2024年                            ゴッドファザー逍遙記

2024年7月7日 ☆ 天に徳を積む・新たな復興のかたち

三陸産業推進機構の設置構想地・遠景
三陸産業推進機構の設置構想地・遠景

あの目も当たれない震災から十三年が過ぎました。そんな本年一月一日にさらに北陸能登半島の激甚な災害です。

 

その間コロナ19で全世界が身動き出来ない時期、さらにロシアとウクライナの戦争で、まさしく聖書の「ヨハネの黙示録」を地で行く展開でした。

 

後世の歴史家は現在をどのような評価をするのでしょうか。

 

それは二十一世記の前半を時代区分するに「絶好のエポック メーキング」の出来事だったと、評価されるのではないかと自身では思っています。

 

そんな折り微力ながらも、復興や疫病対策、ロシアの国連での常任理事国としての有りかた問題から、ウクライナへの戦後賠償資金策などを提言して来ました。その上さらに創作にと気を配って来た所です。時間の経過はいかんともし難いですが、その中で成果と言えば現状のようにこれまで見て来られた通りの経過をたどりました。

 

更に今後の懸念では能登に続き福島県南部、茨城県沖、房総半島、首都直下、富士山、東海、東南海、南海、日向灘と備えが必要です。範囲を広げれば千島海溝、北海道東部も含まれます。

 

そんな中で三陸地方はこれら被災地のさきがけとして復興モデルを先導する立場です。今回の写真のアップは今年東北大学が国際卓越研究大学No.1に選定されたのを奇貨として、以前から準備していた「三陸研究所クラスター構想」を「産業振興」を含め前に進める事にしたものです。場所は以前から私のお気に入りの風景の所です。

 

東北大学には経済学部を始め「仙台VIO技術研究所」での「君香化粧品」の成分研究で工学部の「NICHe」にも、筆舌に尽しがたいほどの多大なる恩恵を賜りました。「何時かは大学にお礼」をと思っていましたが、このような形で恩返しが出来るのは、まさに地元三陸のためを含めて研究者としても光栄の至りです。

 

組織の役割としては「研究第一主義」はもちろん、産業推進機構が取持つ、三陸地方復興の「地域連携プラットフォーム」です。また企業と大学の橋渡コラボをする(研究機関誘致・新産業の誘致・ポスドクの採用促進)などの「大学等連携推進法人制度」のさらなる活用を求めるシンクタンクの機能を果たします。

 

そして今年第一回目、一月一日にお約束した紫式部の「光る源氏」の事です。『源氏物語』は日本の平安朝文化の華と言れます。また文学的にも世界最古の物語※とされています。そんな源氏を読む動気は、まだ物書きの駆け出しの頃です。その当時は英文もやっていたので、西欧文学※Ⅱか日本文学行くかで迷いがありました。

 

※西欧の『デカメロン』「ボッカチオ」や『カンタベリー物語』の「チョーサー」よりも古いといわれる。

※Ⅱ西欧物では後に『J・F・K ダブルスティツ』や『田中角栄・ウォターゲート事件』を書くことになる。

 

そんな中で源氏物語を読むとその高尚さ、華麗さに圧倒されました。とくに和歌を物語の進行に活用する手法には初め心底、真似の出来ないものを感じました。そして紫式部の教養の高さと、少し誇張されてますが雅な宮廷人の心象風景が盛込れていて、更に彼女の歌が勅撰和歌集に六十首、百人一首に十首も収録されているのです。

 

すると俄然、研究心が湧き調べたくなり、まず日本の古典文学集にあたってみました。すると意外にも近くに『枕ノ草紙』の「清少納言」がいるではありませんか。さらに進むと『伊勢物語』※の「在原ノ業平」がいて、ようやく紫式部が書いた『源氏物語』の「創作の秘密」が解明出来たのでした。

 

※『伊勢物語』を清少納言は『枕ノ草紙』第八十二段で「あやうしいせの物がたりなりき」と書き一方紫式部は『源氏物語』「総角」ノ巻きで『在五が物語』・『伊勢物語』は、古典だとしている点に着目して、二人が反目しあうなら(笑う)物語的には「本物の話だな」と思いを定めました。

 

テレビドラマでは仲良しの設定ですが、二人の日記を読むと相当に辛辣な仲のようでした(笑う)

 

しかし、当時の今はなき日本の文壇では、この時代をはっきり書ける作家がいなくて※『 新平家物語』の「吉川英治」は亡くなり『平将門』の「海音寺潮五郎」さんには、日本の正史を踏まえていない不満がありました。そこで自分なりに紫式部を尊敬しながら書いた小説が『風に吹かれて』・「『實方ノ中将」でした。 

 

※戦前の皇国史観の影響と思われる(皇国史観そのものが日本の正史を歪めるバイアスだと戦後禁止となる)

同じく大河ドラマ『草燃える』の作家:永井路子さんも『異議あり日本史』を出していますが、むしろ私も永井さんの昨品に違和感がありました。

 

そして永井さんも『北條政子』等を書いたあとに、自分で違和感を感じ申し訳に『異議あり日本史』を残したのではと思うしだいです。永井さんは東大ですから「本格的な皇国史観の犠牲者だったのかなぁ」とも今となっては思っています。

 

本日は七夕で、いとしのTさんと歌中のTさんの両Tさんとで誕生日です。私達の仲間入おめでとう御座います。

十日間ほど離ればなれでしたが、また再度同級生に戻れて嬉しいです。あと十日ほどするとEさんが加ります。

いつも励まし頂き嬉しいです。今後も皆さんが達者でいて共に笑いあうのが小生の何よりの楽しみと喜びです。

 

本日はフミから当時のヒット曲で、お三方のテーマソング「花の首飾り」を贈ります。お楽しみください。

  

2024年6月15日 ☆ 多賀城のシルクロード展を見てきました

多賀城のシルクロード展
多賀城のシルクロード展

今年も中間の六月です。多賀城歴史博物館で開かれていた「シルクロード展」を見てきました。

 

いま、宮城県ではこの「多賀城碑」が国宝に指定され、奈良の平城京、福岡の大宰府、宮城の多賀城と、もとより日本三大古蹟と呼称されていますが、一段とその格を上げました。

 

歴史博物館についてはその発足時から関わっていたので、今回のような国宝指定や展示会に訪れると、そのたびに古くからの深い感懐につつまれます。

 

おかげ様で展示会も間もなく終了ですが、この短期間の開催とは言え好評で、五万人の来館者に恵まれました。有難う御座います。

 

