◎      映画・ドラマ脚本:伊達政宗天下に挑む        ◎

あらすじ

 

政宗は大阪から江戸へと秀吉、そして家康と日本の戦国大名の覇者と知略をめぐらす長い戦いと、旅路を終えようといま仙台城下東の若林城に草鞋を脱ごうとしていた。

 

そして輿を代えすぐ南郊の名取川の河原まで行き、この河は貞山堀運河を通じて、南は江戸まで九十里の荒川、隅田川に繋がり、さらに北は南部藩の盛岡まで六十五里の、北上川に繋がっていることを嬉しく思い早く開削事業が仕上がることを願った。

 

 

その少し前にヨーロッバ派遣した支倉常長をから書状が届いていた。

 

 

慶長遣欧使節だった支倉常長は、ヨーロッパでキリスト教の洗礼を受けたさい、スペイン王から「ドン・フィリップ支倉」というバルセロナの貴族の称号を受けたという内容だった。

 

当時から西欧文明に接していた仙台のサムライにして文化人、その名は伊達政宗。

政宗もまた、諸外国から「日本王」と呼ばれる日を心待ちにしてたいた。

 

いまこの二人の思いが世界を駆け巡り、これを機会に仙台・奥州に来訪する多くの外国人がインバウンド客として、世界に仙台を紹介し広めてくれるものと思った。

そして仙台「奥州王」から「日本王」という称号に代えたいものだと思っていた。

 

そして、その手はずは秀吉が亡くなる前から巡らして、早くも家康の後釜である徳川秀忠に近付き、自分の娘、五郎姫を家康の七男松平忠輝の正室に輿入れするまでに成功していた。あとはいつ大阪と江戸の関係が決裂するかに掛かっていた・・・