◎               平成23年3・11からの復興プラン               ◎

朝日新聞が募集した震災についての論文に応募することにしました。以下内容を転載します。

 

平成23年

3・11日本列島改造論

東日本復興計画私案   仙台市 三浦二三男

 

〈はじめに〉

平成23年3月11日(木)午後2時46分に東日本をマグニチュード9の巨大地震が襲った。この未曾有の大災害から今回、新たにフィードバッグすべき、災害予防、防災対策は広範で深甚なものとなる。それは単なる従前の復旧ではなく、従来のコミュティーを基に新たな街作り、あらたな生産インフラの構築、また新しいライフスタイルを目指して、これから訪れる少子高齢化、過疎化にも対応し東北地方が全国に魁としてのモデルケースとなる復興計画でなければならない。

さらに、このたびの東日本大震災で判明したのは、想定をはるかに超える比類のない規模の大災害であった事である。従ってこれから論じる、災害対策や復興策はこれまでにない新たな視点と発想で構築され、そしてその復旧復興の暁には東北と日本の未来は、新たな技術革新による、豊かで安全安心な社会でなければならない。

 

【本論】

(1) 現状 〈発想の転換の必要性〉

(問題点)として「想定を超えた災害」

そこで、まず初めにかわらざるを得ないものとして、震災が発生してその初期の対応に不手際があった。その原因として問題となったのが、地震と津波が想像を遥かに超えた災害のため現地の状況、事情、情報が従来の防災システムでは速やかに把握出来なかった点にある。原因として〈A〉被災地が広範因に及んだこと〈B〉通信手段の不能、停電(電話、無線連絡)の設備が破壊された事、連絡網の壟断(行政組織の根本からの被災による消滅)、連絡手段の消滅(道路の崩落流出、港の破壊による海上運航の困難)上空からの連絡手段の未整備が上げられる。

 

(2) 改善点〈対処法としてあらたな装備の常設〉

これに対してこれからの設備の必要な物のとして(イ)通信手段の確保として避難所への衛星電話の常設、(ロ)それらの避難所を使用維持する電源車、浄水車、浴槽車、キャンピングカー、水上バイク、燃料車等、これからを空輸出来るヘリコプターを搭載することが出来る揚陸艦を三隻建造し北は北海道・東北用に塩釜に配備する、中央は関東・中部用に東京湾に係留する。南は関西・四国・九州用に大阪湾に係留する必要がある。

また、ヘリコプター等が使えない場合は落下傘部隊とレンジャー部隊でもって現地の現況をいち早く探索し報告する。将来的には人工衛星による探索と捜索も行う。

以上が基本的に変わらなければならないものである。

 

(3)復興の理念〈震災初年度から二年後のありかた〉

(中央政府に消防庁と併設して災害対策庁を設置)

(設立理由として)「近年の災害の頻発により」

これまで災害といえば火災、台風、洪水、雪害、地震と多くは局所的でその発生頻度もこれ程高くは無かった。しかし、近年、ゲリラ豪雨などの急激で大型の災害が頻繁に起きるようになって来た。また地球温暖化の進展も加速されて、本格的「災害対策庁」の設立も考慮しなければならない。

(対応策)として「救難隊の海外派遣・観光交流」など

これに対応して災害対策庁を設置し、頻発する災害に備える。また、近年諸外国でも大規模災害の発生が顕著で、お互いに救援隊を派遣している所である。当然世界的にグローバル化に向かうのは必然なので、防災資源を世界に向け集中することは将来的な投資にもなる。組織の有り方として、要員は消防庁、自衛隊、民間人を特別選抜して、災害の研究訓練を主な任務とする。

(研究・訓練項目)として

地震、津波、原子力関連、化学物質、バイオハザード、火災、自然災害等の本格的研究訓練機関とする。

設置場所として、今回災害の激甚地だった、気仙沼、南三陸周辺とし、この研究教訓施設を設置する事により、未来永劫、災害の教訓地として、防災意識の劣化、形骸化を戒めるものとする。

(観光・交流)として

また、いずれ、復興のための護岸ハイウェイを構築し、この度の災害で当地が世界的認知を得て各国から多大なる義援金や援助などを頂いたので、復興の暁には地震津波をテーマとした防災観光を企画し、全世界から観光客を誘致し三陸地方の資源、製品、海産物を一気に世界的ブランドにする。

