝政ロシア※の再興という狂気を始めました。そして以前のワルシャワ条約機構の加盟国を欧州との緩衝同盟に引き留めました※※されど多くの旧ソ連邦の国民は社会主義に懲りてむしろ自分達も「脱露入欧」(自由で洗練されたヨーロッパ人)のアイディンテティーを求めて多くがNATOに加盟しました。
※ ピョートル大帝と自分を重ね合わせ模倣した国作りをしたかった。(社会主義者の帝国主義者への先祖返り)
※※(CIS)独立国家共同体
◎ それはロシアの栄光「汎スラブ主義」を取り戻したい、ウラジミール・プーチンには裏切り行為でした。
彼は世界には「毛皮貿易」以降の悪政が元になった「病的な嫌ロシア主義」=反スラブ主義が潜在的にある、と巨大な認知バイアスをかけてずっと憎んでいました※
※ たとえばヨーロッパには「ノイライヒェ」という言葉があり、意味は「成金」というそうで、ソ連崩壊時に急に金持ちになったロシア人をさす場合が多いそうです。いくらお金があってもファッションやインテリアの趣味が悪趣味で獺祭(ダッサイと読む)ので下にみてそう言うのだそうです。
急に大きな財産の出来た経緯も犯罪的とは言えないまでもグレゾーンだろう、というニュアンスも含まれているそうで、まるで、馬賊がブルグやキャラバンから奪った金品を、ひけらかす行為を彷彿させる様を言うのでしょうか? しからば今回のプーチンの行いも今後何世紀もかけて地道に「悔い改めて」払拭するしかないようです。
そして、今、カラー革命以後、最後の心の古里、ウクライナまでもがNATOに加盟し、ヨーロッパ人になろうとしてます。すると、地上の最悪国はロシアと中国・北朝鮮だけになってしまうのです。彼にはそれが耐え難かったのです。「ヨハネの黙示録」の「赤き馬」とはロシアの戦車ではないか ? と言われていました。
実は2014年に占領したクリミア半島ヤルタⅠに近い、グレンジークにプーチンの広大な邸宅がありアゾフ海に面した保養地の別荘は暖かく、ヨーロッパ的でロシア人の憧れの地であり、近くには崩壊前のソ連海軍の虎の子の軍港Ⅱまで有ります。プーチンは老後をここで過ごすつもりなので、クリミアを手放す訳にはいかぬのです。
Ⅰ:ヤルタは旧ソ連時代にフルフチョフ書記長がウクライナ領と定めてしまい、ロシア人は自由に往き来出来ないので、プーチンはここをロシア領にして、パスポート無しで自由に往来したいと思って戦争を始めた。そのために武力での犠牲や被害は極めて甚大となった。そんな個人的で不遜な動機を天も世界も許すとは思われない。
Ⅱ:セバストポリ要塞は先日撃沈されたロシア黒海艦隊旗艦「モスクワ」の母港で艦隊本部の基地がある。この港はロシア海軍にとって地中海世界に抜けるのに最重要な不凍港です。また、第一次クリミア戦争の係争地で、帝政ロシアはここでの戦費調達のため、自国領だったアラスカを720万ドルで米国に売却した過去があります。
◎更にプーチンはパーキンソン病や癌、そして初期老人性ウツなので、時々セロトニンが足りなくなり、しばしばヤルタの日光を浴びたくなる。この邸宅は戦争が終わり、ウクライナの主権が安定したなら「かつて馬鹿なプーチンが、自分のコンプレックスと病気から、戦争を始めるための動機付けをした別荘」として語られます。
よって全世界的な観光地になります。(ヤルタ会談のヤルタは風光明媚で世界的な保養地として有名)
◎それはやがて戦場に送られる寸前だった二.二六事件の首謀将校達と同じようなメンタルでした。彼等の場合は「国の為」という軍国主義を批判出来ずに従う者達が理不尽な作戦で派兵される事への不満でもありました。そして昭和維新をやり直し、社会主義国家を目指しましたが、昭和天皇の意にそわず反乱軍とされました。