シルクロードとは以前学校で学んだように、古代西ヨーロッパのギリシャ・ローマから東の中国の長安・現在の西安まで続く交易ルートです。また日本の奈良平城京の「正倉院」まで続くと考える人もいます。それはかく言う私で、今後の発掘によっては多賀城まで続く文物が出るかも知れません。

 

そうなれば極西のヨーロッパから極東の果ての多賀城までの観光ルートが繋がり、間違いなく欧米のバックパッカーが未来永劫、永続的にギリシャ・ローマの観光地を巡るルートのひとつに加えることになります。そうなると「鎌倉殿の13人」で、我が歌津の「平成の森公園」までバックパッカーが押し寄せることになります。

 

そして足は三陸沿岸の「潮騒トレイル」に繋がる事になり、つられて震災後の第二の民宿ブームになります。更に経営者は地元の人に限らず、旅で訪れた欧米人が定着して、運営する現象も生じます。地元民の人口減ということで、Uターン者や優良な欧米との交流で資本投下も考えられます。早い者勝ちとなるかもしれません。

 

ただ、「おもてなし」三陸らしい海産物はもちろんのこと岩手沿岸の「蕎麦街道」とか八戸の拉麺街道も良いですね。その先の将来の旅のイメージとしては、南フランス「プロヴァンス」での名物料理「ブイアベース」が食べられるような旅行地になるのが目標です。早速イタリアからジェラートの店が来てオープンしました。

 

秋から冬にかけては新鮮な「海鮮なべ物」春から夏は同じく海鮮を使った「ブイアベースなべ物」と、腕に覚えのある方は奮って三陸でオープンして下さい。三陸こそが古来から極東日本の「黄金の国」・「ジパング」と言われれた「陸と海のシルクロード」の到達点です。よろしくお願いします。

 

ここであらためてシルクロード「絹ノ道」とは、中国から中東を通じ様々な物資が、東西南北に運ばれた事により19世紀に、ドイツの地理学者リフト・フォーエンが命名したものです。その中で中国の「絹織物」が紀元前後からギリシャ・ローマの特に貴族階級の衣服の素材に、絹が最高級品と重宝されたのが始まりでした。

 

とくに絹が持つ爽やかな肌触りが寝苦しい夏に、上級社会のパジャマ用の素材に最適だったようです。ルートは「すべての道はローマに通じる」で、たとえばペルシャ人がキャラバン(隊商)を組んでコーカサスのステップ(草原)を行く時は馬で越えて、次にタクラマカン等の砂漠に来ると、今度は駱駝に人も荷駄も乗り変えます。

 

主な道は河西回廊、天山北路か天山南路、西域南道、ゴビ砂漠のオワシスもありウルムチや楼欄、敦煌〜長安に至ます。この道行きは現代も健在で様々なルートがあり、バスで中国の西安まで到達できます。一回の極東までの往復の商いで、一生暮らせるそうで、少し時代は降り日本の鎌倉時代に東方に来たのがマルコ・ポーロです。

 

「東方見聞録」によりますと、マルコはイタリアのヴェネチア人だったようで、若き日々に大人たちに中東からアジアまで、交易のにルートがあることを聞き、冒険心が抑えられずキャラバンに加わったようです。この頃にもパスポートの慣習があり、モンゴルに至るとフビライ・ハーンの旅券を貰い感激したそうです。

 

そのパスポートは黄金製のカード型で、この旅券を持つとどんな国にも出入り可能な、最強のパスポートだったそうです。まるで、現在の日本のパスポートと同じです。今の我が国のパスポートも、北朝鮮以外どこへでも入出国できる旅券で、世界最強No.1のパスポートと言われています。

 

そしてマルコは日本に来たことがあるように「黄金の国・ジパング」と言いましたが、これは彼が旅の途中に、おもに中国で聞いた日本の評判記だそうです。とくに「日本の宮殿がすべて黄金で作られている」という話は、どうやら奈良の東大寺が黄金で鍍金した大仏や、奥州平泉・中尊寺の「金色堂」の事のようです。

 

更に「黄金の島」とは石巻市牡鹿半島の「金華山」の事のようで、それをマルコが帰国後に口述した話しを元に書かれた「東方見聞録」に載せられて黄金好きなヨーロッパで多大な評判となりました。確かに古来奥州の宮城県涌谷から産金があり、金華山の隣の女川町の御前浜に「百済王敬福」の館跡があったと言う伝説もあります。

 

百済ノ敬福は産金の技術者で集めた「金」を聖武天皇に送ると、大伴家持が「天皇の 御代栄むと 東なる 陸奥山に 黄金はなさく」と詠歌して奈良の大仏の開眼法要に遣われました。よって「三陸の黄金シルクロード」も「黄金の国ジパング」のロマンにこのようにして元より組込まれています。

 

◎欧米のバックパッカーもきっと興味を持って三陸を周遊してくれます。この他にも歌津の田束山の産金伝説、気仙沼市本吉町の大谷鉱山跡や、鹿折の世界最大級の金塊産出の鉱山跡があり黄金の話題には事欠きせん。そこで旅の方々に黄金の「おもてなし印」の三陸独自の周遊パスポートを作り、皆で熱烈大歓迎致しましょう。

 

と言うことで震災から十三年と三ヶ月で復興もここまで来ました。まだまだ初動ですが今年一月に起きた、能登半島地震から六ケ月です。何か政府の対応の遅れで住民の方々の疲労も限界とか。やはり事前のマスタープランの有無でここまで違うようです。コロナ19でも同じでした。全国的に次回の災害もその想定の準備が肝心です。

 

十三日からはイタリアでG7・サミットが開かれ、二年前に私が提案したウクライナの戦費や戦災復興費用を、ロシアの対外資産で賄うという方針が無事に決定致しました。これは争い事なので「おめでとう」とは申しませんが、「メデタシ メデタシ」と言いたい所です。

 

伝えたい事は台湾侵攻を考えていると言われる御仁の方々に、やれば同じ憂き目に会いますよと言うことです。

これは約四十年前に私が編み出した、第三次世界大戦を勃発させないための方策でした。この度そのモデルのひとつである「避戦経済と戦後賠償財政のあり方」の雛型が組み上がり、各国の代表為政者に感謝申し上げます。

「有り難うございました」

  

関連して申しますと、戦うに武器も戦費も無くなったロシアのプー賃賃が、19日に「地上の楽園」世界一の金持ち地域の北朝鮮に行き、兵器とお金の無心までして来ました。おまけに「互いに戦争を助けあいましょうね」と相思相愛で、さらに支払は人民元でよろしくねと、重ねて自分の亡命先をも頼みこみ、永遠の愛まで誓う姿を全世界にアピールしました。