「一例」として「豪華客船の石巻、金華山の定期的寄港」などが上げられる。

〈復旧・復興院を現地の最寄りの都市に設置する〉

(理由)

被災地を復興するには、直接被災現地の声を聞き、復興のビジョンを描かなければならない。なぜならば、被災地にとってこれから十年〜二十年間にわたり復興が、ライフワークになるので息の長い、根気のいる対応が必要になる。そのため短期的な復興支援では住民の反感を買う恐れるがあるので注意する必要がある。また、この復興対策が今後の日本の有事の際のモデルとなるので、必ず良い成果を上げなければならない。

そのさい新しい復興計画は技術革新をともない経済成長に貢献することが望ましい。復興院の設置場所は災害地の中心である仙台市に置く事を検討すべきである。

〈東日本災害復興特別財政投融資の発足〉

(理由)

復旧・復興資金は建設国債で賄うのが原則である。従って大規模な財政出動には財政投融資の復活が望ましい。

いずれ、郵便貯金の財政投融資の再開も考慮する必要がある。

〈仮設と復興住宅の有り方〉

仮設及び復興住宅は従来の平屋一戸建てだけでなく二階建て、場合によっては四階建の公団方式で建設し、復興後は他の地域からの人口流入、過疎化対策として入居者を呼び込むための施設とする。

〈被災地と自衛隊の有り方〉

今回の救援、救護の活動で最も成果を上げた組織は自衛隊であった。その中で今後の自衛隊の救援任務に一程度の行政機能の代替化も検討する必要がある。

(行政機能の代行)

例えば(A)南三陸町場合、職員の大量被災で役場機能の大幅な低下が発生した。その際、県や国からの取り急ぎの、支援金や補助金など、現金、公金の管理支給の実務の代行。(B)被災地における治安維持、この度の災害で警察など治安機能が壊滅した地域もあり、窃盗などの発生も見られた。これにも自衛隊の公安機能(内調)によるパトロール、取り締まりにも期待したい。

(C )今回の災害で顕著だった各地のガソリン不足のトラブルに付き、自衛隊の燃料車の活用が望まれた。特に被災者は現金持ち合わせが困難なので、役場または自衛隊から配給券を受け、ある程度の燃料を配給してもらう。

ある一定以上の使用者には、後日請求があることを通知する。

(救援物資の確保、配付)

救援物資の受け入れ、仕分管理をある程度、各自治体職員と共同して貰うのが望ましい。また、不足してる物資等をリアルタイムで把握し、自衛隊の兵站機能を活用して調達して貰う。つまり、物資不足も自衛隊に行けば手に入り、安心できるという体制が望ましい。

政府直轄の「生活相談の窓口」の代行

以上これらは自衛隊の災害時の臨時行政府の設置である。その命令系統は各司令部と被災自治隊の長と協議の上で遂行する。(法律改正が必要)〈地方自治法、自衛隊法〉など

〈ボランテアの有り方〉

日本のボランテア活動は阪神淡路大震災で、ほぼその産声をあげたと言われますが、それから十五年、この度の震災でも多大なる貢献を頂きました。ただ、その善意に感謝すると共に、その各たる財政支援も図る必要がある。もとより、ボランテアではありますが、継続して被災地に応援を頂くなら、NPOを含め多少のホローも必要です。そこで、あくまで(NGO)と言うことで、その資金的調達法として、グラミン銀行や企業の社会的貢献の資金CSRを活用するのが望ましい。

 

(4)復興にむけて〈復興される新しい街並の有り方〉

(三陸自動車道と鉄道路線の最大限の活用)

新しい市街地及び街並みの有り方を再検討しなければならない。今回の地震津波災害がより深刻だったのは、生活基盤である住宅地の喪失、生産インフラの破壊、そして避難行動の遅延による人命的損失が甚大だったことである。これらは過去にあった地震、津波(明治29,昭和8年)の教訓から法律により、かつての被災地には家屋や住宅の建設は禁止されていたが、時間と共に形骸化され建築した建物が今回流出し、また、避難所にたどり着く前に大勢の犠牲者を出してしまった。

三陸地方のライフスタイル、生産形態として沿岸部をフル活用してきた経緯がある、そのため海岸地とは付則不離の状態で生活をしてきた。今後も三陸地方を復活するためには、海辺から離れて暮らすのは現実的でない。