そして、ここに新約聖書の最後の預言に「ヨハネの黙示録」がありその中に『黒き馬をみよ』とあります。その騎手は手に小麦など食料を量る天秤を持っていて飢饉を表すとか、なにかしら今回の戦争を表して無ければ良いがと思うのと、決して「全面戦争にするなよ」と、プーチン氏に警告したいところです。
3月1日、日本のコロナ感染者数が累計500万人を越えました。そしてロシアの感染者数は世界二位だそうです。さらにロシアのコロナワクチン「スプートニクⅤ」は三割しか効果がなく、またWHOに登録申請をしましたが、提出した医学的統計データがデータラメと判断され不認可になったそうです。(愚鈍なロシア人のデータ扱い)
ところが存在感を示したいプーチンは、世界70ヶ国に40億人分のワクチンを配ってしまい、ロシア国内でも「三割しか効かない」と糾弾され接種数が上がらず、面目が丸潰れだそうです。今、米国ではWHOの認可したワクチンを打った人意外は入国禁止で、先述の40億人の何割かが米国への入国を足止めされているそうです。
加えて、この春先から夏にかけて中国からロシアに、オミクロン株の亜型が北上したなら、西側製のワクチン、ファィザー・モデルナ・アストロゼネカ等を受入れざるを得ません。するとロシア国内では散々飽きられてる、彼の地位保全が危うくなります。これは中国の習近平氏も似た境遇のナショナリズムなので同じ運命です※
※先月、北京冬季五輪直前のプーチン大統領の訪中にあわせて、両国が発表した共同声明は欧米への敵意をむき出しにしたものだった。それは中国との安全保障や経済、先端技術や気候変動に至るまで幅広い分野での連携の進化をうたっている。これは同時に中国に裏から台湾侵攻をするよう、促し求めているのではないか ? です。
◎ 2月4日、北京市の釣魚台迎賓館にオリンピックの開催式で招かれたプーチンは、習近平首席と二人きりになったその席で「何らかの軍事行動を取る」とウクライナを巡りこう明した。それに対して習近平氏は五輪・パラリンピック期間に合わせて休戦決議を持ち出し「平和を考慮するように」と返した※
※幸いにもプーチンと習近平が人生を賭けて画いた田舎者同士の自作自演の物語は破綻して完成せぬようです。何よりも二人に欠けてるのは西洋的知識や教養(アリストテレス型学問)で更に想像力の欠如が致命的なのです。
ヨハネの黙示録に『蒼ざめた馬をみよ』とあり「病気と死」を意味するとか、だとすると彼は「悪魔の囁き」に乗ってしまい、数々の失敗からクリミア半島とヤルタを奪取するには「今しかない」と焦ったのでしょうか ?
それならば単なる野望・エゴにしか過ぎません。これを全世界が許すとするならばそれこそがミステリーです。
いよいよ「コロナ戦線に異常あり」です。ヨハネの黙示録は現代でも謎・確実なミステリーです。
ロシア軍には即刻戦闘を止めて戦車も装甲車も置き、回れ右して徒歩で祖国の家族の元に帰って頂きましょう※
いずれウクライナから「永久に謝罪と賠償を請求する荷駄」と請求書が届きますから、その際は夜露四苦です。
※キエフを三方から包囲すると、どれも一本道なので、その後方にウクライナ軍が回り、正面と後方に挟まれて「袋のネズミ状態」になり戦車隊は白旗をあげざるを得なくなる。そしてロシアの非人道的な行為は、澎湃と沸き上がる全世界のネット民の非難の声と「ネットメディア」の力により、国連の常任理事国からも追放される。
兵士たちよ 獣たちに身を託してはいけない 君たちは人間だ 心に愛を持った人間だ 独裁者たちは自分たちを自由にし 人々を奴隷にする。 チャップリン
◎ 祈る「Oh My God ウクライナに自由と平和の神の栄光あれ」God bless you and Ukraine.