 

まぁ、しかし「口を開けば朝から晩まで嘘しか言わない」某半島人と約束して何か意味があるのでしょうか。

プー賃賃はソ連のKGBに入った時から頭をやられ廃人のアタオカですが、今度はロシア連邦まで亡国にする気ですよ。

 

ロシアンピーポーの皆様、早く立上がらぬと戦後賠償問題で個々人の未来と人生までも失い、今度は逆に全世界から再度、復興資金と経済封鎖でスレイブ・スラブ(奴隷)状態にされる事になりますよ。

 

と、いうことで「ウクライナに神の栄光あれ」さらに「 God bless you and Ukraine.」とお祈り致します。

2024年5月26日 ☆ 五月 信州信濃路をゆかば

長野県松本市「あがたの森公園」旧制松本高校の校門と校舎
長野県松本市「あがたの森公園」旧制松本高校の校門と校舎

コロナもあり、ここ数年訪れていなかった信州に行って来ました。心のふるさと信州松本といえば写真の旧制松高の校門と校舎です。

 

私が一番最初に訪ねた時は「思誠寮」も残っていて引き継がれた信州大学の学生さんが住んでいました。

 

夕方の食事時、本当に「召太鼓」がドンドンドンと鳴ったのには驚きました。まさしく『どくとるマンボウ青春記』の世界そのものでした。

 

北杜夫さんが遠藤周作さんのコーヒーのCM「違いがわかる男」シリーズに「阿川弘之さん」たちと

出演していたころです。

 

その中で授業の始り終業の合図の鐘を鳴らす校務員のおじさんがカラン、カランと鳴らすシーンがあるのですが、本当に実在していたので余計に感動しました。(ただし、CMを撮るときは本物の役者さんが鐘を鳴らす演技で撮影したとの北さんの証言あり)

 

木造の寮舎は校内の北側の講堂の並びの中程にありました。今その寮の跡地に「我らの青春ここにあり」と大きな石に碑文が刻まれています。かくいう当方の青春も遠くなりにけりですが、最近YouTiubeで旧制高校のことを取り上げてくれるので、若い学生さんの多くが「あがたの森公園」を訪れてくれているようです。

 

学校は平成の初めのころまで信州大学理学部のゼミ室に使われていました。最近に終戦当時の古いフィルムが見つかったようで、どうやら「やりまっショッ」の腹芸の数学の「ヒルさん」とおぼしき先生も写っています。これを見た旧制高校のファンが増えてSNSで話題にしてくれているのが嬉しいですね。

 

青春記の中で、サッカーばかりしてドッペリしている先輩とありましたが、私が行った時も夕飯もせず、ひたすらボールを蹴っている学生さんがいました。その時広かった校庭もいまは日本庭園になり、池には錦鯉が泳いでいます。この校庭を公園化する案が出たさい反対したのが、北さんとわたしでしたが半分が庭園にされました。

 

旧制高校と言えば寮歌で、私達も音楽の授業で歌いましたが、その中で思出深いのが「北帰行」です。これは旧制旅順高校の歌です。岡林さんを知ったのもこの教室で、それは私達の前に授業を受けていたクラスの誰かが、月刊平凡か明星の付録で「岡林信康特集」の冊子を置いて行ったのを、偶然私が見つけたのがきっかけでした。

  

表紙に「OKABAYASI NOBUYASU」ーフォークソングの神様ーとあり、目が釘付けになりました。すると階段教室で下の席に松と並び座る賢ちゃんが後ろを振向き本を見て「ノカバヤシって誰れ」と訊いてきました、その時私は「ノカバヤシではなくオカバヤシみたいだ」と応え、気になるので自宅に持ち帰りじっくりと読みました。

 

これが岡林さんとの感動的な出逢いでした。音楽の授業の時はいつも大助君と同じ机に座り歌っていました。

こうして青春を振り返ればどうしても信州の思い出につながりますが、そんな中信濃路と言えば「信州そば」ですね。今回も素朴ながら新鮮な信州そばの味わいを楽しんで来ました。 

2024.5.26土煙をあげ疾走する相馬野馬追 河北新報より
2024.5.26土煙をあげ疾走する相馬野馬追 河北新報より

前回、拉致被害者のことで触れましたが、なぜ与正氏に代わり娘のオコチャマが登場したかについてです。

世上では後継者争いで妹が出過ぎたとの見方もあるようですが、確かに宣伝相として、さらに若旦那の最側近として目立ち過ぎました。

 

そのため若旦那に直接言えない勢力は与正氏を通じて、金剛山とかの偽開発話を持ち込み、まんまと詐欺に嵌め込み成功しました。

 

それを知った兄はその危うさを思い少し妹を遠ざけました。しかし理由はそれだけではなく、彼ら自身のしょうもない体制の、出来もしないイメージチェンジの策略と身の保全という問題があるのです。

 

経緯はロシアがまだソ連時代の終わりの1990年に急遽、南鮮・韓国と国交を正常化した事にあり、その直前に訪朝し韓国との国交を結ぶと通告したシュワルナゼ外相に対し、当時の北の金永南外相が激怒したことに始まっています。

 

このときソ連に裏切られたと思った北朝鮮は「独自に核開発をする」と息巻ました。ただ、核武装の構想は祖父の金日成時代からあり既定路線だった事実もあります。

 

さらに1991年のソ連の崩壊によって、北朝鮮に対する軍事・経済支援は大幅に縮小しました。プーチン氏はこの時二十四年前にも訪朝し、東西の核軍職の流れにのり、北朝鮮で働くロシア出身の核の科学者の引き上げを提案している事実もあります。

 

そして今、彼らは自らの体制維持のため、ミサイル製造と核実験をしていると主張していますが、逆にその事が裏目に出て、2022年10月1日の21回目に40発を打ち上げてから、ついにアメリカの国防省により金正恩氏に対する、「斬首作戦」が発動されてしまい、取り返しのつかない事態になってしまいました。

 

これはかつてのリビアのカダフィー大佐やイラクのサダム・フセイン大統領、9・11でのサウジアラビアのウサマ・ビン・ラディンの末路と同じ運命をたどると言う意味だったのです。

 

米国は歴史的にも西部劇時代から公共の敵や、自国にミサイルを打つようなナラズ者は「WANTED」と指名手配して、公の罪として有無を云わせず社会的に一気に抹殺するのです。そこで殺されたくない若旦那は、イメチェンのためも含め、自分は平和を愛する欧米人と変わらぬ、家族愛を持っているというアッピール作戦に出ました。

 

