2012年                   ゴッドファーザー逍遥記

2012年12月31日☆電子書籍のベストセラー入りについて

一昨日、アマゾンのキンドルから連絡があり、アップしていた電子書籍「野武士の時代」がベストセラー化したようなので、久しぶりに覗いて見ると、昨日のデータでは掲載して2ヶ月で、有料販売件数7万点のなかで4123位となり、また歴史分野で4位、紙書籍の歴史分野で16位となってましたので、お知らせ致します。

 

多くの方がご存知ようにこれらの作品は「J・F・K ダブルスティツ」と合わせて読むと、その面白さが増すにように構成してあります。ぜひ、「J・F・K」を先に読むことをお薦め致します。同じくアマゾンの電子書籍で読めます。機能やサービスが充実していてお求め易いです。

 

このベストセラー化で、日米合同での映像化が促進しそうです。乞うご期待です。

 

それでは皆様も良いお歳をお迎えくださるようお祈り致します。

 

追伸、あすは元旦の年頭辞を書きますが、多少辛めの経済リポートになりそうです。少し気が重いです。

 

 

2012年10月29日☆Amazonから世界の三浦を発信

いよいよ、11月からアマゾンのキンドルが日本でも発売される事になり、これまでの「オーニット」や「君香」と同じく通販のAmazonの電子書籍で、私の「J・F・K ダブル スティツ」「野武士の時代」を読むことが出来ようになります。、

 

現在は、試験的にパブーと言う電子書籍から、立ち読みのような形で冒頭だけアップしていましたが、作品の中には間もなくアクセス数が、1万件にも達する作品もあり、この二年間読みたくともご不便をお掛けした、ファンの皆様のためにもオープンにしたいと思います。

 

作品は「J・F・K」と「野武士の時代」を先行アップして「伊達政宗」へと続き「風に吹かれて」は少し遅れます。

 

キンドルは世界7ヶ国で同時にアップされます。いよいよ「世界の三浦」の発信です。

この度はぜひ、熱かった昭和史の出来事を思い描きご堪能下さい。 

 

これからも古代史及び創世記~中世そして、20世紀から21世紀に起きた森羅万象の出来事を、ダイナミックにご理解頂けるよう、小説及び映像のエンターティメントとしてご提供を致します。どうか「世界の三浦とミウラ ワールド」でお楽しみ下さい。 ☆ Amazon キンドル

2012年10月11日☆ノーベル賞と永遠の命とは

ノーベル賞の医学・生理学賞で山中先生が受賞されました。おめでとう御座います。

 

これで生物学や人類学において生死というものが、大いに神に委ねられていると言う観念から、より賢明で敬虔な生き方をする人々を神が認め、大幅に人間の手に委ねられる時代が到来したようです。

 

やはり、2012年はひとつの時代が終わり、新しい時代が到来するというのは本当だったようです。

 

聖書の中に神を信じれば「永遠の命」が与えらると有りますが、これも実現しそうです。つまり、ご存知のように再生医療により、今のところパーツを交換すれば永遠の命が得られると言うことです。

 

そのうちに細胞そのものが分裂せずの若返りや、良質細胞をコントロール出来る無限の再生なども可能になるのではないでしょうか。 

 

ただし、死はまだ、生殺与奪権を神が握っており、神の思し召しにより災難とかで、突然死はあるようです。つまり、「神の見えざる手」は神を信じて愛される人になるか、そしてまた、神に選ばれし者ならば、その使命をいかに果たすかを問われて 決定さられるようです。

 

ところで、あの難物極まりないボブ・デュランも賞をもらえそうです。楽しみですね。

2012年8月28日☆君香が文科省の研究認定を受けました

   君香 デェオドラント
   君香 デェオドラント

さきに東北大学が科学技術振興機構に申請していた「君香」化粧水の成分効能試験のセカンドステージ研究が採択されましたので、広くお知らせ致します。

 

また、これに係る関係各位のご尽力に多大なる感謝を申し上げます。そして、同症状でお悩みの方々により広く伝わり、健やかさと安心感をご提供出来るよう頑張ります。

 

どうか今後とも君香の研究にご支援とご協力の程を賜りますようお願い致します。

 

 

                        ご注文はamazonへ 

2012年8月18日☆作品募集

昨年の入賞作品
昨年の入賞作品

いよいよ、8月もなかばを過ぎ、群青色の空と清涼なコスモスの花が似合う季節が近ずいて来ました。そこで昨年に続き、今年もコスモスの花にちなむ絵、写真、動画、俳句、短歌を募集します。ふるってご応募ください。