2022年2月5日 ☆コロナ戦線異常あり
立春です。♪「春は名のみの風の寒さや」『早春賦』
「雪が溶けて川になって流れて行きます」『春一番』
キャンディーズですね。
毎年、この時期になると何とも言えない気分になります。そう、卒業目前の時期だからです。誰もがかつて何度か通り過ぎた季節ですね。
実は学校制度を調べてみたら、なんと約7000年前のメソポタミヤ時代からあるそうです。そして驚く事に当時から夏休の制度まで有ったそうです(すでにDNAに刻まれてる)
ではなぜ、当時、学校に通ったかと言うと、読み書き計算を習い、「役人」になるためだそうです。(日本でも飛鳥時代以前から朝廷の学校はあったようです)。
その頃までにはメソポタミヤ地方では狩猟採取の生活から抜け、牧畜、栽培を覚えたからのようです。
チグリスやユーフテラスの河川敷に自然に生えていた小麦を栽培すること覚え、食べ物を探しにあまり移動しなくても済むようになったようです。
さらに灌漑などを覚え生産がコントロール出来、余剰生産物も増えて、通年でも働らかないで済む階層も現れ、その者達が土地などを占有し、人を使いただ管理するだけの王侯貴族も出現し、年貢を管理する「役人」も必要だったようです。面白い事に旧約聖書に「徴税使だけにはなるな」とあり当時から何が有ったんでしょう?(笑)
ちなみにビールとパンもこの小麦から作られます。始めは小麦を保存していた瓶にある日、過って水が入り発酵してしまい、泡だち香ばしい水を試しに飲んだらビールだったと言う落ちで、パンは小麦粉を水でこねて焼いて作るはずのナンを、ビールでこねてしまい捨て置くと、いつの間にか発酵して膨み、焼いて食べたら旨かった。
◎ 聖書の「過ぎ越しの祭り」の時、パンの生地にイースト菌を入れずに、焼いて食べるのはこのためです。
と言う事で、出会いと別れの季節はメソポタミヤの学校時代からあり、その別れの席でのビールの楽しみも、
過ぎ越しの祭りも、最近はコロナ禍で台無しになり、かつての人生では味わえないスチエーション上にいます。
いつの時代もどんな出会いと別れも多少切ないものですが、なんとかこの時期を乗り切り、明るい太陽の下で、来る春を迎えたいものです。
そのコロナ戦線についてですが、先月1月26日に自分のワクチン接種後の抗体の残量検査を受けてきました。
結果は昨年の六月中に、二度受けたファィザー製のワクチンの効能は落ちて、ほぼ在庫が有りませんでした。
"自分だけは,,と心理学で言う「認証バイアス」を持って調べてみましたが、残念な結果となりました。
すると今度はこのオミクロンの流行りを受けて三度目の追加、ブースター接種を受けるかどうかです。しかし、今回は流石に副反応の懸念があり多少迷いました。と言うのも掛かり付けの先生も強く奨めないからです。
しかも、この度はモデルナ製の交互接種です。ただ、効き目はその方が効果的なのだそうです。
結局、2月2日に三回目を受けましたが四時間後に、左腕のリンパ節に瞬間的な痛みが走るようになりました※
ついに「コロナ戦線に異常あり」です。さらに翌日には38度の発熱です。普段は36度あるかないかの低体温
体質なので、結構しんどかったです。用意してもらっていた解熱剤を服用しましたが、二日間消耗しました。
※最初のファィザーの注射は二回とも左腕でしたので、三回目は右腕と決めていたのに予診の際、うっかり左腕と申告してしまい・・・嫌な予感が残念ながら当たってしまいました。次の日、早速く近々接種予定の伊藤さんにも電話をして、経過を伝えました。やはり体は前回二回の接種を異常分子と認識しているようですね※※
※※ なので反対側の右腕ならポリエチレングレコールの残滓は無く、より低反応だろうと思考したからです。