それで最愛の娘をロケット発射などの重要な場面に立ち会わせたりし始めました。これは「まさか、自分を娘ごと粉砕することはないだろう」との魂胆だったのです。だから軍事演習のパレードにも娘を付き合わせているのです。ただ、娘は今ある少女特有の時期に差し掛かり始め、最近は父を忌避するようになりました。

 

と、いうわけで娘を巻き込んだ民主的な体制のイメチェンアッピールはいつまで続くのでしょうか。

さらにオコチャマの長男「領主」さまがいるという話しはいつか書きましょう。結構家庭も複雑なようです。

 

先月に、「とぼけてこんな事を語らせています」とたとえましたが、それに対して五月二十二日にこんな文章が某朝月新聞に載っていました。そのまま転載します。

 

ー北朝鮮トップとの直接交渉のリスクを負い、拉致被害者五人と家族五人を奪還した2002年と04年の小泉純一郎首相(当時)の訪朝を高く評価する。その後の日本の対応は理想にこだわりすぎて、何も進まない二十年間となった。制裁などの「圧力」で解決できなかった現実は重い。

岸田文雄首相が日朝首脳会談に意欲を示す中、北朝鮮は今年に入って好意的な反応を相次いで示した。トランプ前大統領の返り咲きと米朝交渉の再開の可能性をにらみ、日本が横やりを入れないように相互不信をある程度払拭しておきたかったのだろう。ただ、日朝間のやり取りは具体的な交渉段階ではなく、「接触」に過ぎなかったのではないか。首相が何を考えているのかと北朝鮮は真意をはかりかね、談話を出したと言える。そして日本側の対応に変化が見られず、北朝鮮は「いかなる接触も交渉も拒否」との表明に至った。

拉致問題では「一歩も譲歩すべきではない」という主張も理解できる。被害者の立場としては当然だ。しかし、北朝鮮にとって日朝関係を動かすメリットがない以上、首脳会談の実現は困難である。例えば朝鮮学校の高校無償化適用などが考えられるが、世論の理解を得るのは厳しい。

金正恩総書記は昨年末、韓国との「敵対関係」を宣言し、南北統一を拒否した。祖父・日成氏、父・正日氏の誕生日も以前ほど盛大に祝われなくなり、先代指導者から距離を置きはじめた。「拉致は正恩氏が生まれる前の犯罪であり、決別すべきだ」と訴えるタイミングではあるが、△事態打開のためには、日本も政策転換を図らなくてはならないー ここで転写終わり。

 

これに対し【北京共同】では一方、同じ五月二十二日に金正恩氏の肖像画が、先々代の故金日成主席と先代の故金正日総書記の写真と並んで、新設された朝鮮労働党幹部養成機関「中央幹部学校」の施設の室内や外壁に飾られたと伝えている。

 

イメージチェンジするはずの、先代の偉業とやらを否定するとの方針とやらはいずこに消えしか・・・・・・

 

さらに若旦那らは今年一月に最高人民会議で、憲法を改正して韓国を「第一の敵国、不変の主敵」と明記すべきだと表明している。祖父の金日成首席時代から掲げられてきた平和統一を放棄し、韓国との関係を断絶する姿勢を鮮明にしてきたはずだ。

 

△「事態打開のためには、日本も政策転換を図らなくてはならない」とは、朝ドラの寅子ではないが「はて?」

これでは残念ながらほぼ意味不明。これで何を理解しろという言うのであろうか。誰か詳しく解釈を、もしくは自己都合だけを並べるのではなく、ストーリーのやり直しをお願いします。

 

もし、日本の総理に頼み「斬首作戦」の中止の取り成しを、トランプ元大統領やバイデン大統領に持ち込んでも、ほぼ無理と思われる。米国務省の方針はそう安易には変えられるものではない。

 

で、あるならば逆に正恩氏がイメージチェンジを図るのなら、先々代や先代達の悪行を悔い改め、人道主義にも理解ある指導者像を前面に出して拉致被害者の全員帰還でも成せば、何処ぞの国に亡命くらいは有るやも知れず、家族と自分の命だけは助かるかも知れない。(父正日氏が残した亡命用別荘がロシアと米国中西部に有り)

 

ようするに拉致被害者を即刻還してもらうのが先決、亡命や食糧援助にはそれ以外の条件は無しと言う事です。

 

 

ウクライナのゼレンスキー大統領が、六月中旬にスイスで開かれるハイレベル会合で、自身が提唱する和平案の「平和の公式」十項目のうち、原発の安全確保など三項目を重点的に推進し、各国に支持を呼びかける考えを示した。平和の公式はロシア軍の即時全面撤退や、ウクライナ領土の一体性の回復なども盛り込んだ停戦条件だ。

 

ちなみに米国はもしプーチンが戦術核を使用したなら、アメリカがウクライナ戦線に参戦すると宣言しました。

 

スイス政府は平和の公式を協議するハイレベル会合に世界百六十ケ国以上を招待している。ゼレンスキー氏は項目一としてロシアが占拠する南部ザポリジエ原発の安全確保、二としてウクライナから発展途上国への穀物輸出の保証、三として全ての捕虜とロシアに連れ去られた子供の帰還などに重点を置くと方針を示した。 

 

さらに会合でウクライナのNATO加盟を認めるよう改めて求めていくことも明らかにしている。

 

相馬の野馬追が25日から27日まで開催される。長年開催日を移したらと提案してきましたが実現しました。人も馬も健康が第一です。勇気ある決断、さすが尊敬する相馬衆です。本日26日は私と京子さんの誕生日です。明日は伊藤さんと誠君の誕生日です。おめでとうございます。

 

映画『ケネディ大統領暗殺ーファイナルアンサー』原作/作品
映画『ケネディ大統領暗殺ーファイナルアンサー』原作/作品

追伸:2022年2月5日の当コラムのタイトル☆「コロナ戦線に異状あり」の末尾に以下にように記しました。

 

『 追伸:昨年11月にディズニー+で配信されたビートルズの『The Beatles Get Back』が世界中で好評価なので、ピーター・ジャクソン監督が続編を作るかも ? だそうです。実現したら観てみたいですね』

 

◎ これに付随して言うと、いくら、テーマが古くても、人々は「見たいものは観たいのだなぁ」という点です。日本もこの辺に映像製作のヒントがあるように思います。

 

ただ我が国の場合はNETFLIXもアマゾン・ビデオもDisney+もなく、それに代わる製作資金の出し手もなく、唯一YouTuberの広告収入が伸びているだけです。

 