以上、復興、復活にはこれらの諸条件を加味して計画立案しなければならない。

(新しいライフライン、インフラ導入)の必要性

従ってこれから復興される街並み、生産インフラはなるべく現地に復旧されることなく、新しい発想と新しい土地に再建されなければならない。

そのためのサンプルとして二つの例をあげ検証してみたい。

 

〈南三陸町ケース〉

(新しい市街区の選定)

例えば南三陸のケースとして、この地は所謂、典型的なリアス式海岸である。そのため、海岸線はほぼ溺谷状に山が海に迫っている、従って陸地の平野部が少なく、多くの住民は狭い平場に住宅、生産インフラ、農地と効率良く配置、展開して生活していた。しかし、この度の千年に一度と言われる大地震、大津波でその資産の多くを喪失した。そこで、これから再構築する市街地、住宅居住空間はこれまでの被災地に再構築するのではなく、これまでよりも標高のある丘陵地に再構築する必要がある。

その例として、南三陸町、歌津地区はこれから開通する予定の三陸自動車道の沿道にその市街地を展開するほうが将来的だ。ちょうど、今現在開通工事を目指している高速道路は現在の国道45号線と並行するよう沿岸部を北に向かい、気仙沼市、岩手県大船渡市、釜石市を目指して北上する。従ってこの「歌津・新ハイウェイタウン構想」は被災地全域、岩手県、青森県まで応用出来るモデルである。具体的にはまず、条件的に現在の歌津地区を南北に貫く高速道路は、標高も30メートル近くのやや高地を走るので、津波の危険性はない、それは今回の災害で実証済である。その形態としては、高速道路を挟んで西側には役場、学校などの行政機能を設置する。また、東側の海側には、水産加工場、農地、住宅街を段丘方式に造成し津波被害から避難しやすいように設計する。さらに三陸道はこれからほとんどの区間で無料化になるでETCも料金所も不用になり、どの地点からも出入り可能となるので、ちょうどサービスエリアの延長線上に街を造ると言う発想で市街化計画が出来る。さらにそれらに附随して、旅館、ホテル、温泉場やキャンピングカーの駐車場が有ると、災害時の避難所や仮設住宅の設置場所としての転用が容易となる。また、独自、エネルギーの確保して田束山腹に風力発電機を設置し夜の余剰電力を登米市の北上川から歌津ダムに揚水し、発電してスマートグリッドに役立てるべきである。

 

〈名取市・閖上ケース〉

名取市閖上の復興の場合も高速東部道路の沿線に構築する必要がある。旧閖上地区は今回の災害で、とても旧来の地に復旧、復興は無理と思われる。そこで、現在ある貞山掘り運河の景観は残し、その西側の旧市街地跡に高さ20メートル程の緩やかな「砂丘林」を築き、その上に道路を通し護岸道にして貞山掘と共に、観光ハイウェイとする。ここにも風力発電を設置し「地産地消電力」スマートグリッドを実現する。また、今後も閖上の港と水産加工場の機能は残しても、居住地は東部道路の西側に移すべきと思われる。

その一つの構想として、現在ある東部道路の名取川大橋に架かる橋梁に附随してサービスエリアを建設し、その後方に市街地、住宅地を造ることを提案する。また、漁船が海から川を上り橋の上のサービスエリア上の海鮮市場に水揚げして、常磐道を利用する観光客への「笹かま鉾」などの名産品、土産品の目玉商品を提供する場としする。現地は太平洋と仙台市街が見渡せる景観の良好な所なので、サービスエリアを設けると観光的には絶景なスポットにもなる。

 

以上、南三陸歌津地区と名取市閖上地区をモデルに街並み、その他の復興計画を提案しました。歌津地区のモデルは岩手、青森の沿岸部の多くに応用可能かと思われ、また、名取市閖上地区のモデルは亘理町、山元町、相馬市、常磐地方に応用可能か思われる。また、今回の津波で判明したのは高速三陸道、東部道路などの高架部分が津波の勢いを減衰させた点である。特に仙台平野は三陸道のルートが偶然にも「貞観の津波」の際の到達点にほぼ作られたので、その高架と土盛りの部分が内陸部の最後の防波堤になったと言える。これからの津波防災の目安としてこの高速道が基準と成りうる。ここでも高速道路の東側は農地や工場などの生産インフラを置く事が望ましい。また、先に上げた閖上の高さ20メートルの「砂丘林」モデルを仙台港から亘理までの貞山掘運河沿いに構築し、また今回被災した沿岸部の県道(塩釜〜亘理線)をかさ上げすればその生産インフラは、被災以前のレベル以上で活用することが出来る。