さらに2月5日現在、フィリピンでオミクロン株のBA.2ステルス型が流行り始め、これが、北半球の夏型バージョンになる可能性があり、春先以降こちらがメインになるかもです。と言うのもデンマークでは今この型で持ちきりです。このパターンは一昨年インドでのデルタ株が再び英国に持ち込まれ猛威を振るったパターンです。
加えてBA.3も居ますので、これらが春先と共に島づたいに北上し、中国大陸に伝わらないかが? 懸念されます。そして、シノファーム、シノバッグのワクチンは三割しか効きません。すると西側のファィザー製やモデルナ製のワクチンを、供給する事態にもなり、ワクチン不足もあり得ます。
なので用心に越したことはないようです。God bless you. お互いに気を付けましょう。
今この三年にわたるミステリーとも言える『コロナとの戦い』を出版社は未定ですが作品として書いています。
このテーマは人類にとって『ファテイマ第三の予言』に継ぐ『ヨハネの黙示録』を暗示させる第二のミステリーです。
追伸:昨年11月にディズニー+で配信されたビートルズの『The Beatles Get Back』が世界中で好評価なので、ピーター・ジャクソン監督が続編を作るかも ? だそうです。実現したら観てみたいですね。
◎ これに付随して言うと、いくら、テーマが古くても、人々は「見たいものは観たいのだなぁ」という点です。日本もこの辺に映像製作のヒントがあるように思います。ただ我が国の場合はNETFLIXもアマゾン・ビデオもDisney+もなく、それに代わる製作資金の出し手もなく、唯一YouTuberの広告収入が伸びてるだけです。
さらに頼みのエンターテイメント ワークスは、単なる天下り先で終わりましたが、今なら金利も安いので市中の豊富な資金を取り入れ新たなファンドを作り、メジャー大手のソニーピクチャーズを中心に東宝、松竹、東映などでデジタル配信を手掛ける、国外向けクールジャパンのプラットフォームを構築してはいかがでしょうか。
そして新たなクリエイターを資金的に支え、創作意欲をかきたて国内外に、発信することが望まれます。
2022年1月1日 ☆新年にあたって
みな様、新年あけましておめでとう御座います。今年こそ健康への希望の光が射すことを切に天に祈ります。
そのコロナー19に襲われて三年目の新年を迎えてしまいました。もとより生態がつかみ難く相当に手強い相手、と覚悟しておりましたが中々抑えられません。いま更にデルタ株とオミクロン株が世界を席巻しています。
この疾病はハーバードを出ようが、東大を出ようが、家出しようが、草津の湯に入ろうが、恋の病と一緒でそう簡単には治せません。ロシアで亡くなった人が、65万人を越えて二位のブラジルを抜たそうです。気の遠くなるような数字です。
そして日本では多少おさえられていますが、この正月明けが心配です。
さいわいワクチン接種のおかげで重症化は防げて、飲み薬も使えるステージに来ているようなので、三年前の初期の頃のような恐ろしさは薄れましたが油断は禁物です。いま少し慎重に様子を見ましょう。
写真の掛け軸は昨年の秋に書道家の僭越四国先生が、わたしの短歌
「遠つ親 拓きし馬場の 海嘯 で 更地に戻る 時に巡りぬ」を色紙にしたため書道展に出品したものを、さらに掛け軸としてくれました。
絵を拡張してみると分かりますが馬場の海です。沖合いに見える島は大きく見えて南北に二つのスフィンクス(獅子がしら)のようにみえるのが「見岸」ミヨギと言い、その北側が二ッ島、その沖に少し細長くかすかに見えるのを長磯とよび、その右側の島が大磯です。
いずれも私が幼い頃より父や兄さらに仲間達と上陸して、釣りや貝を採って遊んだ島々です。もちろん良好な漁場です。
この掛け軸はわたしの生家、けやき台をかさ上げし家を再建したら、一番初めに掛ると約束したものです。復興のあかしです。そんなこんなで新年も再興や研究・創作にも頑張ります。どうぞ本年も宜しくお願いします。