 

PS:コスモスの花の動画は5分間ぐらいで、パッヘルベルのカノンをBGMにしたほうが選考されやすい。バイオリン、ピアノ等いずれでもけっこうです。

 

あと、当コスモス企画で 自分のプロモーションビデオ等をリリースしたい方に、動画 TVを開放します。こちらもお勧めです。高アクセス数で注目度は抜群です。

明日のスターはあなたです

 

応募はこちらへ

 

2012年8月5日☆君香☆喜びの声があちこちに!

先月、君香の成分効能試験の結果を、河北新報から発表して早くも3週間、いま、あちこちから喜びの声が届いています。本当によかったです。

 

あの解放感は経験者でないと理解しにくいのですが、どうか、これからも油断せず、再度菌を近づけないよう気を付けましょう。

 

まっ、今度復活しても君香があれば、これまでと違い絶望感からは逃れられますが、しかし、一度消臭したら、あの思いは二度とごめんですよね。

 

当研究はこれからも、すべてのキャリアの方にも有効か?を検証しながら、また、衣類などの除菌用洗剤や、石鹸、ウェットティシュによるアフターホロー、医薬部外品、医療製薬に高めることを目指し続けられます。今後ともご支援、ご鞭撻の程を、よろしくお願い致します。

 

PS:この記事は早速、先月に週刊新潮が取材して下さり、発表して頂いたものです。

 

「ふむ、ふむ、小生はへんな人か?」(笑)。でも納得です。よく特徴を捉えていて見事です。

感謝しております。

2012年7月15日☆研究成果の新聞発表について

7月15日(日)河北新報朝刊
7月15日(日)河北新報朝刊

前回、予告、ご案内の通り、東北大学で研究を進めていた、ワキガ菌の抑制実験の経過が河北新報より、リリースされましたのでお知らせ致します。

 

本来は昨年の新製品の発売と同時にリリースの予定でしたが、震災により大学も被災また研究の遅れなどで、多くの予定が番狂わせとなってしまい、関係各位には多大なるご迷惑をかけてしまい、この場をお借りして深くお詫び申し上げます。

 

ただ、それらの経過にも関わらず、ひたすら、当研究者を信じ我慢強く見守って下さった方々には、より一層の感謝を申し上げます。

 

今後も多少のデコボコがあっても、研究第一主義は続きます。

関係各位様には「ああ やっぱり三浦は地味で地道ながら、成果を残したな」と言われるよう頑張ります。

 

今後とも温かいご支援ご指導のほどを、よろしくお願い致します。 

2012年6月27日☆新聞の取材

研究室から見えるお隣の理学部のキャンパスです

今日は東北大学未来科学技術共同研究センター(NICHe)でワキガ用化粧水「君香」の効能試験の第一次の結果を公開するために、新聞社の取材を受けてきました。

 

写真は研究室から見える風景です。天気も良く向こうに見える建物は、先日、斉藤由香さんが来て公演した理学部の教室と研究棟連です。

 

来週には新聞に載せて頂けるそうです。そうなりましたら、どうして私がワキガを研究するようになったのかを、このコナーにエピソードとして徐々に載せたいと思います。(笑う)

 

結構多くの方が興味を持ってくれてます。友人の伊藤さんと及川さんには「私のワキガがどんだけ臭いか新聞に載るよ」と言ったら受けてくれました。(笑う)

2012年6月2日☆どくとるマンボウ昆虫展

理学部付属博物館に展示してある歌津魚竜の化石

前回、歌津魚竜にすこし触れましたら、本日、理学部まで行くことになり、久しぶりに高校の時に発掘に立ち会った、本物の歌津魚竜の化石とご対面して来ました。

 

きっかけは先月28日から始まった「どくとるマンボウ昆虫展」が東北大学で開催されており、本日は斎藤由香さんと故北杜夫さんの奥様が、講演会で来仙することになったからです。

 

場所は青葉山の理学部のミュージアムに昆虫展が開設され、午後一時から理学部の一番広い講義室で、満員の聴衆のなかで行われました。 

この昆虫展を企画プロデュースをしてくれたのは、新部さんという栃木県職員の方ですが、私以上に北さんのファンでかつ、昆虫の専門家でもあります。

 