さらに頼みのエンターテイメント ワークスは、単なる天下り先で終わりましたが、今なら金利も安いので市中の豊富な資金を取り入れ新たなファンドを作り、メジャー大手のソニーピクチャーズを中心に東宝、松竹、東映などでデジタル配信を手掛ける、国外向けクールジャパンのプラットフォームを構築してはいかがでしょうか。

 

そして新たなクリエイターを資金的に支え、創作意欲をかきたて国内外に、発信することが望まれます。転載はここでおわり

 

と、わたしがNETFLIXやアマゾン・プライム・ビデオに対抗する、日本独自のサブスクリプションの映像配信を「ソニーピクチャーズを中心に展開してはどうか」との提案でした。

 

これに対してこの五月二十八日の新聞発表で以下ように載っていました。(そのまま転載)

 

見出し:「ソニー 制作人材強化」ー製造業からエンタメ 転換鮮明ー

 

ソニーグループは23日に開いた経営方針説明会で、主力として伸ばしてきたゲーム、音楽、映画のエンターテインメント3事業において「クリエイター」と呼ばれる制作・開発者への支援に注力する方針を示した。アニメーターの育成機関の創設も検討する。

 

「20世紀のソニーはウォークマンやカラーテレビなどの『感動』を届けることに貢献してきた。21世紀のソニーは『感動』をつくるところに貢献したい」吉田憲一郎会長はこう語り、製造業からエンタメ事業への転換を改めて鮮明にした。

 

これまでも作品の権利獲得や配信プラットホームの買収など、IP(知的財産)の取得を進めてきた。今後はそのIPを多面的に展開することに加え、コンテンツ制作にも力をいれて成長につなげる戦略だ。そのカギとしたのが、ゲームやアニメ、映画、楽曲などつくるクリエーターへの支援だ。

 

ソニーが強みを持つ先端テクノロジーを制作現場で活用する。AI(人工知能)を使った多言語の字幕作成など、制作コストを下げる技術開発を進める。また、業界全体の人材育成にも取り組む。傘下の大手アニメ制作会社「アニプレックス」を中核としたアカデミーを設立し、海外のアニメター育成も目指す。

 

ソニーグループでは、すでにエンタメ3事業の売上高が全体の6割を占める。同社は2024年度からの3年間に成長投資として、前期間より5千億円多い、1.8兆円を投じる計画だが、この多くをエンタメ3事業に充てるという。 転記ここでおわり

 

だ、そうです。二年前に私が提案したプランが実現されることになりました。これは昨年の『NTT・ドコモ』「Lemino」の発足にならび、日本および世界のエンターテインメント・コンテンツビジネス業界、クリエーターさん達のためにも、新たな夢のある展開です。改めて感謝申し上げます。

 

ぜひ、多くのクリエイターさんたちと、ともに発展させて行きましょう。有難う御座いました。

 

ちなみにソニー エンターテイメント ピクチャーズは、ビデオデッキがベーター方式でVHS方式に長尺で負けた時「それならいっその事アメリカの映画コンテンツ産業そのもを支配すれば良い」と約四十年程前にかくいう私が提案をすると、しっかりとハリウッドのコロンビアピクチャーズを買ってここまで成長させた賢い会社です。

 

そのソニーがこの度も事業を拡大する前に、手回し良く先月にパラマウントピクチャーズを傘下に納めました。このパラマウント映画はかの『The Got father Part1〜Ⅲ』の、永遠のドル箱とも言える版権を持つハリウッドの映画スタジオです。

 

この版権を持ってるだけでもお値打ちの買い物のでした。これはサブスクの業界で世界中から、映画の古典として今後も視聴される事を今回も私が保証します。これだけでもほぼ21世紀中収益を上げ続けられる作品です。

 

よって、私がいま制作を予定している『j・F・K ダブルスティツーケネディ大統領暗殺のファイナルアンサー』をソニー ピクチャーズで「The God father Part 四」として、パラマウント撮影所にて『The God father』の

コッポラ監督のもとで撮りたいところです。どうかよろしくお願い致します。

 

そして日本のコンテンツは、その資本を投下した日本のプラットフォームから発信して、この国の収益や発展の一助にしましょう。それがクールジャパンの存在意義です。皆様のご理解とご協力をよろしくお願いします。

最後までの読了に感謝申し上げます。以上です。

2024年4月10日 ☆ 春四月 Cherry blossom.

仙台市西公園源吾茶屋前
仙台市西公園源吾茶屋前

仙台市西公園の桜が満開です。この近くで青春時代を過ごされた方に特別に贈ります。懐かしかったら、来て花見を楽しみませんか。

 

そして本日は小生が初めて来仙した日でもあります。あれから幾星霜いくたびの春を迎えたことでしょう。毎年、桜が咲くたびに甦る感慨です。

 

その三年前は高校に入学して、今頃は音楽教室で「なぜここで」と思いながら北朝鮮のうた「イムジンガン」をピアノに合わせて歌っていました。

 

先生はトンペイの教育学部を出られた、ユニークな先生でした。また、岡林信康さんを知ったのもこの音楽室でした。

 

されど今このイムジンガンをしみじみ歌っているのは、北朝鮮に拉致された横田めぐみさんや、よど号ハイジャック事件で、北に渡った面々ではないかと思い心が痛みます。それで彼の地域の事はその為政者のあまりにも稚拙な政策と、それを克服出来ず食糧難で餓えに苦しむ人民のことを思うと何も言ないので沈黙していました。 

 

先日も日本の岸田総理と拉致問題で交渉があるとの事で、ほとんど期待しませんが成り行きを見守ってました。しかし、あの体たらくで予想を上回るものは何もありませんでした。むしろ、自分たちから「もう絶交だ」などと、Youは小学生か?という言動で、ことほと左様に振り回される気の毒な人民の境遇が思いやられます。

 

そもそも鳴り物入りで登場した北の若旦那はスイス留学も有りとかで、自由の空気も知っているので、多少、期待めいたものがありました。しかし思うほど貧困も解消せず、アメリカの「トラちゃん」に会ってくれるようせがみ、ようやく南鮮の文在寅を半ば仲介にベトナムで会いましたが、小馬鹿にされて帰って来て終わりました。

 

ところが列車で北朝鮮を出るとき盛大なセレモニーまでして、ピーポーにはアメリカと日本から莫大な金をせしめるから今後は安心だ、餓える心配なんかないと豪語してハノイに三日間かけて行ったのですが、トラちゃんにアメリカの漫画のようなプロパガンダのビデオ見せられ、かつ「核廃棄をしなければ援助なし」とされました。

 

