☆ 作家三浦二三男と歌津魚竜のアーカイブ ☆
2012年6月2日・東北大学理学部で斎藤由香さん(斎藤茂吉の孫・北杜夫の娘さん)が来仙記念講演のとき、理学部に行き、記念に博物館内の歌津魚竜の展示を写す。
2006年7月に新種の化石の発見があり、東北大学理学部で行われたポスターセッション。右が東京大学院生で化石の発見者の岩井さん、左の後ろ向きの人物が筆者三浦二三男。
【中学高校での研究プロジェクトの足跡】
1968年歌中三年生の夏休みのテーマが三つあり、一つ目がタコを獲ってきて手のイボを治すことでした。
理由として(夏休み明けに体育祭がありフォークダンスでJ子さんと手をつながねばならず)手にイボがあるのを知られるが嫌だった。
それで一日一杯、三日間で三杯の真蛸を獲り、毎日蛸の茹汁で手を洗うと、夏休み明け前にはイボが消滅していました。祖母から聞いた古い民間療法でしたが正解でした。
と、喜んでいると今度は夏休みに入る三日前に、友人の柔道着を着てワキガになり、別の悩みを抱えました。
このテーマは二十歳過ぎまでかかりましたが、これも様々な実験の結果、東北大学の力も借りてワキガ消臭剤
「君香デオドラント」の開発につながり、多くの悩める方々の救いになりました。これらイボや腋臭菌の研究が進みやがて「感染症」を深く知る事となり、この度の同じ感染症のコロナ19でもその対策に貢献出来ました。
二つ目が黒くかつ峩々と聳える歌津の海岸線の粘板岩の調査でした。そのときのフィールドに選らんだのが馬場の野々下でした。オゲズバ(オーゲ釣場)の崎を右に曲がり野々下の東向きの崖によじ登り、マグマの貫入の境目を観察中にポロリと、うずらの卵状の玄武岩の球石を発見して、後にこれにより玄昌石の組成を理解する発見に繋りました。
三つ目が大森先生から渡された水温検査器で毎日馬場の浜の海水温を計測し記録する事でした。夏休みの間30日にわたり計測しましたが、ほぼ毎日4度Cで変化はありませんでした。休み明けに大森先生に報告書のグラフを提出しましたが、先生は結果を見てキョトンした顔をし無言でした。今でも意味不明です。
その二年後の1970年9月、高二の秋に東北大学理学部により、世界最古の魚竜が館崎で発見されその発掘の現場に立ち会いました。そして後に「歌津魚竜」と命名されました。更に高校時代の研究では「田束山の経塚」の発掘に立ち会いました。その結果経典埋設は平安時代末期の「末法思想」によるものと判明しました。