彼と出会ったのは3年ほど前、新部さんが仙台文学館で北杜夫展を開催し、その時お互い北さんの消息話になり、ぜひ北さんが生きている間に、このようなイベントに出て来てくれるように、働きかけようというのが始まりでした。

右から斉藤由香さん・お母様・北さん・新部さん・三浦です

2012年5月19日☆平成の森のこと

昨日、尊敬する伊藤さんから「最近更新がないね」と連絡があり、今あることに没頭中でブログの更新を忘れていたのを思いだし書き始めました。もの書きのサガでリクエストがあったり称賛を受けるとついその気になるのが悲しい所ですが(笑う)

 

伊藤さんと及川さんが楽しみにしてくれているというのは自分ながら、マンザラでもないか?(笑う)と一段と力が入ります。

 

いま、エリザべス女王の即位60周記念のお祝いに英国を訪れになっている、今上両陛下から先日二度目の仙台御巡幸、被災地の御幸行を頂きました。陛下御自身の体調も慮れる中、痛み入る次第です「平成の御代」陛下に於かれましては、きっと先の終戦の折に続く痛恨事だったのではないでしょうか。

 

表題の「平成の森」というのは昨年の震災に遭い、今多くの方が避難している、南三陸町「管の浜」(クダノハマ)とう国道45号線沿いの風光明媚な公園です。また、この地域からさきの歌津魚竜に続く「管の浜竜」という化石が発見され、考古学上でも世界的な場所です。そして「歌津魚竜館」もここにあります。

 

また昨年、両陛下から御幸行を賜った歌津中学校から東に向かって、追分という古風な地名の坂道を下った処で交わる国道45号線は、東部沿岸地域の生徒が通う、まさに思い出のいっぱい詰まった通学路でもありました。

 

そう、ある日の午後のことです

いましも、あの喧騒と疾風怒濤で、エキサイティングに盛り上がり、そして華やかに自由と青春を謳歌している教室、校庭、校舎をあとにした放課後のことです。

 

家路に向かい自転車に乗り、この「管の浜」の三叉路あたりまで来ると、だいぶ興奮も収まり、右に行くと「館浜」「稲淵」「泊浜」で初恋のひとEさんは此方を通るはず、私は左の国道を誰にも邪魔されず一人孤独に自転車をこぐ・・・

 

やれやれ、ここまで来ればEさんとも残念ながら会えなくなるが、よもや追いかけ来ることもないはず、と思って孤独に浸っていると、後ろからにぎやかに黄色い声の三人組の女学生、同じく自転車に乗り「いた いた やっぱり いたー」とか言って追いかけてくる。

 

エッー確かにさっきまで九学級の教室でローリング ストンーズの『ジャンピング ジャック フラッシュ』のレコードをかけて、級友たちと楽しそうにゴーゴーを踊っている姿を、確認してから帰って来たはずなのになぁー

 

当方、それまでの孤独のしじまが破られ、また多少色気ついていて照れて恥かしい、一生懸命自転車をこぐ、というシーンです。

 

時代は日本がこの年にアメリカについで世界第2位の経済大国になったときです。ちまたでは石原裕次郎が「黒部の太陽」を完成させ、美空ひばりが「真っ赤な太陽」を大ヒットさせていました。また、グループサウンズが全盛でザ・タイガースが「花の首飾り」ヴィレッジ・シンガーズが「バラ色の雲」や「亜麻色の髪の乙女」をヒットさせていました。

 

この次の年の春先に、今また注目されている由紀さおりさんの「夜明けのスキャット」がヒットし、そして7月にアポロ11号の月面到達の大イベントがありましたので、由紀さんの夜明けのスキャットはあまりにも斬新で神秘的なのに、アポロの成功と相まって何か新しい時代が来たことを、もろに肌で感じました。多感なせいばかりではないようです。

 

思えばバブルまでの日本の超絶頂期の始まりでした。

 

そんな「オール ミッション スタート、エンジン全開バリバリ」な二十歳代に表題にある「平成の森公園」の計画構想を初めてプロデュースしました。私にとっては記念すべき父との永遠のモニュメントです。

 

当時、父が町の議員をしていて、志津川にある松原公園がうらやましく、歌津にも野球場、陸上競技場がほしいと、場所を三か所選んで(伊里前の町向の高台、管の浜の海を埋め立てる、現在地の丘陵地を造成する)と、マスタープランを立て、父に示し議会でご理解頂き、当時景気も良かったので難なく出来上がりました。