すると怒ること怒ること気が狂ったように怒ったそうです。さいご三日目に再度アメリカとの交渉を朝鮮半島でいう「ズボンの裾」を掴んで「トラちゃん行かないで」と懇願しましたが、The end.となったようです。そしてなんの成果もなく、おめおめと帰り列車の中では、大やけ酒を飲んで大暴れしてご帰還だったそうです。

 

それで妹の与正氏を含む側近の多くが左遷されたようです。この頃からウツになったようで、次に白頭山を巡る南北共同観光地開発を南の文在寅を通じ持ち掛けられ、なけなしの日本円で3000億円をかけて、温泉とカジノ用のホテルを建設し、オープンセレモニー用に自分達が白馬に跨るプロモーション用ビデオまで作りました。

 

この時の白馬は2019年4月にロシアから100頭を日本円で約1億円で買ったとかです。そのうちの何頭かは若旦那の将来のおこチャマ等、(金領主)様用だそうです。

 

しかし、いざそのオープンセレモニーを行う日、若旦那も立ち会いでテープカットしましたが、肝心の文在寅が送るはずの韓国と中国からの観光客とやらが一人も現れずに、もしやこれは詐欺ではないか?となったとの事です。

  

さらに初めに開発話しを持ち込んだ韓国の人間も突然に消え失せ、その人物は南の工作員でCIA絡みだそうです。まんまとトラちゃんに騙されようです。ベトナムのハノイ会談の下交渉中に文在寅がらみで「金剛山にトランプタワーのようなリゾートカジノもいいね」などと美味しい甘事話しに乗せられたようです。

 

文在寅は2018年4月27の板門店での若旦那との会談で、1965年に日本から受けた賠償金は韓国が代表して受けたが、漢江で遣ってしまってもうないので「もう一度日本から北の分として一兆円貰いましょう」と持ち掛けました。若旦那も元々南からであれ日本からであれ貰う権利があると思い、あの場では乗ることにしたようです。

 

そして、結果として全て南鮮には嵌れてしまい正恩は躁鬱になりましたが、文在寅から更にお詫びにと開城の南北事業開始の特使派遣の話を出すと、怒心頭でやらかした事件が2020年6月の南北合同事業用のビル爆破です。この時は全責任者の与正氏が「ふ・ざ・け・る・な」と御立腹で爆薬を仕掛け爆破ボタンを押したようです。

 

「こんなビルなど見たくもない、チッ、ゆ・で・た牛の頭野郎」と罵って爆破したそうです。事情を知らない政権幹部や人民からは「何もそこまでしなくとも」と言う声もあったそうです。さらに2022年1月には与正氏は側近から降格になり、あまり正恩氏について廻らなくなり、最近は娘に代わったようです。これは後程です。

 

今となっては親北朝鮮の文在寅元大統領が親の仇以上に北の傀儡に出世したのです。そこで与正氏が「おかげでアタシは兄の信頼を失い左遷されたのヨ」と怒りドッカンしたようです。そんな現状で更にまた「もしトラ」でトランプ大統領の再登場を熱望してるそうですが、米国務省の方針は変わりませんから期待するだけ無駄です。

 

ただ、拉致被害者の扱いは兄の代行で、妹与正氏でも話が通じるそうなので、無碍には出来ないようです、元々正恩氏や与正氏に日本語を教えたのは「横田めぐみさん」だそうですから、交渉のいちルートにはなります。

粘り強く帰還を求めて行きましよう。

 

これらの話しはマスコミでは伝えない情報です。それは北からの指令で本筋は言えないので、これまでの拉致などを無かった事にして、とぼけてこんな事を語らせています。出来る訳もない「拉致被害者の帰還を諦めろ」などの、一方的なバイアスを掛けようとするプロパガンダ・メッセージを流しています。

 

これらのビデオはどこからその情報が来て、誰の代弁をしているのでしょうか? 拉致被害者やその家族の方々のことはどう思っているのでしょうか? さらに本当に同じ日本人なのでしょうか・・・何か怪しい・・・とにかく拉致被害者の方々を一日も早く還してもらいましょう。

 

こんなの無視して一日も早い被害者の帰国を何度でも要求する事を続けましょう。次回はなぜこの間の岸田総理との会談後に一方的「絶交宣言」をしたかについて書きます。日本の国民各位は何の事かを理解できずにただ、ただ「ポッカン」となりました。マスコミも当然解説なしです。今月はここまでにします。

2024年3月10日 ☆ 時代の趨勢と言うこと

紀伊國屋書店のロゴマーク
紀伊國屋書店のロゴマーク

いよいよ春3月です。毎年2月のバレンタインデェーあたりから、ひな祭りへと一番冬を長く感じる時期です。

 

この間に期末試験、各入学試験など、心落ち着かない季節もかさなり、まさに人生の軽い試練の時なのでしょうか ?

 

ろくに勉強をしたこともない、わたしが言うのも何か僭越至極ではございますがお許しください。

 

そんなこんなで、写真は教科書でお馴染みの、紀伊國屋書店のロゴマークです。

 

その昔、いくら不勉強なわたしでも、必須科目で重要な課題図書や参考書が、紀伊國屋書店でしか売っていないとかの事情で、やむなく当書店に注文したり、新宿の本店まで買いに行ったこともありました。その頃、北杜夫さんから教わった地下のカレー屋さんで、カレーライスを食べるのが楽しみでした。

 

そんな紀伊國屋書店さんが、私の平成の古典と言われる書籍『風に吹かれて』ー平安朝の恋と和歌の物語ーや『J・F・Kーダブル スティツ』映画脚本だとー『ケネディ大統領暗殺の真相ファイナルアンサー』ーなどの作品を専属で扱って下さるようです。今はまだ二冊の原作のアップだけですがそのほかも準備中のようです。

 

さらには今後も発行予定の新刊『昭和天皇の黙示録ー現人神の告白ー』と次回作の『ヨハネの黙示録ー蒼き馬を見よー』や『森羅万象の黙示録』と続くビッグタイトル三部作の「黙示録シリーズ」もぜひお願いしたいところです。

 

全国の書店の数が最大だったのは2004年ころで、郵便局と同じくらの2万店舗以上ありました。現在は約その半分の1万店舗となってしまいました。その分出版文化は衰え、代わりにネット文化が台頭して来ました。時代の趨勢と言うものを感じます。

 

そして郵便局もやがて無人のコンビニとかに様変りするのでしょうか。そうなったら残念ですね。それでも利用者のみなさまに愛されるようエールを贈ります。

 

出版でいま元気なのは俗にいう How to本で、人生の指南書というところです。小説などはメディアミックスで、盛り上げていかなければ先細りです。ただ、その分ネットメディアと相性がいいのが幸運です。ちょうど、2004年ころにコンテンツビジネスに、軸足を移したのはどうやら正解だったようです。