以上の発想を速みやかに実現するするには、土地の所有権の移動など、超法規的な買い上げ、多少の強制執行などの処置が必要となるので、事前の法的準備が必要である。いずれにしても地元住民への丁寧なコンセンサス作りは重要である。 

 

(5)未来に向かって〈特論として原発科学事故対策研究部隊の創設〉

ここで取り上げるの問題は、この度の災害は三陸の地震津波と共に国民の不安を一層増幅させた福島原発の事故のことで、これは従来の自然災害を想定していた準備や装備では解決出来ないという、かつて経験したことのない無力感を日本中にもたらした。

その不安はこの次に想定される東海地震に伴う、浜岡原発の故障、暴走を連想させ、国民を一層の不安と絶望感の淵に追い込んだ。さらに失望感に拍車をかけたのが、当事者である電力会社のその驚くほどの責任感の無さと、問題解決能力の欠如だった。これは十数年前のオウム真理教事件を思わせる、暴走する科学に対する恐怖と嫌悪感を呼び起こした。そこで、これらを恒常的に解決する能力が国家に備わっていなければならない。この問題は(3)の理念〈災害庁の創設〉で上げた中で改めて特論として、原発の事故対策研究部隊の創設を提案するものである。

 

(6)十年後、五十年後、百年後三陸地方のビジョン〈海洋ニューディール政策の構想〉

新しい産業インフラの構築としての海洋ニューディール政策の発足。

復興後十年までには被災以前のライフスタイルを回復しなければならないが、多くの犠牲者と高齢化、少子化で復興の進捗状況は停滞期に入ると思われる。そこで従来の三陸地方の特徴的生産形態、典型的生産形態であり、また、ブランドでもある豊かな漁業資源と旺盛な水産加工業を中心に新たに三陸地方を水産加工のコンビナートにするべきである。 

さらに次の10年から20年の発展を目指すために「海洋ニューディール政策」の発祥の地になる必要がある。

これは水産資源、海洋資源、海底資源など日本はいまや排他的経済水域の広さにおいては世界四位の地位にあり資源大国である。この「海洋ニューディール政策」はこれから50〜100年後には必ず日本が進むべき必然の進路であり、これこそが次の国際的競走社会で生き延びるための「奥の手」とも言える。その先遣的研究所などのインフラをこの度の被災地、気仙沼市、南三陸町に設置し開始する必要がある。なぜなら、海洋資源の開発にはまだ各国の軋轢等もあるで、それをこの三陸の被災地から「復興のために」と発信すれば多くの理解を得ることが出来る。

以上、これはまた、新たな経済再生政策なので具体的内容は紙数の関係で割愛します。〈別途、改めて〉です。

 

むすびとして

以上、これまで(1)の現状〈発想の転換必要性〉(2)の改善点〈対処法としての新たな装備の常設〉(3)復興の理念〈震災初年から二年後の有り方〉などで今回の震災からフィードバックした命題に基づいてこれまでの防災対策の不備、不充分な点を論じてきました。また、(4)の復興に向かって〈新しい街並の有り方〉(5)未来に向かって〈特論として原発科学事故研究部隊の創設〉(6)の十年後〜百年後の三陸地方のビジョン〈海洋ニューディール政策の発足〉で新しい技術革新(イノベーション)による復興の設備投資が日本の経済発展にとっていかに寄与するかを述べてきました。また、今回の震災は大変なダメージでしたが、これを機会に新たなこの国の再構築の先行モデルとして役立てるものと確信しています。

さらに付け加えて、これらの設備や再構築の方策が次の東海、東南海地震や地球温暖化による海浸防護・護岸対策にも役立つものです。以上、最後まで読了有難う御座いました。

 

略歴

東北大院修了 旧郵政事務官・作家・映像ディレクタ-・映画プロデュ-サ-・経済学・バイオ技術研究者

著書:小説 『風に吹かれて』『JFK ダブルスティツ』『田中角栄・野武士の時代』など 57才