 

ただ、プランを示し父もいるし、役所にはこの間の津波で亡くなった従兄もいたので、任せきりにしていて、ある日、工事の進捗状況を見に現場に行くと、野球場とサッカー場が計画との反対の位置に建設中なので、従兄の一男さんは本気で甲子園を目指すほどの野球好きなのに、どうした事かと父に確認すると「地形の窪地を活かすとあのほうがベター」とのことでした。

 

たしかにその後何度も足を運び確認すると、春先には結構西風が強く、野球をするにはつらそうで、今の配置が正解なようです。この球場はナイター設備もあり楽天の2軍の試合も行われる本格的なものです。

 

そしてサッカー場にはいま二〇〇戸以上の仮設住宅が建ちましたが、これも津波が起きてすぐに提案しものです。その時、心の中で、親父さんに「やっぱりこの公園を造っておいて良かったですね」と呟きました。すると父はただ「フフッ」と笑って返してくれたような気がしました。

 

ちなみにその時、埋め立てを提案した「管の浜」には海浜を埋め立て「歌津魚竜館」が建ちました。今回半壊になるほどの被害を受けましたが、いち早く東北大学が復旧に入って下さり、展示物に大きな毀損もなくいずれまたオープン出来るようです。ありがたいことです。感謝しております。

 

そんなわけで陛下にはぜひ一度「平成の森」をご覧頂きたく、また、学術上貴重なウタツザウルスを観て頂きたく存じます。また、このコーナーを読み何か歌津に興味を抱かれ方は、励ます意味でも観光のためにも考古学上でもぜひ訪ねてみて下さい。おねがいします。

 

さらなるちなみにですが、歌津にはもっと奥の深い歴史がゴロゴロで、その内のひとつに維新期に東京大学の地学の教授として招聘され「ナウマン象」を発見したナウマンが、明治14年日本地学学会を設立し、全国調査を行った時、日本にも世界的な標準化石としての<平貝類>がある事を発見したのが、尊敬する伊藤さんの生家の庭先でした。

 

それが今「歌津皿貝貝塚」でモノチス皿貝と言い、地質学上で三畳紀の存在を証明する(アンモナイトやシーラカンスと同じく標準化石)として有名で、世界の研究者が時々訪れます。むしろ、歌津魚竜が発見される前はこちらが世界的にもメジャーな考古学遺跡でした。

その貝塚と私また伊藤さんとの中学での出会いをいつか書きましょう。ジャン ジャン。

 

 

2012年4月15日☆東京のお花見

靖国神社の桜
靖国神社の桜

先日、ひさし振りに東京でお花見をさせて頂きました。いつもの楽しい皆様と最高のお花見でした。お世話頂いたいつもの名コンビ様、PHP様、心より感謝、感謝です。

 

靖国神社には母方の伯父が祀られていて、よく母から上京したら参拝するよう命じられておりますが、たまにしか行けませんでした。

 

ただ、この震災で二人の従兄弟を公務で失い、その事を伯父に報告にしなければと思い参拝しました。つくずく戦士の末裔で仕方のないこと、と鎮魂の祈りを捧げて来ました。

 

さきの大戦まで、多くの国難に対処された方々にも、この度のことを報告し、陛下の御幸行を受けたことを報告してきました。 

千鳥が淵の桜
千鳥が淵の桜

2012年3月13日☆被災物の処理について

本日の河北新報、夕刊に津波被災物の処理の遅れと、受け入れ自治体の腰の重さについて載っていました。ちょうど昨日、私達の復興と海洋博を推進する会でもこの話題が取り上げられ、他の自治体にお願いするだけでなく、自らも積極的に被災物資の解消に関わるべきであると結論されました。

 

幸い私達の復興に対するあつい思いを御理解頂いているメーカーさんから、試してみたい革新的テクノロジーがあり、それを導入してはどうかと御提案がありました。

 

ご案内によりますと、この設備は廃棄物を高温で熱処理し、残った炭素を高純度のナノカーボンの原料にすることがで出来るのだそうです。また、その中間物として、高圧の発電も可能とのこと、ぜひ実用試験プラントの導入の検討をして頂く事になりました。

 

先日、偶然、東京大学出の女性の友人から、この被災物の他自治体への搬送処理の問題に対するコメントを求められ、次にようにお応えしたばかりでした。

 