 

スウェーデンは今月7日にブリュッセルのNATO事務局で署名式を行い、続いて11日に正式加盟しNATO本部でスウェーデンの国旗を掲げ加盟を祝う式典を行ます。「プーテンの裏さん」のアホな戦争行為は、ロシア軍の多大な犠牲のもと徒労中の徒労に終わったようですね。だから「途中で止めとけ」と言ったのに・・・です。

 

これで彼の憧れのピョートル大帝が獲得した、北欧バルチック海を永遠に失ないましたね。残念でしたね。この間、日本でも「支援疲れ」などと、逆プロパガンダに加担したマスコミもありましたが、あれで誰が親ロシア派で、かつ彼らが勝ことを期待し、プーテンから金をもらっていたのか・・・?スパイ発見器にもなりましたね。

 

さらにトルコのエルドアン大統領が再度ロシアとウクライナの、今度は首脳同士の停戦会談をセッティング中とか、プーテンの裏さん、大統領選挙用に妥協のポーズも有るのでしょうが遅過です。いよいよ決断すべきです。どうしたら良いか分からず、ウダウダ言って従わぬのでしょうが、もうお仕舞いです。The end.なのです。

 

10日は歌中の卒業式の日でした。さらに東京大空襲の日でもあります。11日は震災から13年です。12日は亡き父の誕生日で、東京の浅草で父と共に10日の大空襲を逃げ回った母は19日に95歳になります。三陸は2021年の12月18日に八戸までの高速道路が全線開通出来て地方の活性化も徐々に感じられます。

 

「日はまた昇る ネバー・ギブアップ」でここまでこれました。「神のご加護に感謝」です。能登地方のみなさまにも復興の「神のご加護を」ウクライナのみなさまにも平和が訪れるよう「God bless you.」と祈ります。

2024年2月Ⅰ日 ☆ 春待望の二月です

2020年1月アメリカに亡命した中国のコロナ19研究者:閻麗夢博士
2020年1月アメリカに亡命した中国のコロナ19研究者:閻麗夢博士

ようやくの2月になりました。最大震度7を観測した能登半島地震から1ヶ月です。

 

石川県ではこれまでのところ238人の犠牲者や、4万6千棟以上の住宅が損壊し、被害の拡大が確認されました。

 

さらに被害が甚大だった奥能登では災害状況の把握が進んでいないもようです。

 

東日本大震災の被災者として、心からお悔やみ申し上げます。春はあと少しです。日に日に状況が良くなって行かれるよう重ねてお祈りいたします。

 

コロナ19の関連で中国の保健当局は4日、新型コロナウィルスの新変異株「JN・1」が中国で主流になっているとの分析結果を発表した。今月10日が中国の「春節」(旧正月)で、人流の増加が予想され、中国政府は改めて対策強化を呼び掛け始めたようです。

河北新報より
河北新報より

写真は先月26日にあった歌中生たちの活躍の祥報です。3・11から遡ること数十年前、わたしと伊藤孝治博士は歌中を卒業をするこになり、3月10日屋体での卒業式のあと、教室に戻りかたい握手をして別れました。

 

そのとき心の中で当時の曲『若者たち』の歌詞の一節を口ずさんで、彼や同級生へのエールとしました。

 

そしていま「空にまた希望の日が昇るとき、ネバー・ギブアップ」で後輩の若者たちが震災からの「復活の朝」に立って歩き始めました。

 

この事はいま書いている映画脚本「海辺の街」のラストシーンの一部に盛り込むことにしました。

 

これによりようやく新たな若い世代に、復興のバトンを渡せた思いです。あとは貴方がたの新鮮な感性で、これからの時代を築き上げてください。

そして震災後の三陸の復興と発展の「可能性を追求」して行きましょう。

 

そのためのお手伝いとエールは今後も贈り続けたいと思っています。

 

それらを含めて、JR気仙沼線の復旧の事です。これまでようやく高速道路や被災地の嵩上などの、生活や産業方面のインフラ構築は道半ばまで来ました。しかし、気仙沼線の復旧については今だに「BRT」などと寝ぼけた事をしています。昨年10月の同級会での帰省の際に被災後初めてその「BRT」と言うものに乗ってみました。

 

結論から言って物凄い腹が立ちました。「よくもこんな物を発案した為政者よ、Youは本当に乗ったことがあるか~、一度乗ってみてその素晴らしかった感想とやらを披瀝してみてくれ」との思いでした。そしていま国とあわせてJRが本格的に、地方の赤字ローカル線の存続の話し合いをするそうです。

 

これから新たに三陸地方に「殖産興業」をプロデュースをしょうとするのに、このままで良いのでしょうか?

やはり従来通りのフル規格の鉄道に復旧・復興して下さい。確かにあの大きな地震と津波に腰を抜かしました。そして復興の大変さは理解しています。災害に飲み込まれたのは確かです。

 

しかし、そして男なら一度大敗したくらいで「敗軍の将、兵を語らず」です。どこかの町長や知事のように、「鉄道の復旧に係わっていては復興が遅れる」などのウダウダした理屈は、もう復興もここまで来ると最早通用しません。さらにあんな状態で復興は成ったのですか?

 

それよりも八戸までの三陸全体のJR化で途中(第三セクター三陸線)などの一部を含めて乗客数や沿線住民の増加を目指しオールJR化に心血を注ぐのが政治としての要諦ではないですか?それともこのままで良いのですか?

 

どうかこれからの会合で三陸地方の鉄路が「全廃」とかの憂き目に合わぬよう、皆さんで再検討をお願います。

 

それでなくては今後の「能登地方」などの復旧や復興に「天の恵みがある」とエールを贈ることが出来ません。

と、言う事でどうか「天の恵み」を阻まぬようよろしくです。鉄路を復旧しなければ怠慢ということで、天の怒りを買い二度と復興はないでしょう。

 

為政者の方々、皆様には今の自分さけ良ければよいという、これからを生きようと生まれきた三陸の住民の人びとの、未来さえもを奪う施政は出来ぬはずです。と、言うことでどうかよろしくお願いします。

  

松竹阿部勉監督
松竹阿部勉監督

昨日、18日は松竹映画監督の阿部勉さんの、恒例の新年会が仙台のブラザー軒でありまして、参加してきました。

 

今回は皆さんも戦々恐々としていた津田さんの「団長の思い」の被害もわりと軽微で、前回のような寒い思いをして大風邪をひくこともありませんでした。

 

この前は私と太宰さん、そして埼玉から毎回ワインを差し入れくれる、監督のトンペイ時代の映画サークルの仲間、大和田ご夫妻の4人が、大変なコロナで寝込みました。

 

写真はその中で「日本映画の未来の語る」を講演中の阿部監督です。

 

今回も熱が入りましたが、その中で関心を呼んだのが、日本映画の草創期の話でしたね。とくに松竹が日活とともに歩んだ歴史が面白かったですね。意外にも日活の方が松竹より早い創業だったそうです。また、作品作りにも両社の監督などの交流も有ったとの興味深い内容でした。

 

あとは当会の司会者で「さとう宗幸」と言われる瀬成田先生も、コロナの病み上がりにも関わらず、相変わらずの美声でバラライカ楽団をバックにソフトな歌声を聞かせてくれました。

 

さらに私的ハイライトは前回に続き、作家の「瀬名秀明」さんが参加してくれて、近況を披露してくれました。

なんでも今年から、ベルギー人でフランス語で小説を書いていた超有名作家の「ジョルジ・シムノン」の著書の翻訳を手掛けるという話しでした。流石に文学上の我が先輩です。

 

これも瀬名さんの功績として、日本文学史に残る事だろうと思いました。そんな瀬名さんに会えたのを幸いに自分の些細な頼みごとをすると、心良く引き受けてくださいました。有難うございました。よろしくお願いいたします。

 

更にさらに当会の若手でトンペイを出たあとハウス食品に行ってた、片山雄貴君が久々に参加してくれたので、日本の映画を支える会の更新をお願いしてきました。若手がいると言うことは本当に嬉しいものです。

 

2024年1月Ⅰ日 ☆ 新年にあたって

抽選でお年玉ポイントが当たる【郵映・TV】年賀状
抽選でお年玉ポイントが当たる【郵映・TV】年賀状

皆様に新春のお慶びを申し上げます

 

新年1月からはじまる大河ドラマは「紫式部」の小説『光源氏』だそうです。私の小説:『風に吹かれて』を書く動機になった作品です。

 

それではこの物語の構成やその時代背景について、紫式部、清少納言等と、その登場人物などのエピソードを交えながら語っていきましょう。

 

その前に能登と羽田でとんでもないことが起きてしまいました。以下わたしの見解です。

 

まず、能登地震は3・11の東日本大震災で揺れ残った太平洋プレートが福島県南部沖から茨城県、千葉県・房総半島沖に有り、次の関東大震災の引き金になるように着々と時々揺れてます。

 

それが最近静穏期に入りました。すると3〜5年後に本震くる恐れがあります。

 

そして今、日本列島はその影響で太平洋側=日本海溝に向かって、斜めにのめり込んでいる状態にいます。すると勢い、日本海側、特に今、能登地方などの比較的弱い地盤に対して、東側に引く力が掛かっています。

 

すると能登半島沖約10Kmに、南北の不連続ながら約150Kmの活断層があるので、これが半島を東側に引く力により、地層が割れ裂け続け、大きな群発地震を引き起こします。それがこの度の大きな地震のメカニズムです。

そのため大地震の後に能登半島の西側の海岸が4mも隆起しました。ちなみに震源が地下50Kmとかは津波の恐れはなく、海底下20Km近辺より上だと要警戒です。

 

更に能登半島地下には太平洋プレートが、日本列島の下に潜り込む際海水も共に流れ込み、半島の地中に溜まっています。それが今、地殻上部まで上がって来ています。すると能登地方の断層が動いた拍子に、ちょうどウォーターベッドが波打つと、その上に置かれた物ように、能登半島地域やその他の建造物・家屋を揺らします。

 

それが今回のように方向が定まらない怪体な揺れになり被害が甚大になる理由です。熊本も地下に大量の水分を含んでいるようで同じような揺れ方だったようです。三陸地方の地震とその揺れ方が大分違うのが特徴です。

 

太平洋側=海溝型地震は基本的に始めに震源地から秒速約8Kmの速度で縦揺れが来て、東西にシーソーゲームを急激に繰り返したように揺れます。引き続き同じく震源地から秒速3Kmの速度で横揺れが来ると、地震波があちこちにぶつかり輻輳して複雑に揺れます。場合により震源地が遠いと縦揺れがなく横揺れだけの時も有ります。

 

また陸上下部の断層割れのときは直下型ほど急激な揺れになりますが、海底下の地殻割れだと上部の海水の圧力で地震波が減衰され、ゆったりした揺れになり、まさにユラリゆらりという感じです。これを先住アイヌの方達は地震の事を「ユタ」とか「ヨタ」と呼びましたが、これで地震の動きが陸域由来か海域由来かが分かります。

 

羽田の事故は南北に長いC滑走路に降りてきた日本航空の516便エアバスA350が、同じくC滑走路の途中から離陸を始めた海保の救援機に後方から、日航A350の機首と右エンジンをぶつけて、エアバスに残っていた燃料に引火して大火災を起こしたようです。コントロールタワーの誘導ミスか、海保機の誤認識離陸が考えられます。

 

C滑走路の2/3にから北に向かって離陸を始めた海保機が浮揚し飛び上がるには時速約150Kmの速度が必要です。同じくC滑走路の最南端から北に向かって着陸しょうと進入してくる日航516便も、速度約250Kmで降下しつつ着地して、比較すると小さな海保機に追い付き後ろから、馬乗りになる形で覆い被さるように追突したようです。

 

この場合は着陸しようとする日航516便の着陸行動が優先となります。海保機は日航機が着陸を済ませ、管制塔から滑走路上に出て離陸準備をして良いと言れるまで誘導路・C5で待機しなければなりません。今回の海保機は発進許可があったとしてC滑走路の2/3付近から滑走を始め、後から日航機に追突され事故になったようです。

 

人間の判断力には限界があります。こんな錯綜した場面では、人的判断の管制より、チャットAIで管制した方が正確かも知れません。いずれそんな時代になるとしても、痛ましい災害となってしまいました。より一人でも多くの方の無事をお祈りします。

 

まして海保機は能登に物資の搬送中だそうで、なんともやりきれなく悔やまれる事故になってしまいました。

参考までに3・11の20日後に朝日新聞と民主党・日本政府に提出した災害対策の提案書を載せておきます。

震災後これを元に復興策が実施されました。この度の参考にしていただければさいわいです。

 

追伸:7日の大河ドラマ「光の君へ」を観ました。その時代観が私の『風に吹かれて』を敷衍しているので、安心して見られました。多少、史実と違えど、そこはドラマ・物語なので楽しめました。今後も折にふれ語って行きましょう。では本年もよろしくお願い致します。

 

 

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