「一般家庭ごみでも、いずこでも、いろいろある中、このたびは、大量の被災物でご迷惑をかけています。

すこし、事象を拡大して例えてみると、自分の背中は自分では掻きにくく、床屋さんもお願いするし、結婚式も親がかりだったりします。また、自分の葬式も自分では出せません。

 

エテシテ、残された者や、式を執り行う者は不満たらたらだったりするのは良くあります。

このたびは甘んじて批難、悪口は「まさにそのとうり」と受けるしかありません。

まだ、生きていますが・・・

よろしくお願いします」と御返事しました。

 

しかし、上文のようのにただよそ様にお願いするのは、生ある者として忍びないので、自力で処理出来る物は多少なりとも、自らその解消につとめたいと思います。以上です。

2012年2月18日☆オリンピックのこと

以前お願いしていたオリンピックの被災地開催として、宮城の施設もご提案していましたが、16日の五輪の東京招致委員会で「利府の宮城スタジアムが、サッカーの一次リーグで使われる予定」と発表されました。まさに感謝です。

 

今度はIOCの方々に被災地の不屈の復興魂の維持のためにも、ぜひ、ご理解頂たいところです。復興もスポーツと同じくモチベーションの維持が大切です。試合には勝ち負けがあるように時代にも好調と不調があります。「多少調子が悪くても勝ちに持ち込むのが真のエースだ」そうです(野村監督)

 

今は野球の一回表に3点ほど取れたところです。これから挽回するとろです。ぜひ、乞うご期待です。それにしても、お願いして、いつもの素早い対応、ひたすら、感謝、感謝です。有難うございました。

2012年2月10日☆プロジェクトX パートⅡ発足の時

以前、NHKの番組で、戦後の目覚ましい復興の様子を描いたセミドキュメンタリーの「プロジェクトX」という作品がありました。空襲の焼け跡から立ちあがり「昭和の栄光」約40年を企業の発展や、人々のひたむきな努力が報われる、サクセスストリーを描いた名番組でした。

 

そして今日、東日本大震災から立ちあがるべく復興庁が動き出し、まさに「プロジェクトXパートⅡ」が始まりました。きっと、ここから20年間、第二の復興物語が生まれるものと思われます。お互い思わぬ時代に遭遇した感もありますが、時代を嘆くことなく、恨む事なく、ただひたすらに歩んでいきたいと思います。

 

 

2012年1月1日☆新春序詞

新春を寿ぎ皆様のご健勝をお祈り致します

 

やれやれの昨年が過ぎ、新玉の朝となりました。わたしのロングバケーションも終盤に近づき、いよいよ原隊復帰の時刻が来たようです。

 

本来であればこのまま兵役免除があるのではないかと思ってましたが、あつい青春を謳歌した分、もっと働けということのようです。

 

昨年からの日本の困難を、私はちょうど不沈戦艦といわれた「大和」が魚雷を3発ほど受けたくらいのダメージと受けとめました。

 

普通はどんな艦船でも魚雷1~2発でおしまいなのですが、大和は22発(一説には29本)の魚雷と爆撃機、及び艦攻雷撃機からの数えきれないほどの、爆弾を受けおわりました。

 

ただ、ここまで持ち堪えられたのは、考えられるだけ数多くの、ダメージコントロール装置を備えていたからです。それでも今だかつて不沈艦は無いのですが・・・

 

ダメージコントロールと言うのは、ただ船体の鉄板を厚くするだけでなく、損傷の度合いによって防水隔壁や、給排水の機能を装備して、船体の浮力確保を主な目的とする防戦機能のことです。

これによって魚雷、1~3発を受けても沈まないのです。 

 

しかし、絶対に不沈な艦は無いのです。さらに開戦当時、日本海軍は、英国の戦艦プリンス オブ ウェールズとレパルスも、航空機による渡洋攻撃で撃沈させた実績をもっていたにも関わらず、なかなか大艦巨砲主義をすてられませんでした。

 

つまり、海軍ではロンドン条約、ワシントン条約の(軍縮会議)あたりから、先進的な幹部は航空母艦や、潜水艦の技術革新、イノベーションが進めば、やがて戦艦、バトルシップはいずれ時代遅れの無用の長物になると確信していました。

 

しかし、日露戦争でロシアのバルチック艦隊を、戦艦同士の砲撃戦で殲滅した成功体験を引き継いだエリート将官達は、大艦巨砲主義の伝統から逃れられませんでした。事象は異なりますが、現在の原子力安全・保安院と同じ轍を踏んでしまったのです。

 

つまり、「絶対安全、不沈艦、大艦巨砲」とかの言葉に酔い、リアルな事故や損傷を想定しない秘訣をものにして、かつ危険を忘却出来る特技を身に付け、絶対安心だと信じこみ自分に言い聞かせ、心の平衡を保っていたのでした。

 

さらに自分は頭がいいと自他共に信じ、うぬぼれていますので、記憶したことや習った事を疑うことをあまりせず、他者批判は得意でも自省は乏しい。

 

(脳の記憶野を酷使した反動か、トクイになると現れやすいのが、いまだに子供の頃の成績が自慢で小児的、よく人を必要以上に見下したい感情、衝動にかられるようだ)たぶん、感情野も記憶のために酷使したせいかもしれない???。「死ぬまで言ってなさい」と言うとろでしょうか。

 

これは単なる自己暗示、マインドコントロールで、そのイメージトレーニングの効果で無責任者に成ることが出来た人達、メンバーよって決定されたのでしょう。普通このようなことは、3流の学者でもしませんので3・5流から4流、もしくはこちらの原始力か、はたまたこの幻視力関係者をカタル方々と思われます。(不正確かもしれませんが・・・)そのため福島県民が逃げまどう事態になったのです。 

 

いわば、科学的実証による安全ではなく、情緒的精神論、もしくは情感的安心論で世論を糊塗しょうとして、さらに自分達も信じ込んだのです。こちとら政府と東電から金もらってるんだー「サイエンスも、真理も、ヘッタクレも、アルカー」と割り切ったのでしょう。

 

最後には「神風が吹く」と言い逃れ、取り返しのつかない悲しい結末に至った、いつものパターンです。

 

  また、軍人ならともかく、本当にちゃんとした最高学府で、アリストテレス的学問(論述)や(実験)を通じて鍛えた学歴がある、と自負するのなら、しっかりと、アンチテーゼ(反対論)に立ち向かうべきです。

 

アンチョコと暗記、記憶力勝負の知識は入学試験までで、それ以降はその持っている知識や教養が、どれだけ議論に耐えられか、討論をリード出来るかを問われのが、学問、学識、研究の世界的基準、スタンダードです。

 

と書くと勉強もしたことがない三浦氏からそんなことは言われたくないと言われそうですが(笑)

、実はこれは決して私のオリジナルでもなんでもなく、ソクラテスとプラトンのアカデミア時代からの普遍的な学習態度の基本です。あしからずです。

 

議論に負けそうなので原子力ムラに入れなかったそうですが、だから世界に通用しないと物笑いの種になるのです。そして、ついに今となっては、とんだ原発推進の狂言回しをさせられた役者だったと、バレてしまい過酷な現実を背負う事になりました。

 

もっと言えば、東電も反対者を排除や監視などをしたそうですが、海軍でも、艦隊派、条約派とかに内部分裂を起こし、やがて、5・15事件などにのめり込んで行き、開戦に導きました。歴史は繰り返すです。 

 

そして海軍は途中で航空機優位と気付くことになるのですが、大和型三番艦、信濃を空母に改造した以外、大和、武蔵、の装甲の厚い戦艦は不沈艦と称して運用しました。ただし一部(山本五十六)などの常識派は、初めから艦船は航空機からの攻撃には耐えられないと結論していて、わざと真珠湾攻撃でもアメリカの戦艦を 沈めてみせて、その優位性を実証してみせました。

 

いずれにせよ、今年のわが国もダメージコントロールが引き続き必要です、そしてテーマがこれまで誰もが経験をした事がない原発問題、財政問題、復興問題とトリプルでその対症法を求められています。

 

特に政治においては、くれぐれも昨年の自民党の内閣不信任案に呼応したが、土壇場で被災地からの敵前逃亡じゃあるまいし、親方だけが命拾いしようとした、と言うような、日本人、東北人にあるまじき、醜態をさらすようなことをしてくれるなと、お願いしたい次第です。

 

関東大震災、東海、東南海、南海と次に備えなけらばなりません。

どう、言いつくろっても、天は見ています。どこかで「悔い改めない」とやがて天に見放されます。

お互いに気を引き締めて新年をおくりたいものです

 

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